マジ惚れカーテンコール





 夢を見た。


 わたあめを踏みしめて歩いた先にはシロップの滝があって、その先にはクッキーやらチョコレートで出来たお菓子の家。一目で夢だとわかるそこでは甘い匂いが鼻をくすぐって、中を見てみたくなって、ビスケットで出来たドアをノックして開けた。そうしたらそこには、おれが一目見てからずっと片想いしていたお姫様がいて。つやつやした黒髪を肩のあたりで綺麗に切りそろえて、大きなつり目をすみれ色のメガネで隠して。同じ色をした瞳がぱちりと瞬いて、ゆるりと細められる。微笑んでいる、想い人が。可愛い。

 椅子に腰掛けていた彼女はすっと立って、薄い紫色のきらきら輝くドレスを揺らしておれの近くへ来た。髪が、肌が、服が、揺れる度に甘い匂いがする。

白い手袋をした彼女の手が頬に触れて、あ、めっちゃ甘い匂い、これなんだ、フレンチトーストの匂いだ。ぐらぐらする頭でその手を握り返そうとして―――



 ピピピ、ピピピ、ピピッ。


「……うわああ」


 目が覚めた。

 想い人に触れられていたはずの頬には代わりに愛猫の肉球がぎゅうと触れていて、起こしてくれようとしたのか、いや違う。この不機嫌な顔は、「アラームを早く止めろ」だ。未だにけたたましく鳴り続ける目覚まし時計を力任せで叩けば勢い余って床に落ちた。バキン。嫌な音がする。ああ、電池が片方飛んで本棚の下へと転がっていった。

 もう嫌だ、ふて寝しよう。そして、そのまま休もう。フレンチトーストの匂いが充満する部屋でそう決意する。甘い匂いはとても美味しそうだけれど、腹の虫がふざけるなと抗議してくるけれど、無視だ。今日は日が悪い。

 と、布団に潜り直したところでふと気づく。待てよ、今日は、部活がある。休んではならない。がばりと身体を起こして側にあるハンガーに掛けられた制服を引っ掴んだ。

 部活に行けば、片想いしているあの先輩にも会えるのだ、それなら行くしかない。休んで一日会えなくなるより、一日でも多く会えた方がいいに決まっている。


「ちょ、ミケどいて!」


 床で丸まる愛猫を跨ぎ焦ってドアを開けたおれは、さっき飛び出た電池のもう片方を踏んで盛大にずっこけた。

 ……オデコを強打した五島尚武、学校へ行くの巻。





△▼△▼





「シロちゃんのぼっち飯回避隊〜!」


「うるせえ黙って座れ」


「シロちゃんのツッコミいつもよりキビシー!なんかあった感じ?お悩み解決はいっちょこの『ナオタケゴトー』に任せな!」


「黙って!食え!!」


「あいって!」


 目の前に居る幼なじみ、里中四郎――シロちゃんの手刀が脳天に激突して、机の上にぼとりとジャムパンが落ちた。いつも早弁して半分くらい隙間を生む、シロちゃんちの美味しいお弁当は今日に限って隙間なくきっちりおかずと白米が詰まっている。シロちゃんがいつも通りでないとなんだか落ち着かない。朝からずっとこんな調子のシロちゃんは眉間にシワがぎゅっと寄っていて。俺なんかは悩みがあまり無いから、一周まわって羨ましい。


「で、ナオタケゴトー使う?依頼料は千円」


「いや金とんのかよ!」


「なはは、ウソウソ〜」


 ほらほらちゃっちゃと話しちゃいな、と机を叩いて催促すれば、シロちゃんはしぶしぶといったようにぽつぽつ話し始めた。

 中身はざっとこんな感じだ。

 今日、ちょっと恐ろしい夢を見たこと。それは演劇部のオーディションのことで、蔑まれて嗤われて、散々だったこと。それらがやけにリアルで、さらに怖かったこと。

悪夢をあんまり見ないおれにはよく分からなかった。


「夢でまでオーディションとは、やっぱシロちゃん演劇メッチャ好きっしょ」


「そこじゃねーよ。怖くね?悪夢だぜ」


 んん、ポイントが違ったみたいだ。そんな事言われたって、そんなに悪夢を見ないおれにしてみれば、悪夢は怖いけども気づいたら忘れてる。そんなものだ。

 最後の一口のジャムパンを口に入れ零れたジャムも共に飲み込む。甘ったるくなった口の中をさっぱりさせたくて、殆ど手をつけられてないシロちゃんの弁当から卵焼きを一かけらつまんだ。シロちゃんが怒ってるけれど、気にしない。

