魔王と勇者のぼっち旅~そのプロローグ~

第1話


 雷鳴轟く曇天。吹き荒ぶ風。広大な樹林に響き渡る猛獣達の咆哮。

 それら劣悪な環境が広がる大陸の中心に、威風堂々とそびえ立つ堅固な城を魔王城と人は呼ぶ。


 何時からあるかわからない。誰が建てたかわからない謎多き城。


「人知を超えた超級魔術によって城全体が宙に浮いている」とか。

「玉座が異世界に繋がっている」とか。

「城内に入った者は魔王の配下に洗脳される」とか。


 様々な噂が噂を呼び広めたが、しかし誰も真偽を確かめないまま、最後に人類が足を踏み入れてから三十年が経過したある日、一人の勇者が重く閉ざされたその城門を叩いた。

 

 漆黒の城壁を抜け、無量とも思える長さの螺旋階段を駆け上がり、城内に無造作に散らばった死屍累々をかき分けて、たどり着くは玉座の間。

 眼前に立ちはだかった重厚で至大な扉を、鍛え抜かれた身体全体を使って押すと、地響きと共にゆっくりと開いていった。


 部屋は暗く、目を細めても奥の様子が窺えない。


 警戒しながら一歩室内に足を踏み入れると、壁際に設置されたろうそくに火が灯り勇者の足元を明るく照らした。

 そのまま奥へと向かって、等間隔に配置されたろうそくが順々に燃えていく。まるで勇者を部屋の奥に誘い込むかのように。


 徐々に視界が良好になっていく最中、一瞬炎が揺らめいた。

 自分以外の生命反応に、その場で臨戦態勢をとる。


「まずは称賛を贈ろう。我が屈強なしもべ達を討ち破り、妾の元まで辿り着いたことを」


 まだ灯りが行き届いていないため姿は確認できないが、声質から察するに部屋の奥で待ち構える声の主が女性だということを勇者は認識した。


「しかし同時に憐憫にも思うのだ。魔王の前に立ちはだかってしまったが故に、死よりも辛い地獄をその身に刻まれるのだから!」


 自らを魔王と名乗る女性が戦闘前のラスボスみたいなセリフを言い終えたタイミングで、全てのろうそくに火が渡り部屋全体が色彩を帯びる。


 部屋の最深部、魔王は玉座の前で仁王立ちしていた。この世の赤を凝縮したような真紅の瞳がまっすぐに勇者を捉える。瞳と同色の艶のある長髪は、雪のように白い肌とよく合い、黒を基調とした衣服がそれらをさらに強調していた。


