ネロ・バリスタ(後編)
ガキィン!
聞こえたのは、鈍い衝突音。
予想していた痛みは訪れなかった。おそるおそる目を開ければ、そこには新たな人影が、鐘洞を守るように立っていた。どうやら怪物の腕を受け止めたのは、その人影のようだ。
「ここから離れて」
くぐもってはいるが、落ち着いた男の声。戸惑っていると早く、と促され、声のままに後ずさった。
鐘洞が下がったことを確認した男は、何か巨大な棒状のものを振りおろし、反撃し始める。
ガキン、ガキン、キィン! 金属音が激しくぶつかる音が、闇の中から聞こえてくる。
物陰にしゃがみ、隠れて様子を伺う鐘洞が見たのは、街灯の光を受けて反射する銀色の輝き。男が両手で持つ巨大な棒は剣かと思ったが、鐘洞が日ごろよく使う、あるモノの形をしていた。
(エ、エスプレッソマシンのホルダー!?)
なんとそれは、エスプレッソコーヒーを抽出する際、コーヒー粉を詰め、機械にセットして使う道具に酷似していた。
通常、女性の手でも収まる程度の大きさであるはずのそれが、信じられないほど巨大な形で存在し、男によって、まるで大剣のように振り回されている。ちょうど粉を入れる丸い部分の大きさは、子供の顔ほどありそうだ。
(いやいや、信じられないでしょ! あんなバカみたいにデカいホルダーがあるもんですかっていうか、そもそも戦うための道具ですらないし!)
ただただその巨大さと、ありえなさに口をあんぐりとあけたまま、鐘洞は逃げることも忘れて、男の戦いを眺めていた。
「おとなしく『抽出』されろ」
一撃を怪物に加え、男は言い放つ。
地面に倒れ込んだ怪物に向かって、男は巨大ホルダーの先を向ける。
ふわり、と怪物の体が浮き上がる。その頭上に、光が瞬いた。現れたのは、丸いハンコのようなモノ。その形状を見た鐘洞は、ええっ!? と思わず声を上げた。
(今度はタンパー!?)
ホルダーにコーヒー粉を押し込む時に使う道具――タンパー。
(信じられない! でも、ホルダーがあればタンパーがあってもおかしくないわ)
鐘洞は妙に納得した。しかし、この二つがそろえば、やることはただ一つだ。
「まさか……」
「
男がささやいた。と同時に、タンパーが勢いよく垂直に落ち、怪物をホルダーの中に押し込めた! とたんにまばゆい光がホルダーから放たれ、鐘洞はとっさに目をつむった。
ずん、とホルダーが地面にめり込んだような音と、シュウゥゥゥ……と白い蒸気がふき出し、抽出音によく似た音がした後、辺りは静寂に包まれた。
おそるおそる目を開けば、そこには例の男の姿があった。
目元を隠す黒い仮面に、ひらひらと舞う黒いマント。そして黒一色のバリスタ衣装。手に持つのは、あの巨大なホルダー。
「歩けるか」
言葉と共に手を差し出された。少なくとも、自分を助けてくれたこの男は危険ではない。そう判断した鐘洞は、男の手を取り、立ち上がる。男からは、深炒りコーヒー豆の香りが微かに感じられた。
そして男は鐘洞を一瞥すると、無言のままマントをひるがえし、背を向けた。
「待って……!」
去ろうとする背中に声を投げかけると、男は歩みを止めた。
「た、助けてくださって、ありがとうございます」
鐘洞の口から出たのは、感謝の言葉だった。
珍妙な格好と非現実的な戦い方はともかく、彼は自分を助けてくれた。お礼の一つも言えないのは、どこか居心地が悪かった。
男は沈黙したまま、人間とは思えぬ跳躍力で跳び去り、姿を消した。
その場に残ったのは、ぼうぜんと暗闇を見つめる鐘洞と、男の残り香だけだった。
***
「気づかれなかっただろうか、先輩に」
黒ずくめのバリスタ男は、鐘洞から遠く離れた、人気のない裏路地でつぶやく。足元に立てかけられた巨大ホルダーに目配せすると、ホルダーが魔法のように消えてなくなった。
仮面を外し、息を吐き出したその男の正体は、鐘洞の後輩……荒尾薫の姿であった。
連続通り魔――その正体は、異次元からこの世界を侵略しようとたくらむ異次元生物『チェリー』。荒尾は、あの遺跡から発掘されたこん棒――
遺跡で炎に包まれたとき、荒尾は夢うつつの中で声を聞いた。
『侵略者は再びこの世界を支配しようとしている。戦え、新たな戦士よ。力を授けよう』
荒尾を遺跡に呼び寄せたのは、かつてチェリーと戦い散った戦士・アビシニアの残留思念だった。荒尾の生命力とイメージを糧に、こん棒は巨大エスプレッソホルダーとタンパーへと姿を変え、バリスタ服を戦闘服に選んだ。
新しい戦士、ネロ・バリスタの誕生であった。
「おい、カオル。抽出したのはどこだ」
ふと、荒尾の足元から声がした。荒尾よりは年を重ねた男性のもの。しかしそこにいるのは、一匹の猫だけだ。
「ごめんよ、アビー」
荒尾はアビーと呼んだ猫の前に、黒色の丸くて平べったい物体を置いた。しいていえば、コーヒーかすを固めたような物体だ。
