第2話 或る小説家志望者の独白(1)
髪の毛が、細い。
額から頭頂に左の
「ハハ」
夜空に向かって、小さく笑った。思ったより笑えなかったのは、其の未来が案外現実的だ、と気付いたから――だけではない。
最近、職場等の飲み会が終わると、タクシーを使わず徒歩で帰る様にしている。節約や
「うーん……」
どうも、考えが上手く
佑平の父親は自営の居酒屋をしている。居酒屋の
「あぁ、駄目だな……」
矢張り、思考の精度が鈍っている。まぁ、ひょっとすれば己の思考力と云うのは元来此の程度であり、本来ならもっと高次の思索が可能である、と思っている事自体が全くの買い被りであり、
「ハハハ……」
再び、夜空に向けて笑ってみる。通年雪が降らない
ふと、ジーンズの右ポケットから携帯電話を取り出す。
此の、
一旦歩みを止めて携帯を開く。1件のメールが受信されていた。差出人は父親だ。
<3万円貸してくれる>
佑平は其の1行、全角かなで
溜め息が漏れた。此処1年程、此の様に父親からメールが定期的に届く。大抵は月に一度だが、
父親の自営の居酒屋は、繁華街から離れた、どちらかと云うと住宅街に位置し、余程の固定客を掴んでいなければ苦しい立地だ。通りすがりの
好景気を声高に叫ぶ与党の政治家共の言葉は、庶民層には一切響いていない。あのバブル景気の崩壊後、失われた10年と云われた世紀末の大不況から未だ地続きで底冷えが続いている気がするのが、我々中下流層の偽らざる実感ではなかろうか。
大いに話は逸れたが、そんな底知れぬ不安、先の見通せない暮らしの続く中で、立地に恵まれず古臭い居酒屋が儲かる筈が無い。佑平は具体的な収支を見聞きした事も無いし、其処迄介入する気も無いが、毎月の様に息子から借入せざるを得ない程度には困窮しているのだろう。
そして、底知れぬ不安、先の見通せない暮らしの続く現代社会の中で、佑平の給料もまた、上がる筈が無かった。手取り15万強の中から、家に入れる分として母に2万円、そして父の回転資金で3万円。実家住まいの者が家に入れる額の平均値は知らない。ひょっとしたら家に入れる額は少ない方かも知れない。だが、偶に佑平は、自分が何の為に
「
もやもやとした、思考と呼ぶには取り留めの無さすぎるものを
「ただいま」
24時近い事も考慮し、静かに
「お……帰、り」
たった4文字を噛んだのは、リビングのくたびれたソファに鎮座する母親である。
「今日は……大丈夫、だった? 酔っ払って、ない?」
時折、言葉が詰まる。慣れたものだが、偶にもどかしく思う。そして其れは、時に複雑な心情と
「……平気だよ。今日は
「そう……。あ、これ……綺麗にか……書、き直して
佑平は母親から一枚のメモ用紙を受け取った。下部に生命保険会社のロゴタイプが印字された、新書判の半分程度のメモには、文字の大きさも
「分かった。清書しとくよ」
「あ、別にあし……明日で良いから」
「はいはい」
玄関の直ぐ横の自室に入り、佑平は今度こそ実際に溜め息を吐いた。
佑平の母親は、指定難病である
佑平の記憶では、母は車の運転が巧く、あらゆる知識が豊富で、自慢と迄はいかないが少なくとも尊敬に値する母親だった。2年程前、
端的に言って、切ないのである。根本的な治療法の存在しない難病が日に日に母を衰えさせていくのを
其の上、更に悩ましいのが、佑平の母曰く“佑平が発症するかは半々”である事だ。主には遺伝性である此の病は、其の部分の遺伝子を母方から継ぐのか父方から継ぐのかに因って発症するか否かが決まる、と云う。飽く迄、専門的学術的な見地からの解釈ではないので可成りざっくりとした説明であるが、佑平は此の説明が何と無く腑に落ちていた。
今現在、佑平に大した自覚症状は無い。だが、職場で何も無いのに
……まぁ此れは、単に佑平に相手が居ないだけでもあるのだが。
一応、出費は
万一、佑平が罹患していたとすれば、其れは母親から
「……はぁっ」
酒臭い息を吐き、佑平はメモ紙を机上のノートPCの上に置いた。矢張り、年々
佑平は二段ベッドの上部分に上がり、ゴロンと横になる。佑平は一人っ子なので、二段ベッドとは云うものの下段部に寝台は組まれておらず、荷物
上段に敷いた、万年床と化した
通信機能を喪失し、骨抜きと為ったSIMカードが残された、もう使わなくなった
時刻は午前10時前、日曜は此の位に起床するのが佑平の中では定番と化している。父母は家庭で用いる一週間分の食材と、父の居酒屋で使用する業務用の洗剤や大容量の調味料等の仕入れの為、10時頃に家を出る。
「ナイッシュー、裸ん
父親が上半身裸でパンツ一丁の佑平に笑い掛ける。背後からは母親が
「そ……んな、は……半裸でげ……玄関に出ちゃ、恥ずかしい……でしょ」
佑平は母親の喋りに、遣り場の無い苛立ちを覚え乍ら、「行ってらっしゃい」とだけ呟き、部屋に戻った。
子供の頃から学習机として用いている、無機質な事務机の
「遣るか……」
大した意味を持たない独り言を口にして、無音の部屋の
トークバラエティ番組に耳を傾けつつ、別のメモ用紙に文章を修正しつつ清書する。
「……出来た」
再び独り言を呟いて、佑平は0.5ミリのボールペンを
「
佑平は椅子に腰を下ろし、一息吐くと、机上の東芝ダイナブックを開き、起動させた。此のPCには、本来ウィンドウズ7がプリインストールされていたが、無償アップグレード期間中にウィンドウズ10へ更新している。其の
暫くテレビを観ている内に、ダイナブックのデスクトップ画面上の
佑平は、小説家を志している。小説や種々の原作を
自慢ではないが、
アイディアと云うものは、
ワイドショー的な番組が終わり、輝きに満ちた未来を嘱望される若きアスリートを紹介する番組と、大阪の
「……あー、何遣ってんだろ、俺」
疾っくに
「……こんなん、駄目だろ……」
独りごち、散らかった学習机の右半分からウォークマンを探り出し、前面の適当な釦を押下する。暫く「データベース作成中」と銘打たれた画面を眺め、メイン画面の
「……よし」
ダイナブックに向かい、佑平は執筆を始めた。ウォークマンは聴覚を外界から遮断させる程度の効果しか生んでおらず、自らに鞭打つ為の
〔続く〕
Knight Unite at the Night. ~かみまちセフィーロ~ @theBlueField
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