今宵きのこ雲の下で、君と踊ろう

糾縄カフク

The bombs of a distant state.

 ――それは多分、傍目にはひどく美しい、真夜中を照らす白夜だった。




 あれは十月四日の夜。何でも前年にヒットしたアニメの中で、彗星が落ちた日だとかで、僕は何気なく空を見上げていた。もちろん現実にそんなロマンティックな出来事が起きる訳も無いんだけど、その時つき合っていた彼女が、ちょうど作品の舞台となった信州に住んでいたって事もあって、なんだか奇遇だねと笑いながらLINEしあった事を、朧げにだが覚えている。


 新宿の四ツ谷、築年数もそこそこのマンションに住む僕は、確かに位置関係だけを見れば劇中の登場人物とそっくりそのまま。だからもしかしたら、これは僕と彼女は運命の糸で結ばれているんじゃないかって、少なくともその時は、僕は本気で信じかけていた……いや、信じていたと断言していいかもしれない。――ただ悲しい事に全ては過去形で、彼女がどう思っていたのかは、今となっては知る由もない。




 あの日、往復で何度目になるか分からない彼女からのLINEが届いた直後、俄に鳴ったのはJアラート。その事をTwitterで呟いた僕は、また飛んできたみたいだぜと冗談めかしてLINEで返した。だけれど彼女から返事が届く事は、二度と無かった。


 ――それから空が光った。幾千万の花火に、一斉に火を付けて打ち上げたかのように。遠い空はぽっかりと出来た太陽に飲み込まれ、僕は何が起きたのかさえ分からないまま、ただ呆然とその光景を見つめていた。


 次に埋まったのはTwitterのタイムラインだった。知古の安否を気遣い、避難を呼びかける誰か。乱打され目まぐるしく回るリツイート。或いはそれらは、数年前の大震災を思い起こさせるような情報の濁流。――そこで僕が漫然と推し量れたのは、どうやらこの日本のどこかに、何か爆弾が落ちたらしいという事だけだった。


 母さんが慌てたようにリビングに駆けてきて、おもむろにテレビを点ける。僕は背後が未だにピカピカとしているのに、うろうろとソファに座り、目の前に流れる映像を眺めていた。緊急速報を示す報道のテロップが、どのチャンネルでも番組の上に覆いかぶさっている。


 母さんはスマホを取って、父さんに電話をかける。僕もそうだ、あいつは無事なんだろうかと彼女の事を思い出し、そうしたら途端に不安になってLINEを見る。彼女からの返信は無い。――通話をする、誰も出ない。電話をかける、繋がらない。Twitterを見る。呟きはない。


 最初のアラートから五分もしないうちに、飛翔体が落下した地域がおおよそ特定され、テロップに表示される。――長野県全域に避難警報発令。母さんは慌てたようにカーテンを閉め、自室へと走っていく。そのとき僕は何か声をかけられたような気がしたが、内容を思い出せない。


 ――長野県全域に、避難警報発令。

 その言葉を幾度も脳内で反芻した。長野県全域に、避難警報。長野県全域に、避難警報……長野県、長野県諏訪市。そこは、彼女が住んでいた街、その場所だった。





*          *





 翌日。僕の学校は臨時休校となり、事のあらましはこう伝えられた。


 楽園ラグォン。――主体北圏楽園三八共和チュチェプラグォンサムバルゴンファグクより発射された飛翔体が、長野県諏訪湖近辺に落下。現在被害状況は精査中なれど、推定死亡者数は数万人に上る可能性あり。塩尻、伊那、茅野を結ぶ三角形の地域は封鎖され、現在は自衛隊による救護活動が行われているとの事。


 ――言うまでも無いと思うが、楽園ラグォンというのは、半世紀も昔、お向かいの半島の北方に生まれた独裁国家だ。背後に控える大中華人民連合を始め、旧共産主義圏とは親密な一方、リユナイテッドステイツ――、すなわちRUNAとの関係は宜しくない。とどのつまり、そのRUNAと同盟関係にある日本に対しても牙を向いている訳で、その虚勢の如き動向は、一種の風物詩のように日々報道を賑わせていた。