 てか、うわ、いつも思うけどシロちゃんの家の飯はめちゃくちゃうまい。


「おれあんまり悪夢とか見ないし分かんないんだって〜」


「あっそ。馬鹿はお気楽でいいよな」


「あれ?いつおれがディスられる流れに?」


 シロちゃんツッコミのキレがやばい、マジでおもしろい。げらげら笑っていたら怒ったらしいシロちゃんに焼きそばパンを分捕られてしまった。シロちゃんはパンをばくっと一口かじって眉間のシワをきつくする。


「ちょ!後で食べようと思ってたのに〜!」


「うるせえ。卵焼きの恨みだ」


 そのままシロちゃんは食べかけのパンをこちらに寄越してくるので、えっとおれは声を上げた。まさかの食べかけだ。間接キスか。あっ、これはだいぶ気持ちが悪い。


「いや返されても困るんだけど?むしろ弁償して?」


「は?要らねえわ。つかこれクソ不味い」


「ワガママか!」


 いつも美味しいご飯を食べて舌の肥えているシロちゃんにしてみれば、量産型の食べ物なんてそうそう美味しいとも思わないのだろう。おえっと吐くような仕草をしてみせるシロちゃんに、そこまで言うかと一口かじってみたけれど、なんだ普通に美味しいじゃないか。シロちゃんは舌が肥えすぎだ。


「……なーんか、怖ぇっつーか、モヤモヤした不安みたいなもんがあるんだよな」


「え?あー、シロちゃんオーディション失敗したって言ってたっけ」


 突然話を戻されて一瞬ついていけなかった。落ちそうになった焼きそばをすすって以前言っていたシロちゃんの言葉を思い出して相づちを打つ。


「そーなんだよなあ。ま、アイツが主役受かるはずは無いけど?あって美緒先輩主役で、る衣先輩準主役とかだろ。アイツはないない」


 どっきゅん。心臓が跳ねた。る衣センパイ。おれが一目惚れして今に至る、三年生の先輩。坂崎る衣先輩。シロちゃんは、おれが、る衣センパイを好きだって事は知らない。だからこうしてこともなげに口にするのだろうけど、いちいち心臓をどきどきさせなきゃいけないこっちからすれば割と恐怖ものだ。咳払いをして気持ちを落ち着ける。

 ばれたら多分すごくからかわれる。それが一番いやなのだ。

 シロちゃんの向いてる方を見れば、長いポニーテール。ああ、トワちゃんか。トワちゃんはおれたちのもう一人の幼なじみ。豊瀬都羽子って名前だ。


「トワちゃん?でも最近トワちゃん演技上手くなったよね~ってミオ先輩褒めてたけど」


 よし、声も震えてない、シロちゃんもなにも不審な顔はしていない。これでも演劇部なんだから、嘘もごまかしも上手くないと。おれが、る衣センパイを好きだってことも、おれがシロちゃんに隠し事をしてるってこと――もうとっくにオーディションの結果なんか知らされてるって事も、隠しておかないといけない。


「は?いや言うて俺の方が上手いからな?死ぬほど練習してあんなんのアイツとは全然ちげーから。」


「ほおん」


 朝自販機で買ったサイダーで喉を潤した。シロちゃんは気づいていない。よしよし。

 る衣センパイからいきなり、オーディションの結果が流れてきたときは驚いた。部員からだと親から受話器を預かって、る衣センパイだとは夢にも思わず、うぃー、なんて気の抜けた返事をした。る衣センパイのりんとした声が耳を撫でて、思わず受話器を落とした。そこで自分の役とシロちゃんへのことを聞いて、そりゃ想い人の言うことなんだから二つ返事で了解した。