 美しい。勇者は純粋にそう思い魅入った。自分の嗜好に合うとか、性の対象としてとか、そんな話では断じてない。

 この美しさは、例えるなら芸術。だからこれは、美術館で有名絵画や彫刻を見ているような気分に近いのだろう。


 しかし故に、どうしても一つ見過ごせない点があった。九九点のテストは嬉しいけれど、それよりもあと一点が悔やまれるのと同じ感覚である。


 言ってはいけない事だと自覚していても、勇者はその衝動を抑えられない。


「…これで身長さえあれば」

「あぁん?」


 魔王の身長は一四六センチメートル。これは日本で言うと女子小学生の高学年程度である。

 それを魔王自身コンプレックスとして自覚しているのだろう。彼女の理想と現実を悲しく物語るように、背に掛かるマントは背丈を越えて地面に引きずられていた。

 三十とまでは言わない。あと二十センチあれば…あぁ、神様はいつの世も無常である。


「妾は大人じゃ!少女でなく女性、女児でなく淑女。酒も飲める。歳だって貴様より何倍も上なのじゃ」


 魔王は百二十歳、これは人間で言う所の二十歳そこそこ。

 数字の上では確かに大人なのだけれど、ムキになり鼻息荒く地団太を踏むその姿はまさに小学生のそれだった。


「そもそもなんなのじゃ。人の家に断りもなく上がり込んできよって」

「いやそれは…」


 至極真っ当な指摘だが、それは一般民家の場合である。魔王が言うと締まりがない。


「来訪の一報もないから、今日は妾しかこの城に居ないんだぞ」

「え…?」


 魔物がいない魔王城、城に赴く際のアポイントメントシステム、驚愕の新事実に勇者は言葉を失った。


「この広い城内で、貴様がここまで真っ直ぐに来られたのが何よりの証拠じゃ」


 思い返せば確かに勇者は、城門からここ玉座の間まで直通でたどり着いていた。今現在、HPもMPも全快。道具袋いっぱいに詰め込んだ薬草とポーションが重たくて仕方ない。


「じゃあ、さっき会った時のあのセリフはなんだったの?しもべ達がどうとか、ってやつ」


「あれは雰囲気作りの決まり口上、常套句じゃ。せっかく来てもらったから、せめて形式だけでもと思ってな」


 順々に灯るろうそくの凝った演出は、魔王のサービス精神によるものだという。


「じゃあ、キマイラは?」

 ライオンの頭に山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ合成生物。強靭な肉体を持ち、山を燃やすほどの火炎を吐く獰猛な魔獣と史実には記されている。


「動物園の人気者じゃ」

「見世物になってるの!?」


 その希少性と、一匹で三匹の動物を担えるというコスパの良さが、観客と動物園職員両者から好評を博していた。


「ケンタウロスは?」

 上半身が人間で下半身が馬の、半人半獣と呼ばれる種族。酒好きの暴れ馬と、博学多識の医学の祖、という二面性を持つとされている。


「競馬場に行けば会えるぞ」

「競走馬!?」


 よりハイレベルな競馬として、ケンタウロスのみでレースを行う競馬場も少なくはなかった。近年の内に「競人馬」という名前で競技が確立されるとか。


「メドゥーサは?」

 宝石のように輝く瞳で、視た者を石に変える能力を持つゴルゴーン三姉妹の三女。頭髪は無数の蛇、歯はイノシシの歯、手は青銅で出来ており、背に黄金の翼を持った、てんこ盛りな女性である。