 曰く、米帝への鉄槌。曰く、その犬たる日本への誅伐。将軍様の烈火の如き怒りは天を衝き、やがて列島そのものを灰燼に帰さしめるであろうと、手を変え品を変え、されど似た文言で吠える斜陽の国家。国民の大半が飢えに苦しんでいるにも関わらず、丸々と太った指導者の恫喝は、わめいて飴玉を貰う面倒なクレーマーのようなものだと、恐らく大半の日本人はそう認識していたに違いない。――なにせキャンキャンとよく吠えるのは力の無い小型犬と、相場は決まっている。


 事実、ここ最近になって活発化した長距離ミサイルの発射実験も、それより台風のほうが恐ろしいといった具合で、著名人の中にはたびたび鳴るJアラートに露骨な不快感を示す者さえ現れる始末だった。曰く落ちてくる訳もないミサイルに鬱陶しいだとか、過剰反応を示すからよくないだとか。――最も僕も同じ穴の狢で、日本のどこかにミサイルが落ちて爆発すれば、学校が休校になるかもなどと思ってみたり、代わり映えの無い日常にちょっとしたハプニングがあったっていいじゃないかと不謹慎にも考えていていたのだから、そうそう他人の事は言えたもんじゃない。


 だが実際のところ、どうやらミサイルは落ちてしまった。飛翔体という文言が今のところは使われているが、早晩に核か水爆か、被害の目星がついた時点で発表がなされるだろう。相変わらずTwitterは情報の錯綜で酷い有様だが、そんな状況だからこそ、正確を来そうというのが政府側の狙いなのかも知れない。


 しかして政府がいかなる見解を示そうとも結構と、父さんと母さんはとっくに非常時の支度を終えていて――、それは先の震災の直後に揃えたものなのだそうだけれど、防災セットに持ち出し袋と、万が一への備えは整っているらしい。片やの僕はというと、取るものも手につかず、ただリビングのソファーに座ってぼうっとしている。


 あれからありとあらゆる手段で彼女の安否を探ろうとした僕だが、そのありとあらゆる手段は須らくが無為に帰した。相も変わらず連絡は取れず、彼女の通う学校にも電話は繋がらないままだ。


 正直、おぞましい想像が鎌首をもたげてはいる。この際だから敢えて言うが、爆弾が落ちたのは諏訪市は、すなわち彼女が住む街そのものだ。何が炸裂したのか、想像を働かせたくない所ではあるのだが、何よりも僕自身が、夜を切り裂いたあの光を、否応なしに目に焼き付けていた。


 きのこ雲、というよりは巨大な太陽。見覚えのあるそれは、学校の授業で嫌というほど見せられた原爆の映像。既にネットではアレが何であったかは割れつつあるようだが、もしそうだとすれば、地震の時のように人の生存を願うのは余りに無謀だろう。




「――ちょうどこの時間なんよ、映画で彗星落ちて来たん」


 LINEの最後のほうのやりとりで、彼女は確かにそう言っていた。昨年ヒットしたアニメ映画は、彗星の衝突で命を失ってしまった少女を、主人公の少年が過去に戻って救おうという内容のお話だ。


「っぽいな。俺も今、ベランダから空見てる」


 彼女に限らず、人と話す時は一人称を俺にする僕。東京と信州。ちょうど映画の二人のように離れて暮らす僕たちが、この作品に惹かれたのは無理も無い話だった。いやそもそも。ファミリー向けで無いにも関わらず、歴代興行収入の二位に食い込んだというのだから、僕たちでなくとも足繁く観に通ったのだろう。


「うちも外出てって、空見て来ようかなあ」


 風呂上がりだよとすっぴんの自撮りを載せて、ピースする彼女。さいきん僕の趣味に合わせてくれたのか、黒髪をショートカットに切ってくれたのが嬉しくて、僕はイイネの代わりにかわいいと返す。


