第25話「君のために銃爪を」

 山猫亭やまねこていに集まった者達は皆、一様に表情を暗くしていた。

 ザッシュは自然と、自分も同じ顔をしていると感じる。

 このアマミの街に集まり、謎の巨塔バベルを天へと進む冒険者……そんな無宿無頼むしゅくぶらいの荒くれ者達にとって、ここ最近のリータは希望の灯火ともしびだった。

 保存セーブ再生ロード高位魔法ハイエイシェントが使えるからではない。確かに『死んでも少し前の自分に戻れる』というのは、画期的なことである。だからといって、それがリータの全てではないのだ。

 誰にも優しく、少し天然で、好奇心が旺盛なお姫様。

 誰にとっても愛娘まなむすめであり、妹であり、時には姉や母のようだったのだ。


「あーあ、なに? ちょっと、みんな! お通夜つやじゃないんだからさー!」


 突然、ザッシュが座るテーブルの上に、ドン! と大きなジョッキが置かれた。中には、泡立つ琥珀色こはくいろ麦酒ビールがなみなみと注がれている。氷室ひむろで冷やされていたらしく、触らずともひんやりと冷気が感じられた。

 全てのテーブルへと今、酒が配られている。

 山猫亭を取り仕切るネージュは、従業員達と共に働きながら声を張り上げる。


「アタシがこれからみんなで話したいのは、これからのこと! アンタ達は冒険者、明日も明後日あさってもバベルのいただきを目指す。なに? リータがいなきゃもう、冒険できないの?」


