人類のエピローグ、あるいは星に手を伸ばすもの(7/7)


「というのが、エイリアンと人の間で起こった。今のところ最後の戦争の顛末だね」


「それで、俺にどうしろって言うんですか?」



 すっかりと冷えたコーヒーを口にしながら。八神少尉ハヤテ=ムーンフェイズの孫はため息をつく。結局のところこれは、自分の大叔母ツバサ=ムーンフェイズ目の前の老女高橋くるみののろけ話でしかない。少なくとも彼にとってはそうとしか受け取れなかった。



「ほら、まだツバサさんは生きてるでしょ? だから誰か、一緒に思い出を語れる若い人がいて欲しいなって思って」



 からからと、眼鏡をかけた老女が笑う。やはり何度見ても隣に立つ御剣那奈華と揃いの黒喪服は華のない彼女には似合っていない。本当にこうして笑っている姿を見ると、ただの老人でしかなく。かつて地球を救った英雄であったとは思えない。



「彼女が人を滅ぼそうとした時、銃を向けて欲しいの。人はそう簡単に滅ぼされないと。向き合うと伝えて欲しいなって」



 成程と、納得は出来た。ただあのおどおどとした大叔母が、実のところ地球を滅ぼせる力を持っていると言われても素直に納得は出来ない。なんだかんだで戦争は地球のどこかで続いているが。それが他人ごとに思える程度にはこの国は平和なのだ。


 ただし、隣人の脅威と思える程度には戦火は近く。だから自分も国防軍への入隊を決めた側面もある。



「そんな事を、俺がしていいんですかね?」


「その考え方は良くない、八神少尉。わたしは女だけど、それでも西くるみが好き。それを貫いたから、今私は彼女の隣に立って居られてる」


「それはまた、違うジャンルの話だと思うのだけれど…… まぁもう旦那が死んで結立つし。友人付き合いで良ければ続けるからさ」



 成程と人生の先達が繰り広げた。あるいは繰り広げている三角関係に苦笑いをしながら八神少尉は残ったコーヒーを一気に飲み干した。



「うん、恋とか友情とか、そういうこと以外でも。いろんなかかわり方が人にはあってね…… そのうちの一つとして、甥っ子? じゃないか…… 」


姪孫てっそんよ、西村」


「そうそう、姪孫てっそんとしてちょっとだけ。ツバサ=ムーンフェイズを。まだ死ねない自分の友人の事を、気にかけてくれないかな?」



 ああ、そこまで言われたら。今度会ったらあいさつ程度はしようかなと。その程度の事は考えられる。ただ今自分が喪主を務めている相手にそんなことを考えている事実に耐えられず。噴き出してしまいそうになったのを無理やり飲み込んだ。



「はい、まぁ…… 俺だけじゃないんですよね?」


「勿論、自分の孫にも伝えてあるわ。そして出来ればその次の世代にも伝えてあげて欲しいの。彼女が、ツバサ=ムーンフェイズという人類の隣人を一人ぼっちにはしたくないから」



 それは間違いなくエゴイズムでしかなく。いつかは途絶えてしまうかもしれないか細い希望だと八神少尉は思う。けれど、誰にも知られていないよりは救いがあるのかもしれない。


 たが、それを決めるのは自分ではなく。もうすぐ焼かれる空の棺の持ち主である。



「長々と、老人の話に付き合わせてごめんね?」


「ここの支払いは西が全部出すから安心して欲しい」


「ちょっと、ナナカの分は自分で払って頂戴ね?」



 笑いながら二人の老女が席を立つ。それじゃあと軽く別れのあいさつの後。上品なリズムで彼女たちは去って行った。かろうじて返事は返せたが、どうにも翻弄されたような気分に包まれて――


