第3話

 ああ、まずい。

 “何が”なんて具体的に言えるようなものではない。

 これは本能だ。本能が、山賊の殺意に反応し、身慄いしている。


 ズリ、ズリと気がつけば後ずさっていた。

 グレイプニルを抱えるように持っていた。

 足は情けなく震えていた。


「ふ、フェンリル。逃げよう。なんかまずい」

「ああ? 逃げるだぁ? 人間相手に? 冗談じゃねぇ」


 しかしフェンリルは、両足でしっかりと大地に立っていた。

 恐怖を、感じていないのか?


「嬢ちゃん、こんなところで何しているんだい?」

「ここにいたら危ないぞ? へへへ」


 山賊らしき人物がこちらに歩み寄りながら近づいてくる。

 数は確認できるだけで、三人いる。

 片や武装した男三人。片や丸腰の女二人。

 どう見ても不利な状況下、フェンリルは嗤う。


「おい、赤ミイラ。殺さなきゃいいんだろ?」

「……何する気?」

「何って、決まってんだろ!」


 返事とともに、ドウと地面が鳴った。暴風が目の前に現れた。

 と同時に、あの時私を喰おうとした、かの猛獣が再び現れた。


「ゴッファア!!?」


 その猛獣は、目にも留まらぬ速さで突貫し、山賊の一人に蹴りを入れた。

 一体どんな蹴り方をしたらそうなるのであろうか。錐揉みしながら、数メートル吹き飛んだ。


「ラデル! くっそ、こいつ普通じゃねぇ!」

「殺れ! 殺……ぐぎゃあ!?」


 ナイフを振り上げた山賊の腹に蹴りを入れ、もう一方の山賊にぶち当て、吹き飛ばす。

 鎧袖一触とはまさにこのことか。

 フェンリルは高らかに唸り声をあげ、その顔に凶悪な笑みを浮かべた。


「まだ……いるなぁ!」


 そして遠くを見透かしているかのように、迷いなく草むらへと消えていった。

 瞬間、少し離れたところから呻き声や悲鳴が聞こえてくる。


 圧倒的だ。

 正しく蹂躙というものを見た気がする。

 これで自分の身の安全は確保できただろう。

 本当、グレイプニル様様である。これがなかったら私は死んでいたし、それどころかあんな化け物じみた少女を制御できるのだから。


 そう思い安堵していた時。


「がっ!」

「へへ、暴れなさんな」


 衝撃とともに、後ろから取り押さえられた。

 何人かで同時に抑えているのだろう。両手も、頭も、動かせない。


 まずい。まずいまずい。

 冷や汗が、滝のように背中を流れ落ちる。

 

