第3話魔術師リヒャルト

 「ジャマだっ!!!どけどけっ!!!」

 

 賑わいをみせる市場の中に、男の怒声が響き渡る。

 はち切れんばかりの勢いで、人混みの中を押し分け走る強盗。その後ろ姿を、セントは森をかける狼のように颯爽と追いかける。

 

 狭い、迷路のような路地裏に入り込んでいくとそこは、袋小路になっていた。

 

 「追い詰めたぞオッサン!あの子のものを返しやがれ!」

 

 「あ?何勘違いしてんだガキ。一人で何ができるってんだ?」

 

  そう言うと男はシャツの中から紙の束を取り出し、地面に叩きつけた。すると、紙はみるみるうちに姿を変え、生物らしき形をとっていく。

 

 それは、大きなカマキリだった。人間の腕位の太さのカマ、背丈はセントよりも少し大きいくらいだった。

 

 キャメルはごくりと生唾を飲み、目の前カマキリに視線を釘付けにされた。眼の前で起こった奇跡、それはカナル以外で初めてみるシンの能力であった。


「シンってこんなこともできるか……」


「すげぇだろ?紙を自由に操る能力、これが俺のシンの力だっ!でもよ、残念だよなっ!シンを授かる前に、お前は死んじまうんだからよぉ!」

 

 盗人は自らが得た力に高揚が隠せなかった。つい先日までは男は、シンを持たないただの人間であった。窃盗や日雇い仕事で日銭を稼ぐ、無能の存在であった。

 

 だが、街にキューブが来ると知ったとき、男はそれが転機だと予感した。

 今までと違う自分になれる転機。自分を変える新しい力に出会う機会。

 

 男は街の上空をキューブが通り過ぎるのを待たなかった。

 街にキューブが来てしまったあとでは、自分ひとりだけが特別でなくなり、街で暴れること出来なくなる、そんな単純な発想から男は一人キューブに向かった。

 

 キューブの周りには、新たにシンを得たモンスターを捕食する強力なモンスターが多く、都市を出てキューブに近づく人間など皆無である。

 

 だが、男は運がよかった。普段はキューブの下で獲物を待ち構えているモンスターたちがいなかったからだ。

 それはキューブ上空を囲む“空の支配者達”を恐れてのことであったが、男は知る由もない。

 

 空の支配者達の注意はすでに街に向いており、ちっぽけな人間一人にかまっていなかったことも幸いして、シンを得て生きて戻って来られたのだ。

 街に戻ってシンを出すよう念じてみたが、すぐには何も起こらなかった。

 

 男はシンの力を疑ったがやがて、紙を動かせることに気づく。

 新たに得た力、新しい自分。男はこの力を早く試したかった、自分がどれほど強大な存在になったかを知りたかった。誰でもいいから自分の力の標的となる存在を求めていた。

 

 そして、今目の前にいる少年セントをその力の最初の獲物と見定めた。

 小心者の男にとって、最初の標的が年若い子供であることは、自分にとって好都合であると感じていた。反撃の恐れもなく自分の力を試すことが出来るからだ。

 ゆっくり相手の動きを見定め、紙のカマキリに指令を送り出す。

 

 「おい小僧っ!!簡単にくたばってくれるなよっ!!」

 

 カマキリはその大きな鎌を、セントに向かって勢いよく振り下ろした。

 

 

***************************************

 

 

  今カナルの目の前にいる男、リヒャルト・コースターはかつて宮廷お抱えの魔術師であった。

 

 シンについて書いた論文は、学会でも高い評価を受け、シン自体は決して強大なものではないが、その多彩な応用力は小国とはいえチェト王国の長い歴史の中でも類をみないほどであった。

 

 リヒャルトは優雅な仕草で、紅茶を口に運ぶ。

 テーブルの上には、様々なお茶請けの焼き菓子が置かれており、香ばしい匂いを漂わせていた。

 

 「いつぶりだい、君と会うのは。三年前の“救出計画”以来かい?」

 

 「ああ、そうだ。あのときは監獄の警備が異常にきつかった、計画がどこかから漏れていたんだろう……」

 

 カナルは神妙な面持ちで答える。何かの感情を押し殺すかのように。

 