 シロちゃん、ごめん。友情は愛の前では無力なんだ。


「……って、やっべ、もうこんな時間かよ」


 徐に時計を見てシロちゃんは焦った声を上げる。時計が指しているのは予鈴直前。次はいつも早めに来る先生の授業だ。その上厳しい。菓子パン達の袋をぐちゃぐちゃに丸めてシロちゃんが席を立つのについていく。その途中でゴミ箱にゴミボールを投げ入れた。危ういながらもそれはきちんと箱の中に吸い込まれていった。


「次英語だよな?」


「うん。……ねー、シロちゃん」


「ああ?」


 ほんとはおれ、シロちゃんに伝えてないことがいくつもあるんだよ。シロちゃんの役はね。おれが好きなのはね。

 いくつも頭の中に浮かんでは、消える。だめだ、伝えてはならない。そもそも嘘はあんまり好きじゃないのだ。だけど敢えて嘘をつくのは、シロちゃんのことも、センパイのことも大事だからであって、なんて。そうやって言い訳をすることで自分を正当化した。なんだよ、と首を傾げるシロちゃんに、呼んでしまった手前、言いたかったことは飲み込んで、当たり障りのない言葉をかけた。


「……正夢に、ならないといーね」


……おれは、うまく、笑えていただろうか。

これだから、嘘は好きじゃない。





「集まったかしら。それじゃあ、今日の活動を始めます」


 よろしくお願いします、おなしゃーす、っす、と口々に声を上げた。る衣センパイはそれを見て頷き、手元の紙へと視線を移す。役がもう一度センパイの口から話されるとすれば、今日だろう。シロちゃんは一体どんな反応を示すのか、正直な所不安しかない。ちょっと血の気の多い所があるから、暴れたりしなければ良いんだけども。


「劇のことだけれど――、今回の主役は、都羽子に決めたわ。準主役は美緒、助演は尚武、わたし、それから、四郎」


 おれたちはもう一度告げられているから、大した衝撃ではないにしても、シロちゃんは今日初めてそれを聞いて、センパイの口ぶりから一番小さな役だと分かったのだろう。ごくん、とシロちゃんののど仏が跳ねる音が静かな部室に響き渡る。


「これが今回の台本。目を通して」


 一人ずつ手渡された台本に目を通す。本当は主役がやりたかったけれど、ぱらりとめくって最初のページ、おれは優しい僧の役。る衣センパイとの掛け合いが一番多い役だ。たぶん主役よりも。三年生のセンパイ達は今回の劇が終われば引退してしまう。最後に好きな人と沢山話せるなんて、おれはなんてついてるんだろう。


「ところで。今回のオーディションは四郎、散々な出来じゃなかった?」


 それぞれが安堵したりおれのように喜んだり、落胆したりするごちゃごちゃの部屋の中に、る衣センパイの鈴みたいに綺麗な声が響いた。皆シロちゃんの方を向いて、当のシロちゃんは居心地が悪そうに声を絞り出していた。


「……そっすね」


「今回の本にあんたの居場所はほとんどないわ」


「……でも、都羽子みてえな女に男役当てるんだったら俺にした方が百倍良いと思いますけど」


「まだそんなことを言うの?」


 る衣センパイのつめたい声。ぴりりと部屋の空気が凍った。おれだけじゃなく、いつも真顔でいるトワちゃんでさえも少し複雑な顔をしていた。怯えているのとも憤っているのとも違うように、顔をしかめて。


「今回何故あんたが落ちたか、それから自分の身の振り方を、少しは考えた方が良いんじゃないかしら。……さあ、気を取り直して。練習を始めましょう」


 る衣センパイは言いたいことが言えたらしい、さっきまでの厳しい声ではなかった。おれも、おずおずと台本に目を落とす。ぱらり、ぱらりとページをめくる音が聞こえるなか、シロちゃんだけは呆然と突っ立っていたままで。