「なんも降って来ないって。でも長野の空は、彗星とかなくったって、キレイだろうなあ」


 会話の合間にえへへと笑顔のスタンプを押してくる彼女。そこでお前のほうがもっとキレイだけどなと打ちかけて、流石にそれは気障だなと僕は手を止めた。


「他にはなんもないけどねえ。田舎は空気と空だけはキレイキレイ」


 今度また、あのアニメ一緒に見ようねとスタンプを返され、僕も同意の絵柄で返事をする。次はいつ来る? と。


「――うん、じゃあ今度の週末、遊びにいこっかな」


 暫しの沈黙の後、不意に呟く彼女に、僕も胸の高鳴りを隠せずに答える。件のアニメの監督の初期作品には、宇宙と地上に引き裂かれる恋人の話があったけど、幸いに僕たちの距離はそこまで離れていない。


「ああ。ブラブラして、映画でも観よう」


 上諏訪から新宿までは中央線で一本だから、特急なら二時間半。在来線でも五時間あれば十分だった。


「じゃ、今度の週末」


 手を振るスタンプと、走っていくスタンプ。どうやら夜空でも見に行ったんだろうなと僕は慮って、彼女のLINEはそこで終わった。


 


 ――そうだ。中央線で、一本。

 見直したLINEで思い出した僕は、ちょっとコンビニに行ってくると言って家を出て、迷う事なく新宿駅へ向かった。服装はクルーネックのシャツの上にジャケットを羽織り、足回りはエンジニアブーツで固めた。荷物は登山だとかで使う上部なリュックに、思いついた諸々を詰め込んでいる。流石にこの格好を見られればちょっとコンビニという手合でない事は否が応でもバレてしまうが、運良く母さんには見つからなかった。


 その日パートが休みだった母さんは在宅なれど、父さんは今日も仕事。日本人の正気を取り戻させてやると楽園ラグォンの将軍様は意気も軒昂だったが、結局日本人はこんな事態になっても出勤を止められないらしい。きっとサラリーマンは砲煙弾雨の中だって、鞄をヘルメット代わりに山手線にかけこむのだろう。それでも普段よりは大分空いている新宿駅を経て、僕は山梨行きの電車に乗り込む。運休を懸念した所ではあったのだが、そこはやはり日本。長野に至るルートが制限されているだけで、隣県の小淵沢までは問題なく動いていた。


 僕は電車の中で、背負ってきたリュックサックを確認する。そこには家からくすねてきた乾パンの缶と、非常用の水が入っている。うろ覚えで突っ込んできたものだからどこまで役に立つかは分からないけど、財布には三万円。他にデビッドカードが一枚あるから、少なくとも長野との往復に支障は無い筈だ。新宿から小淵沢までは、特急なら約二時間。そこから徒歩で山を越えれば、数時間で上諏訪に到達する算段だった。地震のようにいつまた揺れるか分からないという状況では無い以上、検閲らしきさえ突破できれば何とかなると高をくくる。


 揺られる間ずっと聞き続けているラジオと、ネットのニュースの限りにおいては、どうやら日本と同盟諸国は、楽園ラグォンに対する武力制裁の方針で一致を見つつあるという。さらに悪い事に、これに呼応する様に件の将軍様も、自らの及ぼした被害の甚大さについて殊更に強調しているらしい。片や国土に損害を齎された日本と、片や面子の為にはなりふり構わないラグォン。だからこの物語の結末は、きっと背筋のぞっとするものになるんだろうなと僕は内心で慄く。


 現状だけを鑑みれば、ラグォンに戦争の意図が無かった事は明白だろう。なにせミサイルを落とすのならば首都や、それに相当する都市部を狙うのが常套だ。言い方は悪いが、あんな山奥に一発ぶち込まれた所で、国家そのものに対する損害は微々たるものでしかない。――勿論、奪われた人命には代え難い尊さがあるのは、事実としてもだ。


 だから間違いなく、今回の一件はラグォン側の不慮の事故。そう捉えるべきだろうと僕は思う。だけれど多分、世論という化物はそう動かないだろうとも慮る。幼い頃に見た、貿易センタービルの崩落をきっかけに始まった、中東での長い長い戦争。きっとああいう何かが起こるのだと悪い予感を胸に、僕は小淵沢で駅を降りる。


