狐のお嫁様

夏目彦一

千歳山の千歳神社

「着いた!」


「ねー、リカ。ここ大丈夫なの?」


「そうだよ…なんか、幽霊も妖怪もピエロも出るらしいよ!」


「マナミ、ピエロ怖いの?」


「ピエロ怖いじゃん!アイちゃん、”IT”見てないの!?」


「マナミもアイもビビりすぎ!神社にピエロなんかいるわけないじゃん!」


「いや、私は六法全書的に大丈夫か心配なんだけど…」


「リカちゃん、やっぱりやめようよ〜!」


「いるならせめてカッパっしょ!?」


「カッパー!?無理無理、無理だよ〜!」


「マナミ、カッパも怖いの?」


「カッパはダメだよ!お尻の穴から手を突っ込んで、尻子玉抜くんだから!」


「っつーか尻子玉って何」


廃校になった学校の裏には、あまり人が立ち入らない山がある。”千歳ちとせ山”と呼ばれるそこは、肝試しの若者すらあまり立ち入ることのない、薄暗く、夏場でも何故かひんやりと肌寒い山だ。

その山の麓には小さな朱色の鳥居がある。

この鳥居、何千年も昔からあるものらしいのだが、つい昨日建てられたように色鮮やかで美しい。何千年も昔から、というのが嘘か真かはわからないけれど、豪雨や台風、大きな地震に火事…全てを経験しても倒れるどころか、傷1つつかない不気味な鳥居だ。

町の人たちは皆、何か曰くがあるんだと昔から信じて滅多に近付かないのだけれど、昨今「パワースポット」という言葉が世の中を賑わすようになったためか、この不気味さを何か、人以外のものの力があるのだと確信してこうしてやってくる人がちらり、ほらり、と現れた。


「ピカピカなんですけど、鳥居が」


「よーし!入るよ!」


「待って待って、待ってよ〜!入るならスマホのカメラ起動するから〜!」


「怖いのに写真撮るんかい」


「何かあっても大丈夫!アイは霊感強いし、なんとかなるなる!」


「人とそうじゃないの、見分けつかないからわかんないよ、私」


時刻は18時を回ったところ。

夕陽の明かりを頼りに三人は朱色の鳥居を抜けて、長く続く石の階段を登っていく。


噂に違わず、なんとも不気味だ。

鳥居を抜けただけで空気が違う。後ろを振り返ればさっきまで騒いでいた歩道なのに、もうそこには戻れないような気さえする。


アイはただ1人、ただならぬ空気を感じながら「あぁ、やっぱり何かいるんだな」と思っていた。そしてそれがピエロやカッパではないだろうけれど、間違いなく人ではない事も感覚で掴んでいた。


鳥居から山の中へと続く石段は酷く古びている。1段目を登るともう音を立てて少しだけ傾いた。石段以外の斜面には木や伸び放題の雑草と、その間から顔を出す【この先千歳ちとせ神社】という古く、おどろおどろしい看板しかない。


「雰囲気あるー!」


リカはご機嫌だ。

彼女はパワースポットだろうが、心霊スポットだろうがとにかくそういう類が好きで暇があれば訪れている。

それに昔から付き合わされているのが幼馴染のマナミだ。マナミは怖い怖いといいながらもスマホでシャッターを切りまくっている。多分後からインスタグラムにでもハッシュタグ付きであげるつもりだろう。

そんな2人に高校で出会ったアイもまた、こうして付き合わされているのだ。


「ここね、”一歩立ち入れば悪が憑き、二歩立ち入れば祟られる”んだってー!何があっても近付くな、何があっても立ち入るな。それはこの辺りではもう決まり事で入った先に何があるか、何が起こるかはわからないらしいよ!ワクワクしない!?そういうの!」


