第5話 怖がりな大人たち
それからしばらく呑んだ後に紫藤が俺を案内したのは、なんの変哲もない路地裏だった。
なんの変哲もない―――だが俺にとっては忘れられない路地裏。
俺と夜があの晩、初めて出逢ったあの場所。
「こんばんは、おにいさん」
そこで、闇夜は待っていた。
夕暮れよりは各段に夜に似ていた。あいつを少し幼くして、散髪させて、黒い男物の和服を着せれば、闇夜少年が出来上がるだろう。それくらいに、彼は夜に似ていた。
彼の周りにはないもない。ただ、闇が―――どこまでも広がる闇と、それが心地好いのか集まっている野良猫たちしかいない。
「まさかまさか、彼が君が探していた人間だったなんてね。はっは、世間は狭いというべきか、運命的というべきか」
芝居がかった動きで肩をすくめる紫藤を見て、闇夜はくすりと、あいつそっくりに笑った―――自分でも驚くほどに、俺はその笑顔に動揺してしまう。
「ありがとう、紫藤。早くに見つかってよかった……ほんとうに、もう時間がない所だた。おにいさんに僕が見えるかどうかも懸念点ではあったけどね。気配だけでも分かってくれれば、あとは君に通訳でも頼もうかと」
勝手に話が進んでいるような気がして、唖然としていた俺もここでようやく口をはさんだ。
「……闇夜。あいつらの家族とやらの末弟」「そうですよ。夜のいいひと」「夕暮れからは、いなくなってしまったと聞いていた」
紫藤と闇夜は顔を見合わせた。前者はにやりと笑い、後者は空を―――星も見えない闇を仰ぐ。
「うん、僕もそうだと思っていました。これでおしまいだ、あの子は闇のなかで一人ぼっちになってしまう、って……でも、消えはしなかったんです。まだ、子どもたちが闇を怖れていてくれるから―――憬れていてくれるから。それと」
甘い、茶色の紙巻を吸いながら紫藤がその後を引き継ぐ。
「それと、僕や君みたいな―――暗がりをひとりで歩くのを怖がるような、どうしようもない大人がいる限り。なんとか闇夜くんは現象として存在していられるし、こうして波長が合えば話すことだってできる。……らしいぜ?残念ながら、その夜ちゃんだとか、家族たちには見えないみたいだけど」
彼の吐いた煙が白く、暗闇を絡めとっていく。
「……俺が?」「そうさ、君は怖いんだ」
ひとりぼっちの夜が。
隣に誰もいてくれない、この闇夜が。
「だから、僕に会えたんですよ」
#
「一週間後―――満月の晩、きっと彼女はおにいさんに会いに来て」
さよならをして、死ぬでしょう。
そう闇夜が言ったものだから、俺はなにも言えなくなって。ただ、苦い煙を吐くことしかできなくなってしまった。
どうして分かると問いかけると、彼はとても悲しそうに笑った。
「彼女は僕の半身ですから。考えてることは、分かります」
姿かたちはそっくりなのに、その時の闇夜の笑顔はとても夜のそれとは似ていなかった。まるで助からない傷を負ったを受けた兵士が、諦めたように、ようやく救われたようにくしゃりと笑うような、そんな笑い方だった。
「会っても会わなくてもいいです。会わなければ夜はひょっとしたら生き延びるかもしれないし、結局死んでしまうかもしれない。会えばきっと死ぬでしょう。でも」
僕のようになるくらいなら。
いっそしあわせなまま、死んでしまった方がいいのかもしれない。
家族に死んだと思われていながら、彼は家族のしあわせを―――姉のしあわせな死を、願っていた。
紫藤は、なにも言わない。俺と同じように闇を怖がっているらしいこの男は、ただ静かに俺たちの話を聞いていた。
「僕は夜に、こんな中途半端な存在になってほしくない。でも―――でも」
「おにいさんが、それでも彼女と共にいたいと願うなら」
一つだけ、方法があります。
とっておきの、特別な方法が。
俺はそれを聴いた。
成程、と思った。
きっと俺は、怖がりで淋しがりなどうしようもない大人は、この方法に頼ってしまうだろうとも。
「僕としては使ってほしくは、ないです」
よくよく考えれば、彼は初めから泣いていたのかもしれない。
#
「やさしい君が酷なことをするじゃないか、闇夜」「……」「あれは確かに二人にとってはいいかもしれない。でも、彼らひとりひとりにとっては極上の呪いになるぜ」「……それでも。彼女が。何万年かの孤独に殺されるくらいなら」「……訂正するよ。やっぱり、君はやさしい」
夜が死ねば、今度こそ君も死ぬんだろ?
「夜があってこその暗闇、だもんね。てっきり君は死にたいんだと思ってたから、あの方法を教えないまま、ただ夜ちゃんに会うよう―――彼女を死なせるように仕向けるもんだと思ってたよ。今度こそ、きちんと消え去るために」「……そこまで悲観してないよ、紫藤。君みたいなみょうちきりんな友人が、他にもいない訳じゃない―――それに」「それに?」
「猫と遊ぶのは嫌いじゃないんだ。最近ようやく猫語を覚えてきてね」
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