 すると気がつけば母さんからLINEが入っていて、そういえば連絡を忘れていたなと、僕は今の状況について簡潔に返す。僕の彼女が長野に居る事は両親だって知っている訳だから、まあ釈明は後ですればいい。うまくすれば今日中に帰れるし、そうでないならそれはその時だ。僕とても冷静を努めてはいるが、恐らくこの行動からして既に冷静ではない。その程度は理解できているが、じゃあ何もしないまま日常を過ごせるかと言われれば、それは些かに難しい。――だってそうだろう? 大事な女性ひとの安否も分からないまま、明日おとなしく学校に通えるかというのは、余りに人心を無視した、酷な問いだ。これが地球の裏側だとか言うのならまだ分かるが、電車一本で行ける所を躊躇できる程、僕は人間ができてはいない。



 

*          *




 僕が目にした限り、小淵沢の駅はそれなりに混んでいた。普段は何もないであろう駅前のロータリーには、報道陣の車と覚しきがずらりと並び、観光案内所にはちらほらと自衛隊員の姿も見える。私服でカメラの類すら持ち合わせていない僕は、さも一般人ですとばかりにホームを降り、近場の食堂で飯を頼む。ここから徒歩二十キロで諏訪と考えれば、体力勝負を前提とした栄養補給は必須だったからだ。


「いらっしゃい」


 ランチタイムよりはまだ前だというのに、店内もまた混んでいる。立ち入りを規制された記者たちが、ここで腹ごしらえをしているからだろうか。ちらと一瞥すれば、確かに取材許可証らしきを首からぶら下げている面子が多い。


「……やっぱり核だそうだ」

「……諏訪は全滅らしい」

「黒い雨か……」


 報道管制をすり抜けたであろう情報を元に、男たちはこそこそと喋っている。しかし興奮を隠しきれないのか、或いは絶望がただ漏れているのか、その声は微かに、されど確かに僕の耳に入ってきている。とろろそばを頼み、それを口に掻っ込み、飽くまでも無関心を装いながら僕は小腹を満たす。


「ありがとうございました」


 店員の声を背に店を出る僕は、地図を頼りに可能な限り細い道を選んで歩いて行く。諏訪へと続く国道20号線と中央道は閉鎖されていると聞いたから、そこを避けるように進まなければならない。そういう意味では進入路が限られる小淵沢〜茅野のルートは、中々に突破の難しいものであろう。




 目でグーグルマップを見、耳ではラジオを聴きながら歩を進める僕。幹線道路から外れようとするとどうしても遠回りになり、想定の倍の時間で中腹の金沢温泉までやってくる。気のせいか黒い粉や灰らしきが、風に舞っているように思う。それから、何かが焼け焦げたような……嫌な臭い。


 そこから少し。この坂を超えれば茅野の駅が見えるという所で、大規模な非常線を目にし、僕は西側から山へ上るルートを選ぶ。位置的には松本駐屯地の第十三普通科連隊か。二つの幹線道路に中央本線が合流する貴船神社周辺は、恐らく最後に網を張るには丁度いいのだろう。地図を見る限りでは、ゴルフ場を迂回する事で市街に出れる筈だった。


 山の木々はみな南の方向に傾いていて、彩りかけた紅葉は須らく地に落ちている。そしてその間に間には、燃えカスや何かの破片が転がっている。山を上るにつれ嫌な臭いは徐々に薄れていったが、道には黒い筋が涙の様に伝っている。たぶん恐らく、あの爆発の後に降ったという雨の名残なのだろう。


 しかして図らずも頂上まで至った僕は、さりげなく見下ろした眼下の光景に絶句する。想像は確かにしていたし、予習が全くないほど不案内だとは思っていない。だが、それにしたって。


