第七章(終章)

 イズムはある日、いつもの依頼主を訪ねた。

「よく来てくれたね。昨日、虹翡翠の剥製が届いたばかりだ」

 広い居間に通されると、部屋の真ん中に据えた台の上、鳥かごの模様を模したガラスケースの中に、わずかに翼を開き、小首を傾げ、止まり木に止まっている虹翡翠の姿があった。

「あの剥製屋が、今回は今まで以上に心をこめて作ってくれた。君が危険を冒して手に入れてくれたものだからね」

「違います。俺は、軽率で、未熟だったんです。…虹翡翠を手に入れられたのは、俺の力では、ありません…」

 イズムは溢れてくる涙を隠さずに、ガラスケースにへばりついた。この涙は、何だろう。その意味が、彼にはわからない。

「何か、話があったんだろう? 君がこんな風に、出来上がった剥製をわざわざ見に来るのも、そうやって、自分の獲物を前に涙するのも、初めて見たよ」

 依頼主が、熱い茶を勧めながら言う。

「剥製撃ちを辞めるつもりかい?」

 イズムはガラスに両手を貼り付けたまま、首を横に振った。

「わからないんです。わからなくなってしまったんです。俺は、あなたのように、こうやって美しい鳥の剥製たちに囲まれて、それらを優しく見つめる人間がいることを知っている。だから、自分の仕事に誇りを持って取り組んできたつもりでした。でも…俺の…俺たちのしていることは、自然の摂理に反していることなんでしょうか? 今更聞くのはおかしなことかもしれませんが、どうしてあなたは鳥の剥製を集めているのですか? 鳥は羽ばたいたり、美しい声でさえずったりしてこそ、生きていてこそ美しいんじゃないですか?」

「まあ座りなさい。少し、落ち着いて話そうか」

 依頼主はイズムの肩に手をかけ、近くの椅子に腰掛けさせた。

「私は、昔小鳥を飼っていたことがあるんだよ。…ちょうど君くらいの年頃…いや、君がお父さんから銃を渡された頃くらいに飼い始めたのだったかもしれない。何しろ古い記憶だからね。私の父はとても立派な医者で、人々の信頼も厚かったが、その分とにかく忙しい人だったから、一人息子が寂しがらないように、誕生祝にカナリヤをプレゼントしてくれたんだ。本当によく懐いてくれて、美しい歌声でさえずって、私にとっては友達以上の宝物だったし、その小鳥にとっても私のそばにいることが幸せなんだと思い込んでいた。だがある日、私が鳥かごの蓋を閉め忘れてね、あっさり逃げ出されてしまって、その直後、家の庭で野良猫に襲われてあっという間に食われるのを、私は見てしまったんだよ。自分の不始末からその悲劇までの一部始終はほんの数分の出来事だったのに、後には小さな骨と、むしられた数枚の羽根しか残らなかった」

「それは…」

 幼い少年にとっては心の大きな傷になる光景であったろう。

「…父の仕事を継ぐことになって必死で勉強に励んでいたときには、正直、そのカナリヤのことは忘れていた。しかし、本格的に医者の仕事を始めてしばらく経った頃に、今の剥製屋の作品を見てね。まだ彼も若い職人だったが、当時から、あの腕以上に、あの愛情を込めて作り出される偽せ物の生命感は変わりなく存在していた。のめりこんで集め始めずにはいられなくなったよ…私は忙しさにかまけて結婚すらすることも出来ず、仕事では人々の命を救ったり、臨終を看取ったりしているが、自宅ではこうして死んだ鳥たちの偽せ物の命に囲まれて癒されている。君が、こんな大人をどう思うかは君の自由だが、私はあの剥製屋の作品に出会い、近年になって君のように研究熱心で才能ある素晴らしい鳥撃ちに出会って、幸せだと思っているよ」

「ありがとうございます」

 イズムはもう目から溢れ出る涙を止めることは出来なかった。

「イズム君、君は今、混乱しているんだね。迷う時はとことん迷えばいい。とことんまで迷って、考えて、考え抜いて出した答えが君にとっての一番の正義なんだ。…君は気付いているんだろうか? お父さんは君の未来を縛る事を望んではいない。君はちゃんと魂に翼を持っているんだよ。君の名前、『イズム』の意味は『主義』だ。君は、いつも自由に自分の主義で生きてゆけるんだよ」

 依頼主である老紳士は、しゃくりあげるイズムの肩を優しく右手で叩いた。その様子を、今はもう命を持たない虹翡翠の漆黒の瞳が静かに見守っていた。


 イズムはそれからも、剥製の為の鳥を撃つのを辞めることは無かった。青年になる頃にはその道で専門の、鳥撃ち名人として、国中のあちこちから依頼が来るほどの名声を得た。妹のサカは、剥製の依頼主である医者から紹介された街の学校で学び、努力を重ねた末に女医になったという。その直後、イズムは優しい娘を妻に迎え、母親と三人で暮らし始めた。生活に必要なだけの収入を、剥製撃ちで稼ぎ続けた。やがて、妻は男の子を産み、その子は丈夫にすくすくと育った。イズムは決して、息子に銃を持たせようとはしなかったが、息子はいつの間にか独学で猟を学び、鳥に限らず、様々な動物の猟をするようになった。そんな、息子の姿を黙って見守り、イズムは老いて、やがて静かに死んだ。彼は、結局あの日以来、生涯鳥の肉を口にすることはなかったという。


《終わり》

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虹翡翠(にじひすい) 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

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