第26話「死と再生の狭間で」

 にして、無にあらず。

 例えて言うなら、くう……肉体を離れた霊魂とでもいう存在が、無限の虚空こくうただよっているような感覚だ。

 ザッシュが感じられる、それが死と再生の間の世界だった。


(ああ……そういえば、僕が再生ロードされるのって初めてか。いや――)


 どこか遠い記憶のようでなつかしい。

 しかし、先月の出来事なのだ。

 なにも覚えていないザッシュは、身一つでこの世界に放り出された。

 ハイエルフの姫君、リータの古代魔法ハイ・エイシェントによって現界げんかいしたのだ。


(みんなも、こういう感じなのかな……死の痛みと恐怖、そして……再生までのこの温もりと安心感)


 奇妙なことに、自分へと銃の銃爪トリガーを引いた痛みも、その苦しみも今は感じられない。直前に躊躇ちゅうちょうながしてきた恐怖も、臆病という名のやまいもかき消えている。

 ただ、ひたすらに続く安寧……原初の海にゆられる始原の生命のよう。

 どういう理屈かは知らないが、ザッシュの死体はアマミの街から消えているだろう。

 そして、リータが死を完治して再生さえしてくれれば……彼女の目の前に現れる。


(そういえば、あれ……バベルのモンスターも、そうだよな。死ぬと、消えちゃう……)


 天へと聳えるフロンティア、巨塔きょとうバベル。そのメカニズムは、なにからなにまで未知と神秘にいろどられていた。ザッシュもそうだが、この世界のあらゆる種族がバベルを前に無知で、そして時に無力だ。

 それでも、冒険者として上を、高みを目指す者たちがいる。

 今やリータの存在は、そんな人間たちにとって女神にも等しいのだ。


(リータ……また会いたいと思ったから、後悔はない。けど、なんだろう……俺はどこか、この空間を、知っているような――)


 突然、目の前が真っ白になった。

 そして、不意に脳裏に映像が流し込まれる。

 明らかにアマミの民ではない、それどころかこの世界の住人とは思えないいでたちの男女が大勢いた。皆、せわしなく動き回っている。

 周囲は無数の光がまたたいていて、まるで星空の只中にいるようだ。

 ただ、漠然ばくぜんとだがザッシュにはわかる……あの輝きは、人の文明が生み出した光だ。


『脱出船団、無事に太陽系外縁まで到達しました。跳躍航行ワープまであと60、59、58……』

『結構です。さあ、私の頼れるあなたたち! 最後の仕事に取り掛かりましょう! これより、ミッションをファイナル・フェーズへと移行します』


 大勢の前で、白い服の女性が宣言を響かせた。

 とても強い意志を感じる、透き通っているのに強張こわばった声だった。

 どうしてか、それがザッシュには懐かしい。

 ザッシュが見下ろす巨大な部屋の中で、誰もが板切れタブレットに無数の光の文字を浮かべている。それを手で投げたり、時には絵を受け取ったりしていた。そうして忙しく誰もが働く中、先程の女性は玉座のような席に座っている。

 端正な美貌は怜悧れいりで、ともすれば冷酷な印象さえ与えてくる。

 それなのに、ザッシュにはこの女性が秘めた情の深さが感じ取れるような気がした。


(誰なんだ……この女の人は――って、ええええっ!? ちょ、ちょっとまって、あれは!)


 完全な不意打ちだった。

 突然、その少女――そう、ザッシュと歳も変わらぬ少女だ――が視界に入ってきた。彼女は、先程の指揮官らしき女性を「博士」と呼んだ。

 どうやら、白衣の女性は学者らしい。

 少女を振り返って、例の女性は静かに声を潜める。


『来てくれたわね、認識番号NZ4077A……個体名称、。ごめんなさい、忙しい中』

『なんら謝罪に値しない。私はお前たちが造った装置、その末端に過ぎないのだから』

『……そう、ね。でも、人間という生き物は名前を与えると情が移るものよ』

『心得た、覚えておこう。兄弟姉妹全員と共有すべき、貴重な情報と認識する』


 そう、あのシオンだ。

 バベルの冒険でザッシュたちが遭遇した、悪魔……どうみても聖典に名を残す悪魔としか思えぬ、巨大な人型の機械から出てきた少女にそっくりである。

 否、似ているのではない……

 確信を抱くくらいには、ザッシュは彼女に気を許していた。

 バベルの迷宮ダンジョンで死線を共にし、協力し合ってきた仲間だから。

 そのシオンが何故なぜ

 このビジョンはどこで誰が見た記憶なのか?


すでに脱出船団はこの星系を去ったわ。我々人類の生存戦略は、その目的を達成したと私は思っているの』

『その認識は間違っていない。博士の言うように、地球人類という種の存続は確定されたと見ていい。連中の攻撃から遠ざかり、その手が及ばぬ生存可能惑星へ船団が到達する可能性は――』