 私の焦りを無視し、山賊は悠長に話し出す。


「なんかミイラみてぇな格好してるな。あとちっと焦げくせぇ」

「だが顔は悪くねぇ。売っぱらっちまおうか」

「だな。ついでにこいつを人質にあのじゃじゃ馬も捕まえっか」


 私を人質にしてもあいつは十中八九無視するだろう。

 そんなことより、自分が売られるなんてまっぴらごめんだ。

 何とかして、逃れなければ────


 ────そうだ、フェンリル。フェンリルはどこいった。

 山賊を追って遠くへ行ってしまったのか。果たして、声は届くのか。

 ……いや、グレイプニルを使えば、あるいは────


 私は息を深く吸い込み、グレイプニルを握る手に力を入れる。

 そして、自分に出せうる大声で、叫んだ。


「私を助けろ、フェンリル!」


 その口はすぐに山賊たちに抑えられた。

 だが、グレイプニル、ひいてはフェンリルには届いていた。


「ぉぉぉおおおクソがよぉおおおお!!」

「ぐがぁ!?」

「ゴフゥッ!!」


 草むらの影から、不自然な格好で───恐らくは鎖の力で強引に飛ばされたのだろう────フェンリルは飛び出した。

 そしてその勢いのまま、山賊の顔を、腹を、殴り飛ばした。

 取り押さえられた私も一緒に吹っ飛んだが、どうということはない。


 手で体についた汚れを払い、立ち上がる。

 そして目の前にいる不機嫌そうなフェンリル。

 強制とはいえ、助けて貰ったんだ。礼は言うべきか。


「ありがとう。助かった」

「ふん。あんくらい自分でなんとかしろよ。それともあれか? マナを節約しようという魂胆か?」

「は?」


 なんか訳のわからないことを口走り始めたぞ、この子。


「どういうことよ。マナって何よ」

「はぁ? お前魔女かなんかだろ? んな魔力漂わせといて何言ってんだ?」

「魔女? 私魔法なんか使えないけど?」

「……はぁ!?」


 こっちが叫びたいくらいだ。


「魔法が使えないって……どういうことだよ」

「そのまんまだよ。しかもよくわからん世界に記憶なくした状態で飛ばされて、そうポンポン魔法とかいうもの使えるとでも思うの?」

「飛ばされた? 記憶をなくしたぁ? ……あー! もうなんなんだよ! イミわかんねぇよ!」

「それは当事者たる私のセリフ」


 はぁー、とお互いため息をつく。

 と、ここで気がついた。

 フェンリルの口元に、何かついているのだ。

 っていうか、どう見ても食いカスである。


「……フェンリル、あんたなんか道草食ってた?」

「っ! べ、別に」

「正直に」

「うぐっ!? ……馬車を見つけたんだよ。そこに肉とか木の実とか入ってた壺があったんだよ」

「案内して」

「……チッ、わかったよ」


 これはラッキーだ。さすがにウサギ肉少々ではカロリーが足りない。

 フェンリルに案内されるがまま、ついて行ってみれば、そこには確かに幌付き馬車があった。しかも馬二頭付きで。

 幌の中を除けば、そこには果物や干し肉が床に散乱しており、ついさっきまで食い漁っていたことが窺い知れる。


「もうちょっと綺麗に食べられないわけ?」

「うるせぇ! 関係ないだろ!」

「全く……ん? これは……」


 食い散らかされた雑多な果物に紛れるように雑に広げられた布切れ。

 しかしそれは間違いなく衣服であった。


 片や赤ミイラ、片やほぼ全裸。

 こんな二人組には願っても無い代物だ。

 なんでこんなものがあるんだろうと思って見てみれば、ナイフや盾なんかも混ざって散らかっている。どうやら先の山賊のもののようだ。なら遠慮なく頂戴しよう。


「……なんだ、布切れなんか漁って」

「服を着るんだよ」

「もう着てるじゃねぇか」

「こんなのは着てるとは言わないの。ほらあんたも」

「うぇ!? なんでオレも着るんだよ!?」

「んな姿で人前に出るわけにはいかないでしょ」

「嫌だ! んなもん絶対着たくな───「待て」────うぎぃ!」


 嫌がるフェンリルをグレイプニルの力で拘束して、無理やり着せてゆく。

 少しはフェンリルのことも考慮して、被服面積の小さいやつにしてやろう。

 この背中が空いた服とショートパンツとか、ちょうどいいだろう。

 しかしなんでこんなものが山賊の馬車にあるんだ? 盗品か?


「くっそ……チクチクする」

「はいはい。慣れる慣れる」


 そう言いつつ私も着るものを探す。

 まあ、普通の服でいいだろう。長めのズボンに、上着。ついでにポンチョみたいな黒コート。

 鏡を探してみれば、あった。

 そこにいるのは、なんだか怪しげな服装をした色素の薄い髪に、碧眼を持ったボブカットの少女だった。服装はしかたあるまい。山道では素肌の露出を控えなくてはならないのだから。フェンリルは例外として。

 そういえば、何気に自分の顔を見るのは初めてか。……どう見ても日本人の顔ではない。体は元と別物なのか?


「ぐぎゅっ!?」


 しばらく鏡とにらめっこしていると、またフェンリルが襲いかかってきた。本当に諦めが悪い。

 ちょっと首が絞まって苦しそうな声をあげたフェンリルに、一応尋ねてみる。


「フェンリル」

「……なんだよ」

「馬車の動かし方知ってる?」

「知らねーよ、そんなこと」


 折角だから馬車を動かしたい。

 馬車を動かして、目指すは人のいるところ。

 その方が野山でウサギを狩るより確実に生きやすい。

 だが……肝心の馬車の動かし方がわからない。

 なので原住民(?)のフェンリルに聞いて見たのだが……やはり野生児。知らないらしい。


「でも馬車は馬で引っ張るんだろう? なら馬を歩かせばいいじゃねぇか」

「そんなん簡単じゃないでしょ」

「バカ言え。簡単だろ」


 しかしフェンリルはなぜか自信満々に御者席へと向かう。


 ……なんだろう。とてつもない嫌な予感がする。


 フェンリルは御者席に立ち、並ぶ二頭の馬を見据え───────その尻を強かに蹴った。


『ヒヒィィイイイイイイン!!?』


 嗎というよりも悲鳴をあげた二頭の馬は────半ば狂乱した状態で、がむしゃらに走り出す。

 当然、整備されていない山を全力で走ればどうなるか、目に見えている。


「うぉおおおお!?」

「いぃやぁぁあ!!」


 激しくバウンドする車体。跳ねる果物。飛ぶ木箱。

 馬車内をシェイクしながら、暴走幌馬車は山を下っていった。

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火の魔女と魔狼娘のオラクル 〜もしくは、凸凹二人組の燃焼系 和三盆粗目 @sugar99

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