Good-bye

しおり

第1話

「俺、吉岡さんの事が好きです」


 言ってしまった。

 ……言って、しまった。


 夕暮れ色に染まった屋上と、街中から掻き集めてきたようなセミの大合唱、頬を伝う汗。それから、真っ白なワイシャツ。

 シチュエーションは完璧だ。我ながら妹の少女漫画十冊を読んだ甲斐があったと思う。これは、完全に女の子を落とす「ザ・青春」のシチュエーションなのだ。

 だから、うん。きっと大丈夫なはず。

 そう心の中で唱えてから、俺は身体をほぼ直角に折り曲げた。勿論、正面には初恋の相手である吉岡さんがいる状態で。

 セミに負けないくらいうるさく高なる心臓を息を吐いて落ち着かせ、俺はまだそこにいてくれているであろう彼女に向け右手を差し出した。


「お、俺と……」


 いけ。

 いくんだ、俺!


「俺と、お付き合いしていただけませんか!」





 あれは、今年の四月の事だ。

 新しい制服に身を包んだ俺は、入学式で隣に座った同じクラスの吉岡さんに、人生初の一目惚れをした。

 それはまるで、桜が満開に咲き誇るような、それでいて胸が苦しく、切なくなるような……どれにも形容し難い、俺の初恋だった。



「あのっ……吉岡、さん」


 五月に入り、GWを直前にした教室は賑やかだ。特に女子はもう既にある程度のグループが出来ていて、GWの予定や最近の俳優の話で盛り上がっている。たまに所々できゃーっと悲鳴が上がるのは、もう慣れてしまった。

 しかし、俺が恋をした吉岡さんは、いつも一人で行動している。

 所謂陰キャラ、なのだろうか。誰かと話しているところを見た事はない。確かにあの長い黒髪は少し重そうには見えるけれど、そんな、見た目だけで判断するなんて。女子のスクールカーストは侮れない。

 まぁ、俺はそれらを気にするタイプでは無いから、こうして話しかけているわけで。


「……何か用ですか」


 思えば吉岡さんの声を聞いたのは、それが初めてだった。


「う、えっと……」


 ドキリと心臓が跳ねて、声が詰まった。情けない。とりあえず、自己紹介からだ。


「お、俺、矢野っていいます。吉岡さんいつも一人だから、友達になりたいなって……」

「……はぁ。変わってますね」

「え、そう?」

「はい、変わっています。とっても」

「そんなに……?」


 ちょっとショックだ。引かれている気がしなくもないし、心做しか周りの視線も痛い。そりゃあまぁ、俺みたいな普通の男が陰キャラ女子に話しかけていれば、何となく変な目で見られるんだろうとは思っていたけれど。

 しかしどうした事か、吉岡さんはその間も俺の顔をじっと見つめている。そんなに見つめられたら、顔から火が出そうだ。


「せ、席も前後ですし、仲良くしませ……」

「明日席替えらしいですけど」

「うっ……」


 せっかく話題を探したのに、そうだ、明日からはこの席じゃなくなるんだった。

 席が離れれば、話す機会も減ってしまうのだろうか? それは嫌だなぁ。


「まぁ、私には関係ありませんけどね」

「え?」


 キーンコーンカーンコーン……


 少し寂しそうに窓の外を眺めて言った彼女のその言葉は、始業の鐘によって遮られた。

 更に、次の休み時間に真意を聞こうと思ったはいいものの、いつの間にか吉岡さんはいなくなっていた。どうやら午後の授業は全部サボったらしい。

 明日聞ければいいか。いやでも席替えだしな、聞けるかな。

 そんなことばかり考えてしまうくらい、俺はもう、彼女に夢中だった。





 結局、席替えは逃れられない宿命として俺と吉岡さんを切り裂いた。まぁ、切り裂いたというのは俺が勝手に思っているだけで、吉岡さんからすれば俺なんてなんの繋がりも無いのだろうけれど。

 因みに席替え当日、吉岡さんは欠席だった。吉岡さんの席が変わらなかったのは、欠席でくじを引けなかったからだ。あの窓際の一番後ろ、ちょっと羨ましいんだけどなぁ。


「吉岡さん」

「……何か用ですか」


 席替えをした翌日、俺は再び勇気を出して彼女に声をかけた。明日からGW、つまり大型連休ということで、放課後の教室はいつもよりざわついている。

 そのざわつきが少し小さくなったのは、俺が吉岡さんに話しかけたからかもしれないけど。


「GW中なんだけど、何か用事とかありますか?」

「GW、ですか」


 それは、言ってしまえばデートのお誘いで。

 例えばこのお誘いに吉岡さんが乗ってくれたとしても、彼女はこれをデートだなんて思わないのかもしれない。それでも俺は、これはデートだと言い張るし、友達にも自慢する。これをきっかけに距離を縮められれば、正式な告白まであと一歩なのだから。

 って、まだOKは貰えてないぞ俺。恥ずかしい。


「……予定はありませんが、デートならお断りです」

「え、そ、そんなデートだなんて!」


 まぁ思ってましたけど!


