ヘイKami!⑤

 波の音に溺れそう。


 両側の海は頭をはるかに超えて壁のようにそびえているのに、うねり、波を立てて光の方へと私を誘う。


 奥へ奥へと進むにつれて、光ははっきりと人の形になった。



「彩月」



 懐かしい声。

いつかの彼の姿がそこにあった。

胸の奥から溢れる感情が流水のように全身へと行き渡る。

誠。

会いたかった人。

私は走って彼の胸に飛び込み———。


「なーーーにやってんだよお前はぁ!!」

「いったーーーーい!!」


 殴られた。正確には脳天にチョップをがっつりくらった。


「うるさいお前なんか馬場チョップじゃ」

「会いに来たのにまずすることがそれか!?」

「おーおーそうだね。もっと殴りたいくらいだ」

「なっ……」


 殴り返そうとした手が止まる。


「なんでお前が俺が死んだことを気に病んでるんだ?」

「だって。……私があの時出ていけって言わなかったら」

「お前のせいじゃない」



 誠が私を抱きしめる。

 光に包まれた体は、それでも人の重みと体温を確かに感じた。


「俺はお前と出会えて幸せだったよ」


 誠は続ける。


「しかもお前も俺が好きで、一緒に暮らして、一緒にいられた。俺は幸せ者だ」


 抱きしめる腕に力がこもる。


「もっと自分の身体を大事にしろ。潰れるまで呑み歩いて……心配で成仏できねぇだろ」

「ごめん。ごめんなさい」


 誠が死んでから、毎日呑んだ。しこたま呑んだ。眠れなかった。家に1人、真っ暗な部屋で横になると暗い闇に私も塗りつぶされてしまいそうで。誠はもういないのだと、それは私のせいなのだと目の前に突きつけられているようで。


 誠は腕の力を抜いて私の肩を掴んだ。ちょうど目の前に誠の顔がある。


「なあ、お願いだ。お前は長生きして、幸せになれ。結婚してもいい、独身でもいい。思いっきり生きろ、死ぬまで。そんでばあちゃんになるまでこっちに来るなよ。いいな」


 その眼差しは穏やかで。産まれたばかりの子犬を見るような、愛でるような、そんな。

 私は目からぼたぼたと涙が出てきたけど、目をそらさなかった。誠の顔を隅々まで自分の目に見せたかった。焼き付くくらい。

 時々誠が頬につたう涙を指で拭ってくれた。


「彩月さん、そろそろ時間です」


 待ってるから。

 誠は最後にぎゅっと私を抱きしめて、耳元に囁いた。

 惜しむように唇を重ねて、2人でミカの近くまで歩く。


「お前がミカか。ふんふん……」


 誠はじろじろと頭からつま先までミカを眺めた。ミカはビクつきながらもじっとしている。


「うん。ありがとな。彩月のこと頼んだぞ」

「はぁ……」

 ミカは何ともよくわかりませんがとりあえず相槌を打ちましたという顔をして曖昧な返事をした。

 誠はまぁいいかと笑ってミカの頭をぽんぽんと2、3度撫でた。



 体を冷やすな、酒は吞むな、具合が悪くなったらすぐに病院行け。


 母親のような言葉を残しながら、彼は光の中に消えて行った。

 そして私とミカが海の上へ上がりきる頃には、真っ二つに割れていた海も何事もなかったように静けさを取り戻した。波の音だけが星空の下、いつまでも響いていた。



 それから時は過ぎ、私はいまでもこの街で暮らしている。

 いつもの道を歩き、観音様を眺めながら。1人になった私にも、多少の変化はあった。


 家族が増えた。

 あの時誠がミカに「頼んだ」と言ったのはこの事をわかってたからだと今になって思う。


「こんにちは。お迎えですね」

「はい」

 海のそばにある保育園。帰りの時間なのに子供達は遊びに夢中で庭を駆け回っている。

 そのうちの1人が、私に気づいて駆け寄ってくる。


「お母さん!」

「帰るよ。ミカ」


 綺麗な緑色の目が光を取り込んでエメラルドのように輝いた。




ヘイKami! 終わり

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