「医療の現場で大活躍じゃ」


 長年の努力の末に、局部的な石化を修得。その能力を器用に操って、人体に最も負担とリスクのかからない麻酔技師として医学界に革新をもたらした。


「ゴーレムは?」

 どこかの魔術師が大量に生産した泥人形。命令に忠実で巨体と怪力が持ち味。土だけでなく、石や金属で創られたものも存在する。


「奴らは建築現場に」

「なるほどな。確かに、頑丈な巨体と機械にも負けないパワーは建築業に最適だ」

「それもあるが、その…」


 魔王は言い淀んだ。声を落とし、目を泳がせ、まるで後ろめたいことでもあるかのように。


「…大半は建築資材に」


 魔力の通ったゴーレムの身体を材料に建築された構造物は百年持つと言われ、高額で取引されている。


「あ、なるほど」


 魔王の目が金マークになっていることに気付いた勇者は、それ以上何も追求しなかった。


「と、とにかく、そんなわけじゃからこの城には妾しかおらんのじゃ」


 一通りの説明を終えて、魔王はドカッと玉座に座った。傍らに置いておいたミネラルウォーターで、酷使した喉を潤す。


「しかし何故、城に来たのじゃ?よもや魔王討伐と言うでもあるまいに」


 今から約三十年前のこと。先代の魔王と勇者が、永きに渡る人魔戦争を終結に導いた。

 現在、魔物が人間社会の中で活躍できているのは、戦争終結の際に彼らが立てた「共存協定」のお蔭であり、それを両種族が納得の上で三十年間守り抜いてきたからなのである。


 地域や宗教の違いによって格差や考え方の違いはあれど、基本的に人魔間での争いはタブーとなっていた。


「もしや妾と遊びたくなったのか?トランプも、人生ゲームも、囲碁も将棋もあるぞ」


「いや、魔王討伐に来たんだけど」


 さらっと発せられる御法度な発言に、一瞬だけ魔王の時間が止まる。本当に予期せぬ事態に陥った時、生命は思考を停止するのだ。

 そして再び動き出したとき、口に含んだミネラルウォーターが勢いよく口外に放たれた。

 びちゃびちゃに濡れる床、苦しそうに咽る魔王。


「なんて冗談。ごめんね、水吐かせちゃって。大丈夫?」


 魔王の元に駆け寄り背中を優しくさする。


「本当は、君をこの城から連れ出すために来たんだ」


「…連れ出すって、なぜじゃ?」


「人魔戦争の終結から三十年。大半の国が共存協定を受け入れて、人魔入り混じって平和な生活を送っているのは知ってるよね?」

「当たり前じゃ。とうとう人魔で結婚なんてケースもあるようじゃな。微笑ましいのう」


 勇者と魔王はそろって頷いた。その表情はとびきり優しい。


「しかし反面、協定を受け入れず相手種族を蔑む閉鎖的な国もある」

「悲しいのう。争いは何も生まぬと過去に証明されたはずなのに」


 そろって頷く。今度はため息交じりに。


「そこで俺達の出番ってわけ。その閉鎖的な国に出向いて、国民を説得して直接協定を結んでもらうんだ。長旅になるだろうから、薬草とポーションをたくさん持ってきたよ」


 勇者の瞳は輝いていた。失敗を恐れない、というよりもむしろ成功を確信しているかのように。


「理屈はわかった。けれど、その旅に妾は必要か?」


 勇者の言うことには本心から共感できる。全世界が平和になればいいとも思う。しかしだからと、会ったこともない他人のために身を削るほどの正義感や自己犠牲心を、魔王は持ち合わせていなかった。


「閉鎖的な国の中には、魔族の国もいくつかある。それらの国は俺には説得できないんだ。それにこれは君のお父様からも頼まれていることでね」


「父上が?」

 魔王は嫌な予感にたじろいだ。


「娘が城に引き籠もって出てこないから、これを機に外に出してくれって。それに、ぼっちだから友達を作ってやってくれ、ってね」


 先代魔王の言葉をそのまま代弁する勇者に悪気はない。しかし、だからこそ純真無垢な笑顔で無神経に傷口をえぐられるダメージは大きかった。


「妾は引き籠もりではない。自宅警備員だ!ルビにニートと付くタイプじゃないぞ、マジのやつじゃ。今日みたいに城に来客があった際に対応が出来んと困るじゃろ?それに、ぼっちでもない。たまたま皆と予定が合わないだけ、妾も自宅警備で忙しいし…」


 饒舌に下手な言い訳を並べる魔王を、実に穏やかな顔で勇者は眺めていた。二人の立ち振る舞いも含めて、傍から見ると完全に大人と子供だ。


「本当は妾だって、流行りのカフェでパンケーキと洒落込みたいのじゃ。それに、遠出して撮った写真を使いSNSでリア充アピールしたいのじゃ。しかし、城も空けられないんじゃ仕方ないじゃろ?あぁ残念、誠に残念じゃなぁ…」


 これっぽっちも残念そうではない。しかも、断る上でちっぽけな尊厳は守ろうとする行動がクズ中のクズ。

 大義名分が出来て満足気な魔王だが、しかし純真無垢な勇者にその作戦は通用しなかった。悪に天罰。それがこの世の法則だ。


「じゃあ魔王のやりたいことも、旅の道中で消化していこう。パンケーキも食べに行くし、絶景の写真も撮ろう。今まで一人で自宅警備を頑張ってきた事へのご褒美旅行だ」 


 どこまでも爽やかに、魔王の言い訳を潰していく。


「…でも、城空けられぬし」

「俺の親友に留守番を頼もう」


 一手。


「…でも、男と二人で旅なんて不埒な」

「大丈夫。天に誓って、君に手は出さない」

「それはそれで別のダメージが…」


 また一手。まるで詰将棋のようにじりじりと追いつめられていく。


「………」

「楽しい旅になりそうだね!」



 これは、魔族と人類の共存による世界平和を目指す旅。


 そして、腐った魔王の未来が懸かったとても重要な旅の二十日前の出来事。

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