第6話 明けない夜もある

 闇夜の予告通り、夜は一週間後の満月の晩に現れた。

 闇夜と話したあの路地裏、夜と初めて出逢ったあの場所に。

 

 その頃にはもう、地球の三分の一くらいから、夜の安寧が消えていた。 

 

「こんばんは、おにいさん。お久しぶりですね」「そうだな、いい晩だ」「わたしが居なくて寂しかったですか?なんだか老けましたね」「喧しい」

 けらけらと、夜は笑う。あぁ、俺はこんなに、こいつに会いたかったのだっけ。

「……姉さんに、会ったんですね」「あぁ、話は聞いている」

 闇夜のことは言わなかった。いなくなったと思っているのなら皆にとってはそれが一番いいと、彼自身がそう言っていたから。

 一度喪ったものをまた奪われるのは、痛い。

「事情はすべて聞いたさ。だから―――だから、俺たちはここでお別れなんだ」

 心にもない、心無い台詞を吐いてみる。あぁそうさ、本心はそうじゃない。俺は元来素直だから嘘は嫌いなんだが、それでも。

 そしたらあいつは、馬鹿な夜は、黒曜石みたいなあの目でじっと俺を見て、こんなことを言いやがったんだ。信じられるか?

 

「おにいさん」

「わたしを殺してくれないんですか」


 それだけで俺は夕暮れの頼みも、闇夜の願いも何もかも無視することに決めた。

 その一言で、十分だった。

「わかった」

「おまえを、殺してやる」

 これが、俺が夜についた最初の嘘になった。

          #

 それからの話は聴いてもあんまり面白くないとは思うけどな。まぁ、俺と夜はこの世界のルールを無視して遊び惚けていたわけだ。

 ほら、今みたいになる前―――夜が死ぬ前に一週間、日本の周りだけ夜が明けなかった時期があった筈だ。

 ……今思い返せば、なんとも恥ずかしい。

 永らく共に生きた老夫婦みたいな会話ばかりしていたくせに、付き合いたての高校生みたいなことばかりしていた。


 一日目はただ部屋でTVを見ていた。

 二日目には劇を見に行って、

 三日目にはからだを重ねた。

 四日目にピクニックに行った。

 五日目には疲れ果てて寝込んだ。

 六日目は呑み明かして―――まぁ、明けてはいないんだが。

 そして七日目に、海を見に行った。

 

「うわっ、冷たい!」「そりゃそうだ、夜の海は冷えるもんだ」

 あいつはきゃいきゃいとはしゃいでなにも言わなかったが、なんともなし互いに分かっていた。

 今夜、夜は死ぬ。

「えあっぷ」「あはは!」

 砂浜で煙草を吸っていたら、裸足で水遊びをしているあいつにしてやられた。

「こんの…」「きゃー!」

 気づけば服を着たまま、俺たちはまるで小学生みたいに水をかけあっていた。水が冷たいし、細やかで柔らかい海底の泥がこそばゆくも懐かしい。よくある映画のワンシーン、男女が砂浜でじゃれ合うようなロマンチックさはかけらもない。ただ、途中からあふれ出した涙をお互い隠そうとしていた。。目くらましに投げ合う塩辛い水が、互いの塩辛い二つの縦線を洗い流していた。

 そのうちに日頃の運動不足が祟ってか、俺は波に足をとられてしまったそしてそのままあいつの肩に体重をかけて―――そのまま波打ち際に、あいつを押し倒してしまった。

 そのまま何秒か、あるいは何時間かそうしていた。

 俺はあいつの真っ白な顔を見ていた。

 寄せる波に踊る、あいつの真っ黒な髪を見ていた。

 いつまでも見ていられそうだった。

「ここまで、ですかね」

 流石に無理しすぎました、とあいつはいつものように笑う。

「……連続しても、継続してはならない、だったか」「はい。もう一週間、兄弟姉妹の仕事を奪ってますから―――ここで、おしまいです。今までありがとうございました」「よせよ、殊勝に。柄でもない」

 声が震えないように、泣き出してしまわないように―――最後の手段に頼ってしまわないように。俺は頑張ったと思う。

 『もし失敗したら、死ぬより酷いことになる』

 そんな呪いを身勝手に、この、ただのひとりが嫌だった女の子に押し付けてしまわないように、必死だった。

「いいんだな」「いいんです」

 せめて。

「……俺も、楽しかったよ」「わたしもです」

 せめて安らかに、死ねるよう。

「……俺は、淋しいよ」「わたしも、です」

 そう思っていたのに。

 そう、決心していたのに―――。

 沈める。首を絞める。方法はいくらでもあったのに、俺は。

「さようなら、おにいさん」

 