「しないよ〜!リカちゃん、なんでそんなに楽しそうなの〜!?」


「だって、変に恋愛成就とかよりよっぽど何か、霊的な力を感じない!?」


リカはズンズンと石段を登る。その足取りに迷いはない。アイは1つため息をつきてそれに付き合う。ふと、目線を石段の横に逸らすと彼岸花が1輪。見た事も無いような、綺麗な淡いピンク色。なんとも雰囲気があるなぁ、とそれを眺めて歩く。彼岸花は1輪、また1輪と増えて、あっという間に視界に映る範囲が全て彼岸花に包まれていった。


「彼岸花とか、また似合うよね!こういう雰囲気に!」


「わ〜!こんな色、初めて見た〜!インスタ、インスタ!」


2人がスマホのシャッターを切っている横で、アイはふと、その中の1輪を見る。なんてことない彼岸花が、つ、つ、と揺れていた。


「なんで風もないのに、あれだけ揺れてるんだろ」


アイの言葉も聞こえず、マナミとリカは自撮り棒を取り出して彼岸花を背景に自撮りを始めていた。

つ、つ、つ…相変わらずゆっくり、まるで何かが突いているように揺れる彼岸花は、一度その動きをパタッと止めると、勢いを付けたようにけたたましく揺れ始める。


「マナミ、リカ、もう降りるよ」


アイの言葉に2人がパッタリと動きを止めた。

アイは霊感が強い。けれどいつも彼女が何かが見えていたとしても2人を制止する事は無かった。


➖人とそうじゃないの、見分けがつかないからわかんないよ、私➖


そう、見分けがつかないのだ。

大抵生きてるか死んでるかわからない。今までもそこに何がいても、見分けがつかないからわからなかった。あぁ、じゃああれって幽霊か。そういうことばかりだった。2人がアイを見ると、一点を見たまま、丸みを帯びた額に冷や汗をかいている。


「マナミ、リカ、もう降りるよ」


アイはもう一度、静かにそう言った。

サワサワと、まるで泣いているかのように彼岸花が揺れる音がする。2人は何もわからないけれど、アイの言葉に従うようにテンションを落としてスマホと自撮り棒をしまう。


彼岸花は揺れる。

激しく、激しく、アイの目の前で。

まるで誰かが揺さぶっているんだろうか、ぐんぐん、ぐんぐんとこちらを見て笑っているようだ。

そうしてついに、ポキリ、と折れた。


「彼岸花、差し上げましょうか?」


急に聞こえた声に三人の肩が跳ね上がった。

石段の上から、誰か降りてくる。


トン、トン、トン。


三人は目を離せなかった。

薄っすらと見えてきた足元は、なんと子どもだ。


「な、なんだ子どもか」


リカの小さな声が聞こえた。

子どもだから気味が悪い。アイは気を緩めずにその子どもをじっと見る。マナミはもう、半分涙目だ。


小学生か、中学生くらいだろうか。

生白い肌に、ブルーのワンピースに栗色のロングヘア。 女の子はいつの間にか、あの折れた彼岸花を持っている。


「お姉さん達、彼岸花を見にきたの?」


女の子は少しの距離を保って足を止めた。

リカが「そ、そうだよ!」と大袈裟に明るく振る舞うけれど、緊張感にも似た恐怖が辺りを張り詰めている。


「そうなんだ。変わった色の彼岸花なんだけど、私達しか見る人がいないんだ」


「私たち?」


「うん。私と、お母さんとお父さんと、あとお爺ちゃん」


「あぁ、ご家族か…びっくりした」


「近くに住んでる子かな〜?」


アイは全く何も言葉を発さない。元々あまり口数が多くはないからか、マナミもリカも大して不思議には思っていないようで少し安心したような顔で女の子に話しかける。


「もう暗くなるから、うちに帰った方がいいよ!」


「ありがとう。でも私のうち、この上なの。この階段を上った所にある神社。」


「神社の子なんだ〜」


「そりゃ、どんな噂があろうとも、管理してる人がいるよね普通」


「お姉さん達は、神社には行かないの?おみくじもあるよ」


「おみくじ!」とリカの目が輝いた所で、アイがはっきりと「行かない」と一言放った。

まるで、放たれた矢のような鋭い声だ。

マナミとリカは顔を見合わせる。アイはやっぱり額に汗を光らせたまま、女の子から目を離さない。アイはまるで、捕食者がどこにいるのかを把握しておかなければならない獲物のような気分だった。