 ふと、視界の端。喫茶店の入り口に見覚えのある人影がちらりとうつる。長い金髪をポニーテールにした女の子。


 きょとんと目を丸くする。どこかで見たような、それは気のせいか。いや、自分の葬式なのだから、誰が来ているのかを確かめに来たのかもしれない。


 出来る事ならば高橋くるみが感じている友情に値する何かを、たとえそれが憎しみであったとしても持っていて欲しいと、八神少尉は願う。


 改めて見やると、もうそこには誰もいない。いや、式場の方からプリプリと腹を立てた双子の姉がこちらに向かってやってきている。


 さて、なんといってごまかそうかと。八神少尉は椅子から立ち上がる。折角なら、今聞いた話でけむに巻くのも良いだろう。ラブロマンス好きな姉なら、もしかすると怒りよりも先に興味の方が前に出るのかもしれないのだから。





 西暦2319年、人類は今だ地球で繁栄を続けていた。残された自転エネルギーを消費しつつ、定められた範囲の中で幸せを模索し、死んでいくことを文明の繁栄と呼ぶのなら。進歩はなく、終わらない停滞の果て。


 いつか地球が止まるその日まで、彼らはこの大地で生き続けるのだろう。


 そんなことを思いながら、ツバサ=ムーンフェイズはかつて己が通っていた学び舎の屋上で空を見上げる。


 もう既に人類は軍隊というものを必要としていない。


 少なくとも、人型機動兵器という概念は最早娯楽の中にしか存在していない。


 かつてこの世界に存在していたロマンに思いを馳せるものがいたとしても、それを駆りたいと思うものはもういない。そんなバイタリティを持つものはこの星から旅立ってしまった後だ。



「ベガ、デネブ、アルタイル。まだ夏の大三角がよく見える。間に合って良かった。今日はお月様がない日だから、とっても綺麗」



 隣人は穏やかに微笑み、夜空に手を伸ばす。



「あの星に向かって、ハヤテちゃんの孫…… その子供、あれ? 更に孫だっけ? 」



 この地球から放たれた7つの恒星間繁栄種船の1隻があの方角を目指している。彼らは無事にたどり着けるのだろうか? 計算によると居住可能惑星に辿り着くまであと100年はかかり。その上で辿り着く前に全滅する公算の方が高いと聞いた。


 けれどそれは母なる地球の命を削り、人間が手に入れたのはより大いなる可能性なのだと。100年前にハヤテの子孫が嬉しそうに語っていたのを思い出す。


 もう、何年直接人と話していないだろう?


 精々ネットワークを通じて、軽く人と接触する程度。未だ匿名が保たれたネットワーク上の空間は、ツバサ=ムーンフェイズという人外の化け物にとって思いのほか居心地がいい。


 けれど、汚泥に近い生ぬるさよりも時々。姉とかつて恋した彼の子孫が乗り込んだ箱舟に思いを馳せてしまう事がある。そんな時はこうやって、廃墟の屋上に立ち一人きりで星空を見上げるのだ。


 ああ、ハヤテが双子の姉ならば。あるいはその子孫は自分とも繋がっているのかもしれない。そんな浅ましい考えが頭を過り、ツバサは倒れそうになる。これで何度目になるのかは分からない。


 結局最後まで一緒だった彼との間に子供は生まれなかった。産めなかった。


 その後悔を引きずって、こんなことを考えてしまう自分の愚かさはもしかするとこの銀河の中で一番なのではないかと思ってしまう事もある。


 しばらく、ボロボロの屋上の上でぼぉっと星を見上げ続けて。更なる後悔が襲い掛かって来る。大石葵と出会えたことは、添い遂げた事は幸福だったのか――?


 八神空を手に入れられなかったことは、考えが纏まらない。だから彼女は眼下に広がる街の明かりと、空に広がる星に手を伸ばす。


 願わくば彼らが、黄昏の先を目指して旅立った箱舟の乗組員が。自分の手の届かないどこかで幸せになって欲しいと。そう身勝手に願いながら。

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ルナティック・ハイ小話 ハムカツ @akaibuta

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