『それを今は論じてる余裕がないの。いい、シオン? セーフガードの中で、あなたにだけ……個体名称シオンにだけ、特別な任務をお願いしたいの』

『了解した、命令してほしい』

『命令ではないわ……これは、お願い。祈りのようなものよ』


 傍観者としてザッシュは、まぶたを閉じることも顔をそむけることもできない。

 ただ、半ば無理矢理に情報を注ぎ込まれている。

 そのことに不快感を感じないのは……博士と呼ばれた女性がとても優しく感じて、懐かしささえおぼえてしまうからだった。

 その博士は、周囲を見渡してからさらに声を小さく絞る。


『シオン……これから、地球に残留した者たち……私たち数千名を順次、イニシャライズしてシステムに送り込むわ』

『……計画の実行にない作業のようだが』

勿論もちろんよ。私の独断。でも、ここで連中に殺されるのを待つだけより、マシだと思わない?』

『現在、施設に残ったスタッフは3,841名。これをシステム内に新たに登録することは、なんらマイナスの負担を発生させることはない。誤差レベルの変動でしかないと試算する』

『そうよ……だから、これからもう一つの世界……虚妄霊子空間ヴァーチャリティ・エデンに、全スタッフを避難させる。……その第一陣に、私の息子を組み込む予定よ』


 不意に、博士がとても優しい表情を垣間見せた。

 冷徹な指導者の雰囲気がなりをひそめる。

 そして、彼女の言葉にシオンは初めて無表情に感情を灯した。


『それは、貴女あなたの息子を特別な扱いとして処するということか』

『ええ、そうよ……私にとって息子は、


 ザッシュは、自分の名を呼ばれて衝撃を受けた。

 全くの不意打ちだったからだ。

 そもそも、今という時間と場所は、現実ではない。

 言うなれば、夢を見ている状態なのだ。

 自らを銃で撃って、ザッシュは意図的に死んだ。そして、保存セーブされた時の状態のまま、再生ロードされる。自分の死を察したリータなら、必ず再生してくれる。

 だが、その前にこんな時間があることが驚きだった。

 そして、突然けたたましい悲鳴のような音が響く。まるで、鋼と鋼が擦れ合う金切り声のような、この世の全てのモンスターが絶叫を輪唱するような音だった。


『エマージェンシー!? ……そう、連中が勘付いたのね。シオン、いいかしら?』

『仰せのままに、創造主』

『せめて第一陣だけでも……間に合わないかも知れないけど、システムの中へ送るわ。それで、頼みたいの。もし万が一、あなたがシステム内で、私の息子に出会ったら――』


 ――私にわって、あの子を守って。

 そう確かに、博士は言った。

 ザッシュは驚きに言葉を失う。

 そして、驚愕きょうがくの光景そのものが唐突に去ってゆく。

 再生が始まり、自分はあの世界に……自分が覚醒して暮らした、斬新で新鮮なのに懐かしい、リータのいた世界へと戻る時がきたのだ。

 全てが薄れてゆく中で、消えていった。

 ザッシュは何故か、消し飛ぶ情報の断片へと、叫んでいた。


(待って……待って、もう少し……もう少しだけ! もっと、言葉を、声を! 母さん!)


 不意に、全てが白く染まってまぶしく消えた。

 次の瞬間には、ザッシュは派手な音を立てて落下、水没した。

 どうやら水の上に放り出されたようである。

 突然のことに戸惑とまどいながらも、慌てて手足をばたつかせる。

 そうこうしているうちに、両足が硬い水底をつかんだ。


「――っはあ! はぁ……なんだ、脚がつくじゃないか。浅くて助かった」


 どうにか立ち上がれば、深さは腰ほどでしかない。

 どうにか落ち着けそうで、ザッシュはホッと胸を撫で下ろす。

 だが、死んだ瞬間のままの肉体と着衣、記憶をそのまま再現された彼は……目の前の光景に、絶句した後に絶叫してしまった。


「まあ! まあまあ、まあ……まあっ! ザッシュではありませんか!」


 眼の前に、

 そして、彼女はパァァと笑顔になるや、おのれ美貌びぼうとナイスバディを隠さず近寄ってくる。ざばざばと水面みなもを波立てながら、リータはザッシュの手を握った。

 リータはハイエルフ、七星王家セブンスのファルシ家に生まれた末娘だ。

 やんごとなきお方という形容を、心と身体とで体現し続ける存在なのだった。


「わっ、ちょ、ちょっと! リータ! あの、困る! 困るって!」

「何故です? わたくしは困ることなど……むしろ、どれほど心強いか」

「……リータ」


 リータは淡雪あわゆきのような白い肌を、ザッシュに押し付けてくる。

 高貴な身分の人間は、日頃から着替えや湯浴ゆあみを人に頼る風潮があり、自分の裸体を見られることに羞恥しゅうちを感じない。そうした時に接してくる人間を、同じ身分とは思っていないからだ。

 ザッシュもそう思われてるようだが、ザッシュ本人が感じる気持ちは一つだ。

 柔らかな感触が密着してきて、思わずしどろもどろになる。


「リッ、リータ! とりあえず、服! 裸はよくない! それに……俺は、その」

「……はっ、そうですわ。そうでしたわね。市井いちいに生きる乙女おとめは、殿方とのがたに裸を見られると……たしか、ええと、きゃー? そう、きゃー、と叫ぶのですわ」

「叫ぶより前に! 隠して! お願い、頼むよ!」

「心得ましたわ! では……すぅー、はぁ……せーのっ、きゃーっ……きゃー、きゃー」

「それより先に! 隠して! 離れて!」


 どこまでもマイペースなリータに、奇妙な安堵感が込み上げる。同時に、心臓が爆発しそうなほどに高鳴っていた。かくして、ザッシュは無事にリータを追いかけ、追いつくことに成功したのだった。

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