狐のお嫁様

「なんで君が出てくるかな」


「そこに参拝客が居たから」


社務所で正座を強いられている千秋は不服そうにそう答える。

目の前の仁王立ちの若い男は、スクエア型の黒縁メガネをクイッと右手の中指で上げて、ため息を1つ。でたー堅物ポージング、と千秋は心で毒を吐く。


「どうして僕が彼女達を踏み入らせないようにしているのか、知らないわけじゃないだろう。前々から思って居たが、千秋、君は本当に人間か?最近は獣の類じゃないかと疑う事さえある。大体君は昔から…」


グダグダと彼の長い説教が始まった。昔の話を掘り返しては、あの時もこうだった、この時もこうだった、あぁそうだそういえばあれも、といった具合に芋づる式に叱りつける理由を掘り返してくる。長生きのくせに、記憶力が頗るいい。「あの時だってあれ程、紅藤べにふじにシールを貼るのを止めるように言ったのに」と随分古い話を引っ張り出して来た所で、シールを貼られた張本人である紅藤から「トキ様、それは千秋様が4歳の頃の話でございます」とトキの説教に割って入ってくれた。


「4歳だ。たったの10年前の話だろう」


「トキ様にとっての10年は薄氷うすらいのように浅い時間に感じましょう。ですが、人間にとっての10年は分厚い氷床のようなもの。特に4歳ならば、千秋様とて明確な記憶は一層見えないでしょう。」


「…そうか、やはり感覚が掴めないな。」


「4歳の千秋様を思い出して見てください。あんなに幼く、何もできなかった千秋様が、今ではこんなに立派になられています。それだけ時間が経っているのですよ。」


紅藤は涙を浮かべて千秋を見る。カラスって泣くんだ、なんて事を思いながら千秋は顔だけは反省したように眉をハの字にして小さく頷く。

トキは正座したままの千秋に目線を合わせるように腰を下ろす。


「いいか、千秋。君は20歳になり、人間として大人となる通過儀礼イニシエーションを終えれば僕の花嫁にならなければならない。君が嫌がったとしても、僕が嫌がっているとしても、だ。僕たちが生き延びるにはそうするしか他に手段がないことはわかっているはずだ。そうだろう?」


「わかっているわよ」


そう、千秋もわかっている。忌々しいこの呪いを。

なぜこのご時世に、得体の知れない生き物の嫁にならなきゃいけないのか、理解が出来ないだけだ。


千秋は生まれつき、体が恐ろしく強かった。


風邪をひかないどころか、周りが当たるような食べ物を食べても一人だけピンピンしていることもあったし、車道に飛び出して車とぶつかっても車体の方が重症だった。

生まれてしばらくした頃には、秋口に揺れる可愛らしい紅葉のような手でリンゴを握りつぶすほどの怪力を発揮していて、小学校に入学する時には米俵1俵を担いでいた。


それは全てーー千秋の前でまるで彼女を化け物を見るような目で見ている、どちらかといえば化け物側に立つーー妖狐・トキとの呪いのせいなのだ。


トキは、彼の使い神である紅藤によれば、とても高貴で力の強い妖狐らしい。昔はそれは名を馳せた神様に近い妖怪で、彼を見ればありとあらゆる生き物がひれ伏すほどだったとか。

千秋からすれば、貧弱で、力も弱い、神経質で小うるさい男にしか見えない。いちいち重箱の隅をつつくようなことばかり言うし、挙げ句の果てには「勉強しているのか」とか、「制服のスカートが短い」とか「待ちなさい。生徒手帳によると制服のスカートのひだの数が決まっているじゃないか」とか言い出す始末だ。


こんな奴が、世間では千秋を守るために云々と言われている。千秋にとってはちゃんちゃらおかしい。全く逆だ。

トキが弱ればそれは、山の結界に何かが生じている証で、それを解決しに行くのは昔から千秋の役目だった。結界にイタズラを仕掛けていた鬼を退治した時はいったい自分は何者かと思った。


「千秋、トキ様、ご飯の時間よ」


千秋の母が引き戸を開けて、社務所に入ってくる。開いた戸からふわり、カレーの匂いが溢れてきて千秋は「何カレー?」と笑う。母が「コロッケカレーよ」と答えると、千秋は勢いよく立ち上がった。


その反省のない様子にトキが1つため息をつくと、外で風が強く吹いた。


千歳山に闇が落ちて、静けさばかりが強調されてきた。

これからは妖怪たちが騒ぎ出す。

世闇は妖力を高め、元の淀みに姿を変える。

けれど彼らの本当の姿を隠す。妖怪にとって、何をするにも、何を食らうにも丁度いいのが夜である。


本来ならば、トキも妖力が高まって人の姿から狐の姿になるそうだけれど、聞けばもうここ数年はそれすら出来ない程に力が弱くなっているとか。千秋の祖父や父はトキの本当の姿を見たことがあるらしい。嫁いできた母は一度も無いと言っていた。


「千秋様が生まれるまでの1000年間、ようご存命でいてくださったと、紅藤は思うわけです」


トキの姿を見ながら、紅藤はよく千秋に語っていた。少なからず彼は、千秋の存在に救われているらしい。本人からはそういうものは一片も感じられないけれど。


ダイニングに向かうと、祖父と父がすでに食卓についていた。紅藤はスラリ、と飛んでこの家にずっと昔からある古い止まり木スタンドに止まった。


「パパ、明日いないでしょう?御朱印のストックだけ準備しておいてくれる?」


母は炊きたての白いご飯にカレーを掛けながら話しかける。父は「参拝客がいるなら、書く気も起きるけどなぁ」と呟く。祖父は「備えは備えだ。ばっちり書いときなさい」とカレーを箸で食べ始める。


「美代子さん、千秋にはちゃんと人参を食べさせてください。人参に含まれるカロテンは免疫力を高めてくれます」


「げっ!いらない!ママ、私人参いらない!」


「あら、なぁに?好き嫌いはダメよ千秋ちゃん。でもトキ様、安心して。人参はすりおろして入れておいたから」


母の言葉にトキは「さすがです」と頷く。この二人は割と気があうらしい。

千秋は観念して食卓につき、スプーンでカレーをほじくると、トキが「行儀が悪い、やめなさい」とピシャリ、言い放った。


本当に面倒くさい。

この狐の嫁になる事が決まっているなんて、自分はなんて可哀想なんだろう。そう思いながらカレーを食べると、トキは「使わない方の手は、皿に添えなさい」と加えて千秋に指導した。


灰塚千秋、14歳。

口うるさい妖狐・トキに正式に嫁ぐまであと6年。

それまでにどうにか呪いを解いて、トキから解放されねばならない。

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狐のお嫁様 夏目彦一 @natsume151

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