「――街が」


 そう呟いたきり、言葉が出てこなかった。諏訪湖があったであろうそこは完全に干上がっていて、大きなクレーターのようにぽっかりと穴が空いている。だから東端に位置する上諏訪の駅は影も形も無く、辛うじて銀行や病院の跡地だけが原型を止めているに過ぎなかった。


 巻き込まれたのは諏訪湖を挟んで北の岡谷市と、南の諏訪市。だけれど逆に言うなれば、この山間の窪みに落下した事で周囲への被害が抑えられたとも言えるだろう。こんな有様で人が生きているのだろうかと漠たる虚無を抱きながら、それでも駆け足で山を下った僕は、あたかも現地人であるかのように振る舞いながら街を歩く。


 瓦礫、瓦礫、瓦礫。そこかしこに残るのはかつて建物だったものの残滓。黒焦げの死体が転がり、それらを選別するように自衛隊員たちが運んでいく。こうなっては身元なんて分かる訳もないだろうと慮る所ではあるのだが、僕は僕で、彼女の家の住所を地図に入れ、せめてその場所にたどり着こうと歩を進める。


 ……だがそこにはもう何もなかった。具体的に言えば瓦礫の山があるという、この界隈では有り触れた光景な訳だが、それはとどのつまり、少なくとも彼女の一家は無事では無かったという証左でしかない。壁にこびり付いた黒い影から目をそらすように僕は、僕は彼女の行く場所は他に無いかと必死で考えを巡らす。


 一縷の望みに賭けるとすれば、夜空を見る為に彼女が家を離れていたであろう可能性。ここから夜景の美しい場所を探すならそれは山間の立石公園ぐらいしか無く、僕は縋るように坂を上る。


 もはや異界とも呼ぶべきこの光景の中で、不思議と理性を保てている自分がそら恐ろしくはあったが、逆に言えば余りに非現実的で脳の処理が追いついていないだけなのかも知れない。神社の鳥居を抜け、うねった道を走り公園のある場所にたどり着く。


 かつて僕が長野に来た時、彼女と一緒に上ったのがこの公園だ。ここから見る景色がアニメのワンシーンとそっくりだった事から、これで聖地巡礼だねなどと笑いあったのが懐かしい。――もし、もし彼女が星を見に来るとしたらここ以外に無い筈なのだと辺りを見回し、僕は一歩一歩あたりを探る。


 根拠の無い楽観がガラガラと音を立てて崩れ、避けようの無い最悪の結末が横たわっている可能性にぶち当たる。明日があるさと言祝いで、当然の如く繰り返されていた数多の今日が、不意に断ち切られる事実に恐怖を覚える。まさかそんな事がある筈はないと、日本に生まれ、日本で育ったおめでたい脳味噌が、永劫に続く平和と安寧を嘯いて憚らない。


 ――だが。

 椅子に座ったままの黒い人形に目が止まった時、僕は、僕は。ようやっと現実に引き戻された。週末ともなれば人で賑わうこの場所も、平日の夜は閑古鳥だ。本来ならカップルで訪れるべき展望台に、たった一人で座る女性の目的はなんだろうか。結末を推し量りつつもそうでありませんようにと祈りながら、恐る恐る近づく僕は、人形と椅子の陰に落ちたスマートフォンに気がついてしまう。


 そしてそれを手に取る。電池はまだ残っていて、どうやら動作も問題はない。形状はiPhone。数年前のモデルで、だけれど劇中のヒロインが使っていたのだからと馬鹿にされると彼女が怒った。持ち上げた瞬間ボロリと焼ききれて地に落ちたストラップは、二人でお揃いでと買った、映画のアニメのものだった。


 その瞬間。俄に胃を逆流する吐瀉物を抑えきれず、僕は初めて嘔吐した。これまで封じ込めていた何かが一斉に溢れるように零れ出て、ぐしゃぐしゃになる視界の中、たぶん目の前の黒い人形を抱きしめて、彼女の名だけを呼んで叫んでいたように思う。記憶は無い。僕の記憶は、その前後で明確に途絶えた。




*          *

 



