エピローグ

 人は、命を投げ出そうとする。そして同時に人は、命を繋ぎ止めようとする。

 『死にたい』と思ったら、次の瞬間「生きたい」と思っている事はよくある事である。

 この二つの思いを、同時に感じてしまう所が人間らしい。矛盾している思いなのにもかかわらず、人間は、人は思ってしまう。こういった複雑な所がまた人間らしく、人らしい。


 しかし『死ぬ』事は容易ではなく、また同時に『生きる』事も容易ではない。


 『死にたい』と願っても、簡単に死ねるものではないと考える人もいれば、『生きたい』と願っても、簡単に生きる事なんて出来ないものだと考える人もいる。

 そうつまり、二つの考えはとてもよく似ているのだ。

 『死にたい』と『生きたい』という気持ちは、表裏一体なのだ。


 そんな事を考えながら、私は窓口で事務仕事をこなしていた。書類の整理をして、シュレッダーにかける。時間はもう十二時を回っていた。夜は好きな方なので、残業はあまり苦にならない。と言っても、この仕事量はどうかと思うが。そろそろ疲労で倒れそうだ。机にはまだまだ書類が山積みなのに。


「兄さん、そっち終わった?」

「終わりましたよ」


 妹のメイにそう返した。妹はさっさと仕事を終えたらしく、今は座って爪に黒いマニキュアを塗っている。その爪は銀行員としていかがなものか。注意するべきなのだろうが、そんな気力さえ起きなかった。


「あ、そのお客さん。ちょっと前に来てた人? 涼野さんだっけ、死んじゃったの?」

「自殺したんです。飛び降り自殺」

「うえー自殺う? なんでわざわざ命を借りたのに自殺なんかしたのかねえ。馬鹿なんじゃないの?」

「メイ。人間は皆、愚かなのは知ってるでしょう。生きたいと思った次の日には自殺を考えている奴らなんですよ?」

「そうだけどさー……うーん、人間の思考はやっぱ理解出来ないねえ。ま、理解したくもないけど!」


 そう言って笑うメイ。私はメイから視線をずらし、また書類に目を向ける。膨大な数。これだけの人が生きたいと願い、死んでいったのだ。本当に溜め息が出るし、呆れてしまう。つくづく人間には嫌気が差してしまう。


「涼野結衣……彼女もまた、愚かな人間の一人でしたね……」


 彼女の書類をシュレッダーにかける。切り刻まれて、彼女はシュレッダーの中に消えていった。

 でもまあ、私たちのような感覚を持たないのが人間だ。ほとほと嫌気が差す部分もあるが、それだけが人間じゃない。『人間』は、一言では語れない複雑な生物なのだ。

 この世に生を受けた人間には、皆それぞれの人生というものがあり、それに沿って生きる。最期には苦しみ傷付いて、哀れな末路を辿るのだ。『死』という末路を。避ける事が出来ない自分の運命。その『死』にさえ抗おうとするのだから、人間は実に滑稽だ。


 ――だから人間は面白い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生命バンク 小花井こなつ @deepsea

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