 俺はあの暗がりのなか、闇夜に渡された『方法』を―――鈍く光るナイフをズボンのポケットから取り出して、鞘を抜き捨てて、あいつの痩せた胸に突き立てた。

「……さようなら」

 夜は笑っていた。

 血は一滴も出ない。その代わり、闇が。あいつが現れる時や姿を消す時に出るような黒い靄のような闇が彼女の口から、傷から、水面をぶわりと侵し―――夜が、明けていく。死んでいく。

「今度は」

「わたしの、夜のいない世界で、人間として逢いにいきます、ね」

 ―――その願いさえ、俺は無視して。

 ただの身勝手な俺の我儘で、あいつの唇に吸い付いて―――あふれ出る闇を、海水ごと飲んでいく。

 こいつのいない夜どころか、そんなの昼だって御免だ、なんて思いながら。

         #

 そしてどうなったかと言えば、単純な話、夜は死んだ。あれから一年間、一切陽が沈むことはなかったんだから。

 結局の所、あいつは死なないといけなかったのさ。

 ……つまりは俺の思惑が、うまい具合に行ったってわけだ。

 俺の愚痴に付き合わせて悪かった。つまらない話を聞いてくれたお礼と言っては何だが、面白いカウントダウンをしてやろう。

 少し待ってくれ……よし、いくぞ。

 三、二、一、零。

 ほら、外だ。薄いが、久しぶりだからわかりやすいな。もう人が出てきている。

 

 あぁ、そうだ。

 一年ぶりの、夜だ。

 

 ネタばらしをすると、俺はあいつを殺したくなかった。でも闇夜のように、ひとりにしてしまうのも嫌だったわけだ。

 だから―――俺が、夜の肩代わりをすることにした。

 闇夜から受け取ったナイフは、あいつのからだから「夜」としての概念と言うか、そういったなにかしらを絞り出す効力を持つものだったらしい。あれは夜のからだが綺麗に溶けてしまってから、波のままどこかにいってしまったようだけれど―――もう使うこともあるまい。

 そして俺が、その絞り出した「夜」を飲み込んだ。

 これはイチかバチかの賭けだった。下手をすれば夜は俺が飲んだ成分から中途半端に生き残り、あいつはまたひとりぼっちになってしまう。

 いっそずっと一人でいられれば苦しむこともなかったのだろうが、俺と言うイレギュラーがいたのが運の尽きだ。一度与えられた希望をまた失うのは、やはり痛い。

 ではどうする?

 俺があいつの半分を背負う。

 できるのか?

 ただの人間ならほぼ死ぬらしいが、俺には波長が合うという可能性があった。出逢い、語り、一緒に住み、あろうことか抱いて。あまつさえ夜を愛してしまった俺には。

 俺とあいつは人間でも、『そういう手合い』でもない中途半端な存在になるってわけだ―――人間にも認識されるが、その気になれば闇に溶ける。そして互いが互いを縛り合い、ずっと存在していくような、そんなバケモノに。

 ただ、あいつの血がきちんと俺の身体に馴染むにはどれくらいか時間がかかるとは分かっていたんだ。それが一週間後か百年後かもわからないまま、俺はこの一年間を待っていた―――ほんとうに、気が狂いそうになりながら。あいつが感じていた何万年かの孤独には到底かなわないだろうが、それでも地獄のようだった。

 夜が「帰ってくる」と感じたのは今朝起きた時でね。気つけに一杯やりに来たというわけだ。

 ……さて。そろそろ出るかな。

 これから少し、あいつに説教してやらなきゃいけなくてね―――夜として復活するのはたった今だったが、どうもあんにゃろう、姿かたちはもっと早くに取り戻していたらしい。それなら早く顔を見せに来いと、そうは思わないか?

 ―――まぁ、確かに。彼女の決意を無為にしたことは謝らなきゃな。癪だから口には出さないが、まぁ、これからの遠大な時間のなかでいつか、な。

 え、俺の名前?あぁ、そういえば言ってなかったか。

 名前ね―――そうだな、夜の半分だから『夜半』なんてどうだ?

 ……俺はおまえと居られるなら名前なんてなんでもいいんだよ、この悪い猫め。


「おひさしぶりですね、おにいさん」

                


                                 END


 

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夜が死ぬ、そのまえに。 そうしろ @romangazer

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