鏡というのは実に不思議なものです。
対象がそっくりそのまま映されているようでいて、実際にはすべてのものが鏡のなかでは反転しているのです。これを鏡映反転といいます。ですがこれは、鏡映反転というひとつの現象ではなく、三種の現象が重なることで発生する非常に複雑な現象なのです。だから人は普段鏡を見ているときに、すべてが反転していることには気がつかない。
例えば、鏡の前で右腕をあげれば、鏡のなかのあなたも右腕をあげるはず。反転していません。けれどそれはあなたの視点からの右腕であり、鏡像の視点からすればそれは左腕となります。鏡のなかの視点からすれば、確かに反転していて、右腕をあげたはずが、左腕をあげているのです。
この小説も読み進めるに従い、《鏡映反転》にも似た感覚を覚えます。
この小説のカウンセラーは、相談者の鏡であることを徹しています。鏡のなかで、善と悪、愛と憎悪、罪と罰、被害者と加害者は反転を繰りかえす。それは白から黒に塗り替えられるような完璧な真逆に転じるものではなく、どこか曖昧な、目を凝らしていないと気がつけないような移ろい。
すべてのものが、ゆるりと反転する。
そっくりそのままを映していたはずなのに、気がつけば。
あなたも鏡を覗いてみませんか?
もっとも……覗きこんだはずが、ぐるり、鏡から覗かれていても責任は持てません。