「四郎、あんたもよ」


 そしてセンパイもそれに気づいたのだろう、腕を組んでシロちゃんを見据えた。それにすらも上手く反応しなかったシロちゃんだったけれど、突然、ははっと乾いた笑いを零して肩を竦めた。


「……あー、いやぁ?こんなちっちぇー役居ても居なくても変わらないっしょ。自主練してきますんで、ごゆっくり!」


「えっ、シロちゃん!?」


 そんなにも、屈辱的だったのだろう、与えられた役が。苛立たしげにドアを開けて出て行く背中に、思わずと声をかけた。一瞬動きは止まったように思えたけれど、そのまますぐにシロちゃんは出て行ってしまった。

 気にしないで始めましょう、とかけられたセンパイの声に、何でか今は、何も考えずにうんと頷けはしなかった。





△▼△▼





 それから数日が経って、おれの居場所はすっかりとこの演劇部だけになってしまっていた。隠しているのが辛くて、シロちゃんにほんとうのことを話してしまったのが悪かった。

 おれ、ほんとうは、シロちゃんの役のこと、先に知ってたんだ。ごめん、と頭を下げたそれこそが、シロちゃんのプライドを粉々にする決定打になってしまったのだろう。そーかよ、と震える声を漏らしたシロちゃんはそれから、おれをその瞳に映すことをしなくなった。話しかけても無視されて、おれがどれだけシロちゃんに酷なことをしてしまったのか理解して、悲しくなった。だけど今慰めの言葉をかけれど、きっとそれはシロちゃんの神経を逆なですることに他ならない。おとなしく納まった役に、どっぷりのめり込んでしまっているのが今の状態。


「……『某は、円殿をお慕い申しております。まろい望月を見る度に貴女様を思うのです。貴女様を蝕む物病みを、どうか某にも背負わせてはくれませぬか?』」


「……全然ダメ。気持ちがこもってない。それじゃあ覚えた言葉をただ言おうとしてるだけだわ」


「えーっ」


「ふふ、私は良いと思うけど」


 おれのとなりで優しく笑うのは、る衣センパイと幼なじみだという斑目美緒さん。ミオさんとも今回の本では話すことが多い。

 今回の本は、トワちゃん演じる武士、『椿』と、ミオさん演じる『神楽姫』がメインキャストだ。『椿』とともに姫を長年支えてきた『千代彦』はおれの役で、最近入ってきた少し不思議な巫女『円』がる衣センパイ。残るシロちゃんは『円』の不思議な力を求めて現れた敵の右手『朱門』という役。ただ、今の台本では『朱門』は本当に台詞が少ない。その分殺陣は難しいのだろうけれど。

 何となく台詞を言いたい気持ちが冷めて、三人並んで黙りこくってしまった。沈黙が痛い。その凍り付いた空気を溶かしたくて、あの、とおれは声を上げた。


「……なんで、シロちゃんだけ、今回の役を伝えなかったんスか?」


 言ったよ。言っちゃったよ。

 ずっと引っかかっていたことを訊ねて胸の支えはおりたけれど、先ほどより空気が重くてああ、失敗だったかなと頭を抱えたくなる。ちりん、ちりん、る衣センパイのバッグについている学業成就のお守り、それの鈴の音がやけにうるさく感じた。たっぷりと時間を取ってから、それはね、とミオさんが口を開くけれど、それを遮る、る衣センパイの声にはっとした。


「……四郎は演技が上手いわ。そのせいで彼はそれに胡座をかいてる。何日も来なかったり、さぼったり。四郎に足りないのは部活を背負う者としての自覚。今回小さな役に当たった理由を知って、反省して欲しいの」


「……」


「……ここだけの話だけれど」


 この台本には、まだ続きがあるのよ、と。る衣センパイは悪戯っ子のような笑みを見せた。

 ここまででは朱門はほとんど台詞がない。だけども、今後シロちゃんが反省するようであれば続きを付け加えていきたい――る衣センパイはそう言った。つくづく、このひとはおれたちのことをよく見て信頼しているのだなと感動する。だってシロちゃんがきちんと反省するかなんて分からない。なのにもう続きが出来ていて、シロちゃんがきちんと今までを悔いると信じているのだ。

