ヘイ Kami!④


「止まらないね」

「はい、止まりませんね」


 部屋のテーブルに置かれた黒い物体。福音受信端末『神のみぞ知る』に表示される、刻々と減っていく数字。


 時間は夜10時半を回った。

人類滅亡へのカウントダウンを見つめながら、私と天使は間の抜けた感想を言い合う。



 あの後、端末が地図を表示した。

駅前のカフェ、観音様、花屋さん、裏路地、海。

一日駆けずり回って端末が最後に表示したのは私の家。


 へなりと床に倒れ込み、天井を見上げる。



 キッチンに向かった天使が、マグを二つ持って戻ってきた。

「はい、どうぞ」

 マグから湯気が立つ。ロイヤルミルクティーだ。

 一口すすると紅茶の温かい香りとミルクの甘さが口の中に広がっていく。

「……久々だな」

 もう一口飲むと、ほんのりとした苦味。




『あんたなんか、もう帰ってくんな!』


 突き飛ばした胸。

 叩きつけるように閉めたドア。


 私のワガママだった。

忙しいって知ってたのに。仕事だってわかってたのに。


 あの時、怒りに身を任せることなくあいつを迎えることができたら、今もここにいたはずだ。


 それから数日連絡もなく、待ちに待った電話は警察からだった。

溺れた子供を助けるために、服を着たまま海に入ったという。


 私が彼の人生を奪った。

この事実を、私はまだ自分の中に落とし込めずにいる。


 ただ残ったのはこの街に溢れる思い出と、空っぽになった胸の奥。


 みんなが言った。お前のせいじゃない。あいつはそういう奴だって。どんな時でもあいつならそうするって。



 考えないようにしてた。これは嘘かタチの悪いどっきりなんじゃないかって頭の片隅でいつも思って過ごしてた。明日には、明日にはにこにこ笑ってあいつが帰ってくるんじゃないかって。びっくりした? とか言って。



 だけど、そんな日がくることはない。



「……さん、彩月さん?」

 気づくと、天使が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。


「ごめんなさい、彩月さん。僕の力不足で……」

「ううん。違うよ。——私だよ」


 考えようとしなかった。向き合おうとしなかった私のせい。


 うなだれるミカの手を握る。


「ミカ、お願い。私会いたい人がいる。海にいるの。その人は海で死んだの。

 私、ずっと考えないようにしてた。知らないふりして、平気なふりしてたの。ミカが来てくれなかったら、たぶん一生そうしてた。

 お願い。会わせて、ミカ。お願い……」


 最後は声が震えて上手く言えない。

ミカは口をきゅっと結んで、私の話を聞いていた。キラキラした緑色の目で、まっすぐに私を見て。


「彩月さん、このまま目をつぶって。その人のこと考えて」


 ぎゅっと目を瞑り、言われた通り意識をあいつに集中した。



「あなたの願い、確かにうけました。僕が叶えます」



 何もない瞼の裏がぼんやり白く光る。




「目を、開けてください」



 そこは夜の砂浜だった。異様な海。目の前には、真っ二つに割れた海。剥き出しになった海底は一本の線のようで、奥がうっすら光って見える。



「これ、ミカが……!?」



 ミカが私の手を引いて立ち上がらせてくれ、そっと背中を押す。



「まっすぐです。彩月さん。僕もついていきますから」



 この道の向こうで私の願いが叶う。私は、前を向いて歩き出した。

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