 挑発的な言葉で、意図的な演技さえ感じた。

 それがわかっていても、一部の冒険者達は殺気立って椅子を蹴る。


「んなわきゃねえだろ! そういう話じゃなくて、リータちゃんがよう!」

「そうだ、そりゃ……親が結婚を決めるなんざ、珍しくもねえ。なあ?」

「だが、バベルの恩恵欲しさに、生贄いけにえみたいにアマミに放り出して……今度は必要だから連れ帰るって。リータちゃんは物じゃねえんだよ!」


 そうだそうだと声があがる。

 もうすでに皆、飲み始めていた。

 ザッシュもつい、ジョッキに手を付け唇を濡らす。

 苦味が迸って、芳醇ほうじゅんな麦の香りが鼻孔を支配した。思い切ってごくごくとのどを鳴らすと、背筋を突き抜けるような爽快感が広がる。

 喉越しの爽やかさに、少し頭が冷えてきた。

 激情に燃えていた思考が、冷静さを取り戻し始める。


「そうだ、リータは物じゃない。だからこそ!」


 ザッシュは、意を決して立ち上がる。

 注目を集めてしまったが、周囲の大人達を見渡した。

 最後にドルクのうなずきを拾って、落ち着いて呼吸を整える。


「俺は、リータを助けたい。少なくとも、ちゃんとリータの意思を確認して、それを尊重したい。彼女が自分の意志で一族のために嫁ぐなら、笑って送り出す。そうでないなら」


 誰もがザッシュの言葉に聞き入っていた。

 だから迷わず言葉を選んで決意を解き放つ。


「そうでないなら、彼女の自由のために俺は戦う。例え外の世界を敵に回しても……元から記憶喪失の俺には、このアマミとバベルだけが居場所だから」


 そして、この場所はリータが得た安息の地だと思いたい。

 ただただ七星王家セブンス翻弄ほんろうされるだけで、いいはずがないのだ。

 誰がも納得の声をつぶやき合い、ささやき合う。

 気付けば隣りにいたネージュが、満足げに背中をバシバシ叩いてきた。


「やるじゃん、ザッシュ! そういうのを待ってたのよ、アタシは!」

「ちょ、ちょっと、ネージュさん。痛いですってば」

「いい啖呵たんかだったわ。それに……あれ? ザッシュ、その……格好いい、かも。好き!」

「いやいや、それはチョロ過ぎるでしょう」


 笑いが酒場に満ちる。

 腕組み黙って、奥の席でドルクもザッシュの言葉を受け止めてくれた。そのかたわらには、いつの間にか妻のエルートが座っていた。

 ようやく誰の目にも、突然の苦難を払いのける力が戻り始めている。

 もとより冒険者は、明日をも知れぬ危険な家業……やくざな商売だ。だからこそ、なんにでもあらがい、いつでも立ち向かえる精神力がある。

 そのことをザッシュが再確認してると、聞き慣れた声が凛と響く。


「よく言った、冒険者達よ! ……腑抜ふぬけたことを言うならば、斬るつもりだった」


 おいおい物騒な、と振り返って、ザッシュはほおを崩した。

 そこには、いつもの露出が激しい鎧姿が立っている。

 剣と共に心を折られたが、自分の生き方を曲げられない女騎士が立っていた。リータの護衛を務める、ルーシアだ。

 彼女なら本当に斬りかねない。

 剣が折れれば短刀で、それがなければ噛み付いてでもリータのために戦うだろう。そして、一歩間違えればこの女傑じょけつはザッシュ達をなます斬りにしようとしていたのだ。


「話は聞かせてもらった! 冒険者諸君! どうか、この通りお願い申し上げる……リータ姫様を救うため、このルーシアに力を貸してくれ」


 あのルーシアが、人に頭を下げた。

 信じられない光景に、皆が絶句する。

 エルフ達は皆、気位が高く気難しい。自尊心プライドが強いのだ。だが、その中でもこれぞエルフといった性格のルーシアが、こうべれたのである。

 そして、懇願する美女に優しいのは、冒険者の男ならば誰だって同じだった。


「おいおい、あねさんよお。顔をあげてくれや」

「そうだぜ、折角の美貌が台無しじゃねえか」

「言われなくたって、俺等でリータ様を奪い返す!」

「上手くいったらその時は、酒のお酌でもしてくれや!」


 笑いが広がった。

 笑顔が満ちた。

 その中にザッシュも、笑っている自分を確かめる。

 顔を上げたルーシアは、自信満々の表情で腰の剣を抜いた。


「ようし、それでこそ冒険者だ! ルーシア姫様の騎士として、私は誓おう! ここに――ここ、に……あ、ああ……そうでしたわ、剣は……折れてたのですわ、おほほほほ」


 高々と掲げた剣は、折れていた。

 そして、またルーシアのキャラがぶれ始めた。

 慌ててザッシュは駆け寄り、急いで持ち上げ始める。なだめてすかして、そしてなぐさめる。ルーシアは先の戦いで剣を折られて以来、どうにも精神が安定しない日々を送っているのだった。


「ええ、いいのですよザッシュさん……私、今後は画家として生きますもの」

「そんな無理を言わないでくださいよ、あの絵じゃ……じゃなくて! 一緒にリータを助けましょう!」

「でも、すでに数刻前にリータ姫様達は……今頃はもう、かなり下に」

「すぐに追いますよ! 俺達は冒険者だ、バベルの中じゃ誰よりも強くて速い、そうですよね!」

「でも……でも、剣が……」

「あーもぉ、面倒臭い人だなあ」


 涙目でキッとルーシアがにらんできた。

 鼻先に折れた剣が突きつけられる。


「剣は騎士のたましいです! うう、それが折られて」

「ぶ、武器屋で新しい剣を……ほら、オリハルコン? とかの」

「高くて、買えません、でした……私、この間新しい絵の具を買ったばかりなので」

「と、とにかく! 剣をしまいましょう! 俺に突きつけないで! 折れてても、刺されば死んじゃいますよ、ほんとに……ん? ……死んじゃう?」


 その時だった。

 ふと、ひらめきが脳内の走った。

 このバベルの中では、死体はモンスターも人間も等しく消えてしまう。まるで、バベル自体に吸収されるように消滅してしまうのだ。そしてそれは、恐らくアマミの街中でも同じ筈。ゆえに、遺体は人の手によって地上に降ろされるか、消えるのもまた荼毘だびに付すのと同義としてきた。

 そして、ザッシュは最後にリータと会った時を思い出す。

 保存、した……ザッシュがリータの笑顔を心にいつも刻むように、彼女の中へ自分を保存したのだ。


「皆さん! 先に行きます……足止めするので、必ずあとから追いついてください! リータを救いに……行きますっ!」


 腰の埒外異物オージャンク、銃を引き抜く。

 ザッシュは迷わず、その銃口を額へと押し当て銃爪ひきがねを引いた。

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