 それから僕が目を覚ましたのは、曙橋の病院だった。母さんの曰く、死体らしきに縋り付いて泣いていた所を自衛隊員が発見。離れるように説得するも効果が見られず、正気を失っていると判断された事から精神安定剤を投与され、防衛省付近の病院まで搬送されたのだという。僕の住所や連絡先は身分証から割れ、連絡を受けた母さんが僕の旅の目的について弁明してくれたらしい。機構と両親から軽い叱責は受けたが、僕は僕で放心状態で、学業への復帰には一週間を要した。


 物見遊山というでは無しに、彼女の安否を気遣ってという部分に配慮して貰えたのか、十月の半ばには彼女と彼女の一家の明確な死亡通知が、僕を拾ってくれた隊員さんから届いた。電話口で訥々と語る彼もまた、今回の爆発で恋人を失ったらしい。松本から諏訪までは一時間もかからないから、交際相手が住んでいたとしても不思議では無いだろう。

 

 その時も相変わらず頷いてばかりの僕だったが、心はどこか遠くのほうを漂っていて、ここにあって口を動かす身体の持ち主が誰なのか、いまいち判別が付かない程度には摩耗していた。学校を休んだ事を友人らにからかわれたが理由は話せず、自分の回りで過ぎていく幸せな日常が、まるで他人事のように虚しくて仕方がなかった。復学して一週間は例の不謹慎を許さないムードが世間を覆ったものの、一ヶ月もする頃にはクラスの誰もその話題を口にしなくなっていた。


 暫くして卒業後の進路はどうするかと担任に聞かれ、そのとき僕はふと思い出した。そう言えば彼女と同じ大学に行こうって約束してたから、その彼女が居なくなってしまった今、僕にどういう未来があるのだろうと不意に混乱する。


 彼女と見たアニメの世界では、潰えてしまったヒロインの命を救うべく、主人公の少年が奮闘する。過去の記憶に遡り、彗星の衝突を周囲に告げ、すんでの所で物語はハッピーエンド。なるほど良く出来たロマンティックだなあと当時は感心したものだが、いざ自分がその立場に置かれてみると、既に失われてしまった命に対して、何らのアクションも起こせない現実を突きつけられる。


 人生はやり直しが効かないし、死んでしまった人は生き返ららない。それらが許されるのは物語の中だけで、現実にあるのは二度と戻ってこない時間だけだ。いやだからこそ人は、架空の物語の中に救済を希うのだろうけれど、いまだ僕は、現実の埋め合わせになるような空想に、入り浸れる余力を持ち合わせてはいなかった。




 ――だから残された道は。残された手段は。

 僕は彼女の死亡通知を送ってくれた隊員さんの勧めで、自衛隊の門を叩いた。もちろん防衛大学の線も勧められはしたが、一刻も早く前線に立ちたいという思いが強く、それは固辞させてもらった。


 殴られたから殴り返す。専守防衛の理念に基づいたラグォンへの報復は、憲法九条の解釈と照らし合わせても違法なものではない。そう判断した日本国政府は、RUNA、及び国連との合同による武力制裁決議を早々に採択した。攻撃から僅か三日で陥落したラグォン政府は、物資の窮乏から目立った反攻作戦も無く、ただ溢れ出た難民が、大中華人民連合と南韓国に流入し地獄絵図になっているという。――或いはRUNAとしては、これによる大陸の混乱こそが真の目的だったのではと推し量らないでもない。なにせ強大化する大中連の脅威は、死に体の国家だったラグォンより遥かに大きかったのだから。


 そして日本の風景も大きく変わった。今やあれだけ居た九条派は驚くほど声が小さくなり、代わりに復讐を叫ぶ群衆こそがマジョリティであるかのようにマスメディアは煽り立てた。それは或いはかつての震災の後、エコの名の下に原発を礼賛し、火力発電所を見下していた連中が、手のひらを返すように立場を替えたその風景にも似ている。言ってみれば戦中の神風論者が、戦後に九条を崇め始めたソレだろう。人は弱い、何かを盲信せずには生きていけない程に。――自分自身もそうなりつつある事を自覚しながら、僕は呪う。