この猫こそ、戦士・アビシニアの現在の姿である。彼は荒尾のサポートをするため、アビシニアンという種類の猫の体を乗っ取ったのだった。
「おまえは本当にぼーっとしている。よくそんな性格なのに戦えるな」
「ひどいなあ、僕を選んだのはアビーでしょう。戦ってるときは、気分がキリッとなるから、平気なの。しかしいつ見ても不思議だね。この残りかすがさっきのチェリーなのかい?」
「そうだ」
アビーはその物体を食べ始めた。
「それ、美味しい?」
「……不味い」
「だよねえ」
荒尾は苦笑した。
チェリーはネロ・バリスタの力によって、コーヒーかすのようなものに姿を変えられていた。アビーがそれを食べれば、チェリーを滅することができる。
「仕方がない。食べるという行為が、チェリーの息の根を止める唯一の方法なのだから。カオルには戦う力を与えるだけで精いっぱいだったからな」
かすを食べるアビーはげんなりした様子で言った。
「がんばれ~。明日おやつを買ってあげるからさ~」
「……あのスティック状のアレがいい」
「はいはい、あれね」
最近お気に入りの猫用おやつの話題が出た瞬間、ほんの少しだけアビーの食べるスピードが速まった。
しばらくアビーを眺めていた荒尾が、顔を上げた。
「ああ、また現れた。ごめん、先に行くね」
再び仮面を付け、すっと背筋を伸ばすと駆け出す。チェリーの気配を感じたのだ。
夜の闇に溶ける、
その横顔は、普段の荒尾からは想像出来ぬほど真剣だ。
(守るんだ、この世界を……先輩を。チェリーの魔の手から)
彼はまた、新たな敵の元へ向かうために姿を消した。
***
翌朝。普段通りに出勤した鐘洞だったが、彼女は昨夜のことが頭から離れないままだった。
(あれはいったい、なんだったんだろう?)
怪物の存在や、巨大なエスプレッソホルダーを武器にする謎のバリスタ男。そして、なぜか印象深い深炒りコーヒー豆の香り。
カウンターの中で食器を片づけながら記憶をたどるが、どれもこれも現実離れしたことばかりだ。
(もしかして、疲れて変な夢でも見たのかな)
そもそもあれが現実に起きたことかどうかすら判断できなくなってきたその時だった。
「えっ?」
昨夜の男と同じ香りが、鐘洞の鼻をくすぐる。手を止めて思わず振り向くと、そこには、眠たげな顔をした荒尾がいた。
「おはようございまーす……って、そんな驚いた顔して、どうしたんですか? あっ、僕、またなんかミスしてましたか? うわーごめんなさいごめんなさい!」
「あなた、昨日の夜……」
「はい?」
背格好は確かに似ているが、仕事でのミスがあったのかと慌てふためく荒尾と、バリスタ男の冷静な様子は似ても似つかない。
よく見れば、荒尾の手には深煎り豆の袋が複数あった。きっと在庫を持ってきたのだろう。
袋には豆の鮮度維持のために特殊な空気穴がある。作業をしていると中のガスが抜けて香りがしてくることは、ここではよくあることだった。
(きっとこれの香りだったのね)
「ごめんね、私の勘違い。気にしないで」
ほんの少しの可能性が消え失せると、急に昨日のことが遠く感じられた。
「そうですか~、よかったです~。昨日もさんざんでしたし~」
胸をなでおろした荒尾は、やはりいつも通りの頼りない青年だった。鐘洞はその様子に、くすっと微笑をもらした。
「荒尾くん、ミスは反省して次に生かすものよ。たとえばほら、荷物を持っているときは周りや足元に注意するとか……」
「そうですよね……ってうわー!」
鐘洞の言葉にうなづきながら歩く荒尾は、床の段差につまずいて倒れた。
ドサドサッ、と袋が床に散らばり、その騒がしさに店内の客が一斉に荒尾を見た。
「痛っ、いたたたたた……しっ、失礼しましたあああっ」
野暮ったい眼鏡がずり落ちたまま、荒尾は笑顔を浮かべて頭をかいた。しかしこれがまた、彼には憎らしいほどよく似合うのだ。そんな荒尾に、客は温かい笑みを浮かべている。
しかし、先輩の鐘洞は笑って済ませられなかった。
「……あーらーびーくーーーーん!!」
「うわああぁぁぁ申し訳ありませんんんんーーっ!」
「あーあ、また始まったよ。飽きないねえ、カネちゃんも、荒尾くんもさぁ」
いつも通りのやり取りに、カウンターに座るショーが楽しそうにつぶやいた。
第一話・終わり
<<次回予告>>
チェリーを操る敵「ビアンコ・ドリッパー」にさらわれた鐘洞。彼女を救うため、ネロ・バリスタは仲間となったチョコラート・槇の力を借り、ビアンコのいるアジトへ向かう。
しかし彼の前に立ちはだかったのは、常連客のショーだった。
ショーの正体とは? そしてなぜ鐘洞はさらわれたのか?
次回「闇へのDRIP」
薫り高い一杯を、来週もキミに捧げる。
(※続きは未定です)
ネロ・バリスタ 服部匠 @mata2gozyodanwo
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