 ああ、だからおれはこのひとを好きになった。


「でも四郎くんには手を引いてくれる人もきっと必要よ。ひとりじゃ生きていけないもの」


「そうね。四郎は強いけれど、弱いから」


「……ねえ、る衣。最後の先輩面、してもいい?四郎くんのナビゲーター役、わたしに任せてくれないかな」


「ええ、良いわよ。お願いするわ」


 センパイ達は、すごい。お互いのことを知り尽くしているだけじゃない、おれ達みたいなあやふやな幼なじみの形じゃない、もっとぴったりはまっている。本当に、演劇が好きで、部が好きで、最後までおれたちを助けようとしてくれている。それがものすごく嬉しくて、ありがとうございます、とミオさんに頭を下げた。おれなんかシロちゃんがどう思うかも分からないで不用意に隠し事をばらして、シロちゃんを傷つけてしまったというのに。

 ミオさんはおれににっこりと笑いかけて先に帰るわね、と言った。そうして、頑張ってね、と楽しそうに告げる。頑張るって、なにをだろうか。

 走って行ってしまったミオさんにその言葉の意図を聞くことは出来ず、かといってる衣センパイに何か話しかけられるわけでもなく、気まずい空気は駅に着くまで続いた。駅に着いてから、ああもう別れなくちゃ、なんて、明日も明後日もまだあるのになんだか酷く不安になって。無視されても良い、困った顔をされても良い、ただなにか先輩と喋っていたい。口を開いたら、自分でも驚くほどすんなりと言葉が抜けた。


「……頑張ります」


「当たり前でしょう。……信じてるから」


 どくん。信じてると言ったその顔は優しくて、綺麗だった。通りゆく人々の奏でる風がる衣センパイの髪を揺らす。

 ああ、好きだ。好き。やっぱり好きだ。さらさらなびく切りそろえられた綺麗な黒髪も、アメジストの瞳も、厳しくて優しいその性格も。


「好きです」


 こみ上げてきた思いはどうにもならず、おれの口は静かにその言葉を紡いだ。途端、色白だと思っていたセンパイの肌が朱に染まってゆく。つられておれの頬も熱くなった。

 なんだ、これは。とてつもなく恥ずかしい。


「……ずっと、好きでした。いっつも、る衣センパイのことばっか考えてるんです。おれと、付き合ってくれませんか?」


 る衣センパイが呆然としてるのをいいことにまくし立てた。苦しい、どうすれば相手にこの熱烈な想いが伝わるのか分からない。ああ、千代彦もこんな気持ちだったのかもしれない。

 言ってしまったことはもう戻らない、最早やけだ。隠していたものを全てさらけ出した。

 る衣センパイはおれが喋るのをやめると肩をふるわせて笑い出す。そんなに格好悪かっただろうか。訝しげに見つめると、センパイは顔を上げた。


「……何スか」


「ふふ。ごめんなさい。あんたを千代彦にして、良かったと思って」


 千代彦みたいだった、と言われて、複雑な気持ちになる。

 結局おれは役としてしか見られていないのか、なんなのか。返事をください、と宣えばセンパイはまた頬を紅潮させて、俯いてしまった。


「センパイ?」


「ねえ、尚武――勝負をしない?」


「勝負?」


「そう、勝負。簡単なものよ。次の舞台が成功すれば、あんたの勝ち。あんたが勝てば、付き合ってあげる。」


 どう、頑張れる?なんて。そんなのは当たり前だ。こくりと頷けば、る衣センパイはにっこりと笑った。

 結果なんて分かりきった勝負。舞台だってそんなものだ。積み重ねていけば絶対に成功する。四郎が来てくれるといいけれど、とセンパイは困ったように笑って見せた。

 きっとこの人は、負けることを望んでいる。舞台を成功させたがっている。


「センパイっ、おれ、頑張ります!!」


 駅のど真ん中だから、静かに、と真っ赤な頬のまま窘められて、やっとおれはここが往来の場だということを思い出した。





「……ちわす」


「シロちゃんー!おひさじゃん!!」


 そうして、あの往来告白事件から数日。いつもの通りにシロちゃん抜きで始めようとされていた練習は、しかしそのシロちゃん本人の挨拶でぴったりと止まった。居心地が悪そうに目を逸らすシロちゃんに思わず声をかけてしまって、しまった、と後悔する。一方的ではあれど、今おれたちはちょっと仲が悪いのだった。また無視されるのかなあ、と少し悲しくなる。けれど。