 思えば専守防衛とは酷いものだ。殴られたから殴り返すというのは、なるほど個人の間でなら成立もする……巷で言う所の正当防衛だ。だがこれが国家同士の諍いともなればどうだろう。拳に拳で応え、青あざ程度で済むなんて事が、果たしてそうそう起き得るだろうか。実際には砲弾が打ち込まれ、銃弾は放たれ――、今回は二つの市が消滅して初めて、虎の子の専守防衛は発動するに至ったのだ。


 ――専守防衛、すなわち誰かの犠牲を前提とした思想。その事実に国民の大半が気付かされてしまった以上、次に訪れたのは分かりやすい過剰反応だった。さながらストーカー犯罪を未然に防げなかった警察への、権能強化を声高に叫ぶが如く。憲法改正は喫緊の課題となり、恐らく次の総選挙のすえ過半数を獲得する与党により、そう遠くない未来、九条はその姿を変えるだろう。

 



 僕は、僕はどうだろうか。少し前までは犯罪者集団と揶揄され、一部の活動家から石すらも投げつけられてきた自衛隊員。なるほど確かに、この銃もこの技術も、人を殺す為に教えられたものだろう。ただしそれは、自分の守りたい人を生かす為に、という前提がある。


 いざという時。何かが起きてしまった時。正論だけを繰り返す無力な人間にはなりたくない。それは今回の一連の出来事の中で、強く僕が感じた事だった。もしあの時、僕があそこに居たのなら。もしあの時、僕に何かが出来ていたのなら。――飽くまで不慮の事故である以上、思いつく「もしも」に何らの価値も無い事は明白だったが、それでもなお問わずにはいられない。

 

 三日間戦争と呼ばれた戦争の終焉から一ヶ月。クリスマスの賑わいを見せる新宿は、もうあのミサイルの出来事なんか誰一人覚えていないように湧いていた。なるほど確かに、既にラグォンという脅威が消え去った以上、日本がミサイルの標的にされる事態はそうそう無いだろう。或いは、もう飛んできてしまったらどうにもならないのだから、せめて今という時間を精一杯謳歌しようという漠たる諦めに似た何かなのかもしれない。しかして走り去る幸せの景色の、その一切と同化できないまま、僕はコートのポケットに手を入れて白い息を吐きながら駅へ向かう。もはやこの幸せに共感する術が無いのなら、せめて守る事で糧になろう。そう心に決め、ポケットの中に眠る、もう二度と動く事のない彼女のiPhoneを握りしめる。


 ――刹那。

 路傍で募金活動に従事していた誰かが、不意にジャケットを脱いで往来に躍り出る。皆かるく一瞥はするが、気の触れた誰かだろうとまた視線をスマホに落とす。僕もそうだ。ちらと見ただけで、特に気を止めるでもなくゆっくりと俯く。


祖国統一万歳ソゴクチョミンマンセ!!!!」

 聞きなれない言葉だった。ただテレビの中で、あるいっとき繁く流れた声。祖国統一万歳。はっとして僕が振り向いた視線の先では、さっき躍り出た男が、何かを手に鬼気迫る表情で仁王立ちしていた。

 

 視界に俄に白い閃光が走り、これはどこかで見たような光景だなと漫然と思いを馳せる。そうだあの日、家のベランダから見た大きな太陽。あれがこんな感じだったなと記憶の糸を手繰り寄せる。こんな所で終わりたくはないのだがと、彼女のiPhoneを握りしめようとして、その感覚がない事にふと気づく。


 それなら逆に、同じ光の中でなら、もしかして彼女と逢う事もできるんじゃないかと、アニメの一幕を思い出して何故だか笑う。結局これが結末だったのなら、せめて彼女と一緒に居る時に焼き殺してくれればよかったのにと怨嗟を滲ませ、その滲んだ怨嗟すら光の中に消え去った後、かつて新宿と呼ばれた街を、白く大きな太陽が覆っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今宵きのこ雲の下で、君と踊ろう 糾縄カフク @238undieu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