第4話 イノリオリ
夜。
忍び寄る寒さの気配を感じさせる秋の空気を受けつつ、僕は学校の屋上にいた。
生徒も教員もいなくなった真っ暗な校舎は昼間とはまったく違う姿を見せており、それが普段立ち入ることのできない屋上からとなると、知らない場所に僕だけが取り残されたような気持ちになる。
することもなく遠くに広がる街明かりにじっと目を凝らしていると、ガチャッと背後で物音がして僕はゆっくり振り返る。
今日、普段は施錠されている屋上への扉が壊されていることを知るのは一人しかいない。
「嬉しいわ。私を殺してくれる決心がついてくれて」
いつものように制服をきっちりと着こなした生徒会長は楽しそうにキョロキョロと周囲を見回す。
「いつまでも殺してくれ、殺してくれと付きまとわれるのは願い下げだからな」
「だから学校を休んでまで逃げていたの?」
近づいてきていた生徒会長はそう言ってしなだれかかり、僕は答えることなくされるがままになる。
生徒会長が手紙の相手であることを明かされてから僕は再び彼女をどうするかについて思い悩むこととなった。しかも今回は生死を握るという大問題だ。
手紙の返事が来ないだけで授業に身が入らなかった人間がそんな一世一代の決断に平気な顔していられるわけがなく、僕は一週間も学校を休み、ひたすらこの問題と向き合うこととなった。
その結果としてここにいるのだが、僕はひとつ生徒会長に訊ねる。
「最後に教えてくれ。どうして殺して欲しいんだ?」
スポーツもできて成績も優秀。まさに文武両道、完璧な生徒の代名詞とも言える彼女がなぜ死にたがっているのか。僕にはそれだけが分からなかった。
生徒会長は言葉を自らの中で反芻するかのように視線を宙に彷徨わせ、真意の読めない笑みを浮かべる。
「ねぇ、あなたから見た私ってどう見えてた?」
「どうって……普通に優等生の生徒会長、かな」
「やっぱり、そう見えるんだ」
素直に答えた僕の言葉を生徒会長はやや寂しそうに視線をうつむける。
僕は怪訝に眉をひそめた。
「違うのか?」
「君に殺して欲しいっていうんだよ。普通じゃないでしょ?」
明るい声で自虐的にそう言い、生徒会長は密着させていた体を離してゆらゆらと屋上を歩く。
「私の優等生でいるのは周りからそうあることを求められたから。でももううんざりなの。周りから上っ面の優秀さを求められるのも、それを疑いなく演じてしまえる私も。だけどひとりで自殺する勇気が出なくってさ。それで探してたんだよ。私を殺してそれを重荷にしない人を」
「それが僕ってわけか」
「体育館で殴られた時、私は確信したんだ。この人は私の手紙を見たうえで実行したんだって、ならいけるはずだって」
正解とばかりにこっちを向いて無邪気に笑ってみせた生徒会長はそのまま屋上の端のほうに立っていた僕を追い越し、屋上の縁に登って向き直った。
「だから早くやってみせて」
「…………」
とてもこれから死ぬような人間のものとは思えない笑顔。
僕は無言で間近に立ち、そっと彼女の体に触れる。
これからやることに恐れはなかった。
「じゃあ、さよならだ」
たった一言、僕はそう告げて彼女を夜の闇の中に押し出した。
―――――
僕は闇のなかを歩く。
小さな石たちがジャリッと音を立てて僕の靴と摩擦する。
周囲から漏れてくる明かりと夜になれた目を頼りにやってきたのは整備された花壇などがある中庭だ。
「生きてるかい?」
僕は学校の中庭で体を投げだした少女に声をかける。
暗闇の中でピクリとも動かない少女は死んでいるように見えたが胸が上下しているので、彼女がただ問いへの答えを拒絶しているだけだとわかった。
「……どうして殺してくれないの?」
唐突に生徒会長の口が動き、ギョロッと目がこちらを向く。
その視線を真っ向から受け止めながら僕はフラットに答えた。
「簡単なことだよ。君が好きだから。君に死んで欲しくないからだ」
「私が望んでるのに? 好きな人の願いなのに? それなのに君は私の願いを否定するの?」
「あぁ、たとえ嫌われても僕は同じことをするよ」
「……どうして?」
「好きな人には生きていてほしいからだ。だから君と同じように鶴を折った」
迷いなく答える僕に呆気に取られたように彼女は黙って上体を起こす。
それに合わせてカサッと紙同士が擦れる音がする。
彼女が寝そべっていたのは、うず高く積まれたゴミ袋の山で、中には溢れんばかりの折り鶴が入っていた。
すべて、僕が学校を休んだ一週間のうちに折りあげたものだ。
「君があの折り鶴に自分の願いを託したように僕もこれに願いを託した。ただそれだけだよ」
「バカじゃないの?」
真顔でそう言ってくる生徒会長に僕は肩をすくめた。
「あぁ、バカだね。でも恋は盲目っていうし、恋をした人間ってのはみんなバカになるんだよ」
「もし私が死んでたらどうしてたの?」
「君の後を追って死んだだろうね」
「ホントにバカね。そんなことをしても意味ないのに」
「でも君は生きてる。じゃあ僕の頑張りは無駄じゃなかったってことさ」
おどけたように言ってはみたものの、人が落ちてもこの数の鶴で耐えられるだろうかとか、死ぬのを邪魔された彼女がタチの悪いことを思いつかないだろうかとか考えてしまって内心ではヒヤヒヤしていたものだ。
だがそんな考えを吹き飛ばすように生徒会長の弾けた笑い声が響いた。
「はぁ……とんだ大ハズレを引いたみたいね。でも感心しちゃった。こんな熱い告白、始めてだもの」
そう言われて僕は改めて自分のしでかしたことに振り返ってしまって困り顔になるが、生徒会長はからかうように微笑んで立ち上がり、上目遣いで僕を見た。
「ここまでやったんだから当然、私の人生すべてに責任を持ってくれるのよね?」
遠回りな告白の返答に僕は頷く。
今更ここでいいえと答えるつもりない。むしろ願ったりだ。
生徒会長は満足げに頷くと右手を僕の前に差し出した。
「じゃあ私の相棒として、まずは手を繋ぐことから始めましょ」
この時、彼女が恋人という言葉を使わなかったのは負かした僕へのささやかな反抗だと気づかなかったが、この時のただ差し出された彼女の手をしっかりと握って誓いの言葉を立てていた。
たとえ死が二人を分かつとしても、この手は何があっても離しはしないと。
イノリオリ〜図書室の折り鶴と込められた願い〜 森川 蓮二 @K02
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