21:メリエル・スチュワートの受験

 大学に行くために必要となるのは、中学校卒業時の中等教育修了試験と、高校卒業時の大学入学資格試験の二つだ。良い大学に入りたいと思えば、この二つともの試験で優秀な成績を残す必要がある。

 とりわけオルムステッド学園のような、大卒の優秀な人材を輩出することを旨としている上位の教育機関は、入学希望者に対して入学試験を課している。つまり、選抜制度を採っている学校に在籍している場合には、人生で三回重要な試験に臨むことになるのだ。


 私は中等教育修了試験の全科目を終え、身体中の空気が抜けるかと思うほど大きく息を吐いた。吐く息の多さに比例して頭に詰め込んだ知識さえも抜けていくのではと一瞬危惧したが、頭を回転させた後特有の倦怠感にそれどころではない。腕を枕にして机で眠り込んでいると、頭に優しく手が置かれた。


「スチュワートさん、おつかれー」

「ケイトもお疲れ様ー」


 ケイトは前の席に腰掛けて、長い脚を組む。


「ケイトのお陰で、魔法学は結構解けた気がする。教えてくれて本当にありがとう!」

「ん、そりゃ何より」


 にっこりと微笑むケイトは、その大人びた容姿と相俟って美しい。腰まで伸びたブロンドの髪がさらりと揺れて、私は思わず見惚れた。何だか照れてしまい、目線を泳がせながら話題を変える。


「そういえば、ケイトはヘイズルウッド行くんだっけ」

「ああ、よっぽど試験結果が悪くなければそのつもり」

「ヘイズルウッドって、魔法学では一番のところだよね。凄いなあ」

「何言ってんの。オルムステッドの方が断然凄いでしょ」


 そう言われて、確かにそうだったと私は気付いた。オルムステッド学園は最高峰の学校であるが、私は其処に相応しい学力のある人間ではない。勿論目指すに当たって努力はしてきたが、正直当たって砕けろの精神の方が強い。

 だから自覚は無かったが、少し嫌味めいて聞こえてはいないだろうか、と不安になった。ケイトの様子を上目遣いに確認したが、特に不機嫌そうな様子はない。ケイトは毛先を弄んでいる。


「オルムステッドの入試っていつなの?」

「あ、えーとね、明日」

「は!? 明日!? 流石オルムステッド、休ませる気も勉強させる気も無いワケね……」


 ケイトは感心したように溜息を吐いた。頬杖をついて、にやにやと楽しそうに笑みを浮かべている。


「でもさ、エイダンにあんだけみっちり教えてもらってたら、正直いけそーな気がしない?」

「えへへ、実はちょっと期待してる……」


 私は上がる口角を隠しきれずにはにかんで笑った。マクスウェルに教えを請うた日から寝る間も惜しんで勉強し、マクスウェルの効率的な指導もあって見る見るうちに学力が上がっていったのだ。オルムステッド学園が最高峰の難関私立だとは分かっているが、当たっても砕けない可能性もあるのではないかと期待する心が見え隠れしている。


「エイダンのお陰じゃん? ちゃんとお礼しなよ」

「そうだね。お礼かー、何が良いかなあ」

「んー、例えば……」


 顎に指を添えて真剣に考え始めたケイトは、言葉を不自然に切って、それから悪戯を思い付いたかのような顔をした。


「エイダンと一緒に選んだら?」

「?」

「何がいいか、現地で聞いてプレゼントしちゃえばいーんじゃない?」


 確かにそれならば外れることもない、と納得し、マクスウェルを誘うことに決めた。しかし生憎、修了試験が終わってすぐにマクスウェルは帰宅してしまっているため、その場で実行することは叶わなかった。

 試験から解放された級友たちは皆浮き足立っていて、教室にはこそばゆい団欒が其処彼処に出来上がっている。私もケイトや他の友達と談笑に興じて、試験終了から一時間経った頃、私も友達と別れ教室を後にする。


「スチュワートさん」


 背後から控えめに名を呼ばれた。振り返ると、右手で左手首を握り締めているオルセンくんが立っている。そういえば先ほどの立ち話にオルセンくんはいなかったな、と思い返して、私は彼に向き直った。


「どうしたの?」

「明日、オルムステッドの入試なんだよね?」

「うん」

「頑張って、って言いたくて」


 オルセンくんはいつもと雰囲気が違った。目線は常に泳ぎ、いつもより声は小さく、堂々としていた姿勢は少し丸まって小さくなっている。

 私は不思議に感じたが、折角話しかけてくれたのだし無下にはしたくないと思い、努めて笑顔で返答した。


「うん、ありがとう。頑張るね」

「落ちないといいね」

「うん」


 私とオルセンくんとの間に沈黙が落ちた。以前デートに誘われたこともあって、私としても少々気不味い。私は背負った鞄の肩紐をぎゅっと握り締め、曖昧に微笑んで踵を返す。


「えっと、それじゃあ、私、帰るね」

「あ、うん」


 ひらひらと手を振られ、私も小刻みに手を振って小走りにその場を去ろうとした。


「スチュワートさん」


 再び呼び止められ、反射的に振り返る。


「今まで教科書切り刻んでごめん。あれ、取り替えるのにお金かかるんだね。気付かなかったんだ」


 胸の奥底がすっと冷えて竦む思いがした。


 翌朝になっても、心の片隅に蟠りがつっかえていた。何度も頭を振って頰を叩くも、中々気分がリフレッシュされない。

 受験会場に到着すると、周りは殺伐としていて皮膚が切れそうな緊張感を放っていた。指定の席に着いた後も、圧迫感に押し潰されそうになりながらも深呼吸して平静を取り戻すことに努める。

 やがて会場は完全なる静寂に包まれ、問題用紙が配られた。心臓は人生で最高潮に大きく拍動している。


「試験開始」


 無機質な試験官の声が響いて、全員が一斉に問題用紙を捲った。科目は国語だ。設問に目を通し、論説文に線を引きながら読み込んでいく。今まで読んだことのない類の難解な文章だったため読み下すのに時間がかかり、設問の趣旨に沿った解答を書くのに苦戦した。しかし一番の得意教科ということもあり、時間ぎりぎりまでを使って何とか記述を終える。

 受験時間の終了の声と共にペンを机上に置いた時、大丈夫、いける、という緊張を孕んだ確信を得た。私の口角は緩く弧を描き、抑えようとしても手が震える。次の科目の数学に備え、私は精神統一を図った。

 しかし、数学からが本当の戦いだった。数学では見たことのない定義や法則が出題され、歴史では微に入り細に入りテーマに即した時代の変遷を問われ、外国語では使用したことのない単語で文章が埋め尽くされている。

 それを目の当たりにするにつけ、私の頭は混乱した。そして同時に、思い知らされた。


 やはり、此処は最高峰の難関教育機関だった。住む世界からして、そもそもが違う。


 受験科目を全て終えた頃には、手の震えは止まっていた。その代わり、指先が思い通りに動かないほど冷え切っていた。

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籠の中の姫君はヒーローが迎えに来てくれるのを待っている 旭恭介 @hoshino-saku

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