第五話


 目が覚めた時に一人いた所は、真っ暗闇だった。一筋の光さえ見えない、どこまでも続く闇。そんな所に私は一人でいたようだ。人の気配はなかった。

 私が覚えているのは屋上から飛び降りた事だけだ。病気に、母に、全ての事に失望と絶望をした私は死のうとした。そのはずなのに。私は今生きている。呼吸をしてるし手足も動く。どういう事だろうか。


「目が覚めましたか、結衣さん」


 聞き覚えのある声だ。低い男の声。私はこの人を知っている。この喋り方、この感じは……

「ミコトさん……?」

「はい」


 暗闇のはずなのに、私にはミコトさんの姿がはっきり見えた。何も見えないはずなのに。黒いスーツが暗闇に溶け込み、さらに不気味さを増していた。


「結衣さん、貴女は何故ここにいるのかおわかりですか?」

 優しい声でそう言うミコトさん。逆に恐怖を感じてしまう。私は正直に「わからない」と答える。


「そうですか……全く、愚かですねえ。人間は」


 ミコトさんは溜め息をついた。その溜め息の意味がわからない。でも肌でわかる、子供が親に怒られる時を察知するような恐怖感。なんか、この雰囲気はまずい。


「貴女は借りた命に感謝もせず、その命を不意にしようとした。これは重大な契約違反です」

「え……?」

「よって結衣さん、貴女にはそれ相応のペナルティを負ってもらいます」

「それってどういう……」

「地獄に堕ちてもらいます」

 話がいきなりすぎて理解出来ない。地獄? 地獄に堕ちる? きっと今、私は非常に驚愕した表情をしているだろう。


「なんですか……それ」

「命を粗末にする人間は、地獄に堕ちるのです」

「何を言ってるんですか……?」

「結衣さん、貴女は屋上から飛び降りたあと死んだのです。飛び降り自殺なんてよくやりましたね。まあ、あとで掃除をする人は大変でしょうけど」

 そう言って私から目を背けるミコトさん。呆れたような、うんざりしたような顔をしていた。


「こんなの嘘でしょう?」

 ミコトさんへの恐怖心からか、鼓動が早くなり体が震える。掠れた声でそう尋ねた。

「私は嘘は言ってませんよ……それなら、ご自分が飛び降りた瞬間でも見ます?」

 ミコトさんは胸元からタブレットを出し私に見せる。映っていたのはあの病院。そして屋上には人影。その人影が今、落ちた。

 こんな動画どこで撮ったのだろう。狙って撮れる代物ではない、自殺の瞬間なんて。頭の中で混乱しながらも、ミコトさんは話を続ける。


「はあ……あれほど忠告したのに……本当に人間は弱いですねえ。何故自殺なんてしたんですか」

「だって……生きていたって辛いだけですよ……病気が治らないなんて……ずっと苦しみ続けなきゃいけないなんて……」

「貴女の『生きたい』という言葉は嘘だったのですか?」

「違う! あの時は生きたいと思っていた……! 寿命を借りたら、病気が治るって思ってたから! そうとしか考えられなかったの……私にとって生きるという事は、病気が治っている事前提だもの……大体、こんなの詐欺じゃない! こんな化け物みたいな体になるなんて話、聞いてない!」

 私は声を荒らげて反論した。ミコトさんはギョロッと目を動かし私を見る。近づいてくるその視線に背筋が凍りついた。


「私は命をお貸し出来るとは言いました。しかし病気を治すとは一言も言ってませんよ?」


 目を見開き、落ち着いた口振りで話すミコトさん。蔑むような、嘲笑っているような、表情だった。

「お話は終わりです」

 指をパチンと鳴らすミコトさん。その瞬間、私の下に大きな穴が現れる。私は為す術もなくそのまま真っ逆さまに落ちていく。叫ぶ暇さえ与えなかった。必死に手を伸ばした先に見えたのは、黒い笑みを浮かべた悪魔……否、死神だった。


「さようなら」


 黒い闇が私を包んでもう何も聞こえないが、最期にそう言われた気がした。

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