第六章
街に帰り着いてすぐ、剥製屋へ向かった。「遅くなりました。すみません」
深々と頭を下げ、保冷用の袋を差し出す。剥製屋はしわだらけの顔を更にくしゃくしゃにしながら言った。
「今回は、大変だったそうだなあ」
診療所から、既に連絡を受けていたという。
「では、村の人たちは、俺が虹翡翠を捕まえていたことを知っていたんですか?」
「まあな。だが、誰もお前から虹翡翠を取り上げようとはしなかったろう? それはお前が本当に大切そうにこいつを抱えていたからだ。あの村では虹翡翠は、神の使いという伝説もあったらしいが、もう古い話だから、ということだ。ただ、村長は、賢い鳥だから、命を捧げる相手としてお前を選んだんだろう、と思って、そのまま持ち帰らせたのだと」
そう言いながら、袋の中を覗き込んだ。
「素晴らしい輝きだ。鮮度も問題ない」
「三日も過ぎたと聞いています。すみません」
「大丈夫、お前が体を張って獲た虹翡翠だ。後は、俺の腕を信じろ」
生きていれば、自分の祖父と同じ年だという剥製屋は、優しく包むようにイズムの頭を撫でた。
「あの」
「ん? 何だ?」
イズムは思い切って言った。
「俺の今まで獲ってきた鳥は、中を抜くとき、肉はどうしていたんですか? やっぱり…捨てていたんでしょうか?」
剥製屋は顔を上げて言った。
「お前は鳥の肉が嫌いだと聞いていたがどうした? まあ今までの獲物は、量や鮮度にもよるが、出来るだけ、食うようにしていたよ。ばあさんと二人で食うにはちょうどいい量だったが」
「あの、虹翡翠の肉を…もらえませんか?」
コーヒーカップを握りしめるイズムの手がガタガタ震える。指に少し零れたが、熱ささえ感じなかった。
「こんな小さな鳥じゃたいした量にはならないぞ」
剥製屋は優しく微笑んで言った。
「疲れた身体で急いでここまで帰ってきたのだろうが、肉が欲しいとなるともう少し時間がかかる。ソファででも横になるといい」
「ありがとう、ございます」
数十分後、イズムは泥のような眠りから起こされ、小さな包みを握らされた。
「出来るだけ新鮮なうちに食ってやれ」
イズムは胸がいっぱいになって、言葉が口から出なくなった。深々と礼をし、大荷物を背負って、故郷の村への乗り合いバスに乗り込んだ。
家のドアを開くと、剥製屋からの連絡を受けていた母と妹が黙って彼の少しやせた身体を抱きとめた。
「母さん、頼みがあるんだ」
赤ん坊の握りこぶし程度の包みを、イズムは母に手渡した。
「この肉、料理して欲しい」
母親は包みを開き、
「何か、めずらしいものなのかい? これは、お前、鳥の肉じゃないか」
と不思議そうに言った。
「俺が食べる」
小さな声でイズムが言うと、
「何か特別な意味があるんだね」
と、うなずいて、削ぎ切りにしたものをバターで炒めて真っ白の皿に並べてくれた。
イズムは震える手でフォークを取り、肉片を一切れ、口の中にゆっくり入れた。
決して美味しいものではない。むしろ、味をほとんど感じなかった。だけど、その肉はイズムの舌にまとわりつくようにほろりと崩れ、しみこむように飲み下された。
『私の肉を食べなさい。あなたの血肉として私は生きることに、たった今、決めた』
虹翡翠の声が胸の中によみがえる。瞬間、涙が両目から溢れ出した。溢れる涙をぬぐうこともせず、すべての肉片を口に入れる。咀嚼する必要なく肉片はイズムの口の中で溶けていく。
「ごちそうさま」
イズムは震える両手をゆっくりと合わせ、うつむいた。
「虹翡翠…ありがとう。ごめん」
自分が今まで鳥が食べられないからと言って食べてきたシシやウサギも、魚も貝も野菜も麦も米も、みんな命を持っていたんだ。俺たちはその命の犠牲の上に立って、生きているんだ。虹翡翠は、俺にそのことを本当に身にしみて理解させようと、自分の身を捧げてくれたんだ。
(それでも、俺は、虹翡翠、お前の言うとおりには生きられない)
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