「そっか…割といい神社なのに。」


「このまま石段を降りて帰るわ。2度と来ない。」


「…アイお姉さんは、霊感が強いんだね」


ゾワゾワと背中を生ぬるい何かが走る。

マナミが「何でアイちゃんの名前知ってるの…?」と声を絞り出してみたものの、リカもアイも答えなかった。


「わかるよ。鳥居をくぐっちゃったらね、私、なんでもわかるの。リカお姉さんが毎月バイトして貯めてるお金の金額も、マナミお姉さんが好きなカオル君に本当は彼女がいる事も、アイお姉さんのお爺ちゃんがかなり”力”が強いお坊さんだってことも、全部わかるよ」


アイは2人の手を掴むと、そのまま上ってきた石段を走り降りていく。


「な、何々!なんでわかんのあの子!」


「カオル君好きな人がいたの〜!?」


「言ってる場合じゃないでしょ!早く!出るよ!」


三人はバタバタと駆け下りていくけれど、行けども行けども彼岸花の咲いた空間が消えない。

しまった、とアイは思った。


➖中途半端に力がある事が一番怖いから、あまり曰く付きの場所には近付いちゃいけないよ➖


祖父の言葉がどこからか聞こえた気がした。

まだ抜けない、まだ彼岸花が咲いてる、そう思いながら急いで駆け下りていくとようやくあの鳥居が見えてきた。

三人がその鳥居をくぐり、再び歩道に降りて振り返るともう女の子も、あの淡いピンク色の彼岸花もなく、あたりは薄暗いただの夕暮れだった。


アイはそのまま2人もつれて、祖父の寺に向かった。悪いものだったらいけない、自分が付いていながらなんて馬鹿な事をしたんだろう。責任感と不安でいっぱいだった。寺に向かう道中、三人は一切話しをしなかった。辺りが当たり前に暗くなる。どうしようもなく怖い。自分達が見たものは何だったのだろうか。寺について、作務衣姿の祖父をみた瞬間、アイは崩れるように倒れこんだ。


「千歳山に入ったんか、お前達」


ソファーに横になったアイの代わりに、リカが頷く。


「あははは。そらー大変じゃったな。何、悪いことはなーんもなかろう。ただ、冷やかしに入ったからちょっとばっかり、狐につままれたのよ」


「狐?」


「あそこはな、日本でもかなり古い神社で、私たちみたいな仕事の者にはかなり有名な話じゃがな。”千歳山”の中腹にある”千歳神社”には、千年に一度だけしか女の子が生まれないんよ。ただそこに生まれた女の子は強い神通力を持っとって、それ故に必ず狐の嫁に出されるんだわな。」


「え〜そんな、またまた〜」


「まぁ、信じるも信じないもお前達の自由だけどな!私は入ったことはないけど、仲間の1人が昔入ったって言っとったなぁ。綺麗なとき色の狐を見たとか言っとったが、もう随分昔の話で、まだ女の子が生まれてない時期だったからすんなり入れたんだろう。女の子が生まれた後は、狐がその子を奪われないようにしんから守ってるから、神社まではたどり着かんよ。」


「鴇色って?」


「まぁ、綺麗な柔らかいピンク色さ」


「それって…」とアイは体を起こした。

あの彼岸花の色だ。確かに、あそこの彼岸花は綺麗な淡いピンク色だった。


「マナミ、写真撮ってたよね?」


「今確認してるけど…おっかしいなぁ…全部消えてるの〜!山の写真だけじゃなくて、全部!」


「はっはっは!これはこれは、嫉妬深いお稲荷さんだ!見る限り、何かが憑いとる気配もないし、まぁ近づかないことだなぁ。」


「もし憑いてても、私じゃ祓いきれんからな」と笑いながら言う祖父の言葉に、アイは力強く頷いた。


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