「……あいつらは今どうしてる?」


「二人とも死んではいないね。あの二人のシンの波動を強く感じる」


 リヒャルトは空になったカップに再びお茶を注ぎ、角砂糖を一つまみ入れぐるぐるとスプーンでかき混ぜる。

 

 一方、カナルは一口もテーブルにあるものに口をつけておらず、その顔には余裕のない表情を浮かべていた。

 

 「……それで、今回は次の救出計画を立てるために出向いてきたのかい?」

 

 「ああ……、できるだけの手は打った。今度こそ、必ず、救って見せる!」

 

 リヒャルトは紅茶を口に含ませつつ、カナルの痛いほど強く握られ震えるこぶしを見ながら尋ねる。

 

 「……それで、まだ本当にジブリールが生きていると思っているのかい?」

 

 リヒャルトがそう訊いた瞬間、カナルは割れんばかりの勢いでテーブルを叩きつけた。


 テーブルの上にあった茶器やお菓子は飛び散り、紅茶がリヒャルトの頭から降りかかる。

紅茶がリヒャルトの赤茶の髪から滴り落ちる。


「……すまない、つい感情的になってしまった。だが、ジブリールは生きている、これだけは言える」


 リヒャルトはそれに答えなかった。彼は、八年前のことに想いを馳せる。


 八年前、ジブリール、カナル、リヒャルトは他にあと二人を含めたブレイバーのパーティーであった。パーティーはジブリールを筆頭にチェト王国で一番の実績を持つほどであり、数々の高難度クエストをこなしてきた。


 だがある日、遺跡の発掘調査の中で、パーティーはキューブの作られた本当の意味を知ってしまうこととなる。そのことが、キリル教にばれ五人は追われる身になってしまう。


 とうとう五人は追い詰めたが、ジブリールが他のメンバーをかばい、一人キリル教に捕まり、異端者として絶海の孤島にある監獄の奥に収容された。


 ジブリールは最後、「セントを頼んだわよ」といった。

その一言でカナルは、ジブリールの後を追えなかった。 


 カナルは、自分が先に立ち向かっていかなかったことを、ひどく悔やんでいた。ジブリールじゃなくて、自分が捕まればよかった、と。


 カナルはまだ幼いセントを連れ、クスコノシェ山脈で移牧民として、生活を始めた。

セントには、自身がブレイバーであったことを伝えなかった。


 セントをキリル教の手から遠ざけるために。



***************************************



 男は驚愕した。自分の身に何が起こったのか理解出来なかったからである。


「観念しな、おっさん!」


 セントは強盗の顔を地面に押しつけ、その上に馬乗り、ロープで腕をきつく縛った。


 紙のカマキリを少年に差し向けて、攻撃させた。

 ここまではよかった、自分が何もしなくてもカマキリが少年を切り刻むと思っていたからだ。

 

 だが、その予想はいとも簡単に破られた。少年はカマキリの攻撃をするりと抜け、あっという間に自分に近づいてきたのだった。

 

 男は、セントに殴りかかろうとしたが、簡単に足を払われ地面に叩きつけられた。一瞬の出来事であった。気づけば、さっきのカマキリもただの紙に戻っていた。

 

 セントは男を、路地にあった物干しのための紐で縛り、奪われた手荷物を取り返した。

 

 「あの……」

 

 気づけば、路地の入口から先ほどの少女が顔をのぞかせてた。

 

 白い陶磁のような肌に、透き通るような碧眼。薄緑の髪をした美しい少女で、一瞬セントは見とれてしまった。

 

 「私のバック、取り返してくれてありがとう……」


少女は鈴のような声でお礼の言葉を口にした。


「あ、うん。こいつたいしたことなかったし、父さん以外のシンも見られてよかった。……ところで悪いけど、『エルメス』っていう店まで案内してくれない?こいつ追ってたら道分かんなくなっちゃって……」


 少女はキョトンとしたが、くすりと笑い少年と二人で路地を出た。


 ――その姿を屋根の上から見ていた女がいた。


「へぇ、あの子、なかなかやるなぁ」


 女はにっと笑い、二人の後を追った。


 

 

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MAD 戸村明 @1012752

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