「いやお前クラスでも顔合わせてるだろ、なお」

「それなー!……えっ返事?あっ!?シロちゃん!!?」


「うっせ」


 返されたのは、存外優しげな声で。おもわず抱きつきたくなるのをぐっとこらえた。きっとシロちゃんにもやらなくてはならないことがいっぱいある。シロちゃんが帰ってきたことで、トワちゃんも心なしか嬉しそうで。シロちゃんは新しい台本を受け取って感激していた。昨日出来たばかりの台本に、やはりセンパイ達はすごいと再確認して、でも、それ以上に。


「さ、四郎も来たことだし今日は朱門のシーンメインで練習しましょうか」


「……はい」


 その返事と共に、シロちゃんの顔からすっと感情が消えて。それに続く言葉は、シロちゃんの役、『朱門』そのもので。背筋にぞわりとしたものが走る。これは何だろう、恐怖か、畏怖か、尊敬か。センパイ達も十分すごいけれど、シロちゃんもすごい、あの少ない情報量でもう朱門を自分の中に取り込んでいる。おれも頑張らなければ、円を慕い守ろうとする、健気な千代彦にならなくては。息を大きく吸って、頬をばちんとはたく。

 大丈夫、おれたちの舞台は成功する。こんなにも頼りがいのある仲間がいるのだ。そんな皆に見劣りしてはいけない。背筋を伸ばして、る衣センパイに笑いかけた。





△▼△▼





「――本日は、ご来場いただき誠にありがとうございました!」


 有り体に言ってしまえば、成功した。

 むしろ大成功といっても良い。センパイ達の最後の舞台だった体育館は、『椿』と『神楽』達の箱庭だった。最後の最後の、シロちゃんの締めの言葉で箱庭は日常に還った。だけれど、おれの中ではまだ、『千代彦』がくすぶっている。それは隣のる衣センパイも同じようで、帰り道でも口から出る話は舞台のことばかりだ。


「『く……はは、永遠に分からぬだろう、お主には。他人の手となり影となり、名誉のためと手折られる者の無念など!』」


「それ、朱門の……」


「この朱門の言葉が、すっげー耳に残ってるんです。朱門もまた可哀想なひとだったんだなって、この台詞見て知って」


 そしてそれがシロちゃんの高い演技力で演じられれば余計に印象付いてしまう。この台本の裏の主役は、朱門だった。そのつもりできっと、る衣センパイも書き上げてシロちゃんを選んだのだろう。センパイの口から直に語られたことはないけれど、恐らくそういうことだ。シロちゃんを、みんなを信じている、そんなセンパイのことだから。


「……私は、あんたのことばが一番耳に残ってる」


 えっ、とセンパイの方を向けば、センパイの頬は街灯の下で紅潮していた。目を見て話すのは恥ずかしいのか目線を逸らされて、ねえ、とセンパイの声が震える。


「……もう一度言ってよ」


 あんたとの最後の舞台を、あんただけの言葉で、締めくくらせて、と。

 街灯で照らされたすみれ色は潤んでいた。これは、る衣センパイなりの告白だった。回りくどくてぎこちない、可愛い告白。


「……好きです」


だから、おれは静かに、大切にその四文字を音にした。これで、る衣センパイの最後の舞台はおれの言葉で幕を閉じたことになる。なんて、まだまだおれらの人生劇は終わらないけれど。センパイは満足げにふわりと笑って、あんたの勝ちね、と言った。

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Dark Change 水落一瀬 @mitose_1215

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