「あの、デートじゃ無いので、一緒に映画行きませんか!」

「映画は絶対に嫌です」


 キッパリ。その表現が何よりも合った答えだったと思う。あまりにもキッパリ断られたから、ショックを受ける余裕もないくらいだ。女って恐ろしい。


「じゃあショッピングでも何でもいいので……」

「……丘の上」

「え?」

「お気に入りの場所があるので、そこならいいです」

「ぜ……ぜひ!」


 思わぬ場所のセレクトに驚きはしたものの、俺はもう彼女と遊べるならどこでもよかった。極端な話、墓地でも路地裏でもいいくらいだ。吉岡さんが選ぶ場所なのだから、そこはきっと素敵な場所に違いない。

 あれ? もしかして俺、気持ち悪い?


「じゃあ明日の午後四時、桜坂駅前でお願いします」

「はいっ!」


 スタスタと真っ直ぐ教室を出ていく吉岡さんの背中に、俺は軍隊も顔負けな声で返事をする。教室のざわつきがより一層大きくなったけれど、そんなことはどうでもよかった。

 だって明日、俺は吉岡さんと、吉岡さんのお気に入りだという丘の上でデートをするのだから。


「きた……きた!」


 ひとり小さくガッツポーズをしてから、俺はいつもの何倍も軽い足取りで家へ帰った。





 さて一夜明け、遂にデート(仮)の日が来た。

 言われた通り桜坂駅の駅前で、俺はぼうっと空を見上げながら彼女を待っていた。集合時間まではまだ十分もあるが、彼女を待つ十分だと思えばそれさえも愛おしく思えてくる。変態? 何とでも言え。俺は吉岡さんという一人の女性に初恋をしたただの男子高校生だ、罪はない。

 しかし、GWだと言うのに人もまばらなこの駅は、我が家の最寄り駅からたったの二駅だった。もしかして、この駅は彼女の最寄り駅だったりするのだろうか。だったら何だか嬉しい。

 と、少しニヤけた時だった。


「すみません、待ちましたか」

「……えっ!?」


 いつの間に、いたんだ?

 そう思ってしまうくらい突然、彼女は俺の背後に現れた。


「驚かしてしまい、申し訳ありません」

「あ、いや、こちらこそすみません……」


 勢いよく振り返ったからか、彼女の顔が若干不満げに歪んだ。いつも笑顔なわけでもないが、こんなに不機嫌そうな顔になったのは初めてだ。

 でも確かに、気づかなかったからって流石に失礼だったかもしれない。影が薄いだなんて誰でも嫌に決まってる。馬鹿か俺は。


「別にいいですから、早く行きましょう」


 吉岡さんはそう言ってくるりと踵を返し、駅の向かい側にある商店街へ歩いていく。商店街といってもやはりほとんど人通りは無く、この駅周辺だけ時が止まっているような、不思議な雰囲気だ。


「あ、猫」

「猫なんてどこにでもいます」

「でも可愛いじゃないですか」

「……さっさと歩いてください」

「はぁい」

 俺はちょっとだけ、本当にちょっとだけ、浮かれていた。





「ここです」


 しばらくして吉岡さんが立ち止まったそこは、案外駅から近い公園の高台だった。


「す、すごい……」


 今歩いてきた商店街も、少し遠くの海も、そこからは全てが見渡せた。涼しげな風が二人の間を通り抜けては、吉岡さんの黒髪を靡かせる。何だか居心地が良くて、俺は思わず深呼吸をした。


「良い場所ですね」

「でも、もうすぐ取り壊されるんです」

「え、どうして?」

「来る人がいないから……ビルを建てるらしくて」

「吉岡さんはよく来るんじゃないんですか?」

「私は、別に……」


 ───その時ちらりと覗き見た吉岡さんの表情は、初めて話した時と同じように寂しげで。

 皮肉にも、その哀愁漂う横顔が、どんな表情よりも綺麗だと思った。

 笑顔だって、まだ見た事無いくせに。





 さて長くなったが、結局あれ以来、俺が吉岡さんと話す事は無くなった。

 吉岡さんはあまり学校に来ないし、クラスメイトは彼女をまるで居ないものとして扱う。俺はそれが嫌で友達と話さなくなり、結果見事にクラスで浮いていた。

 けれどこうして話さないうちに、彼女が本当に居なくなってしまいそうで。俺は、正直焦っていたのだ。

 だから今日、これまた夏休みという超大型連休の前日に、俺は彼女に告白をした。これで駄目なら諦めよう、友達を作って友情に専念しよう、と心に決めて。


「俺と、お付き合いしていただけませんか!」


 初恋の相手への告白はこんなにも緊張するだなんて、少女漫画には描いていなかったのに。俺の心臓は破裂しそうなくらい脈打って、もう息を吐いても抑えられなかった。

 こんなの、まるで病気だ。

 ……いや、そんな事はもうとっくに知っていたけれど。

 吉岡さんの悲しげな表情の美しさに見惚れた俺は、もう重い病気なのだ。


「矢野くん」


 差し出した手は、取られなかった。

 代わりに吉岡さんの優しい声が降ってきて、俺は顔を上げる。


「私ね……」


 あぁ、何となく、分かってはいたよ。




「もう、死んでるの」




 だから、君は4月から浮いていた。

 だから、君は俺を変だと言った。

 だから、クラスメイトは俺を変な目で見た。

 だからあの丘は、誰も来ない場所になった。


「もう、行っちゃうの」

「ええ。貴方と出会ってしまった以上、ここにはいられない」

「じゃあ、俺もついて行くよ」


 ──告白としては完璧なシチュエーションの夕暮れに、俺らは足を一歩、踏み出した。


 最後に見えたのは、悲しげな、とても美しい君の横顔だった。

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