恩愛

ゆうき さくや

恩愛―藤堂平助・藤堂高潔 追悼小説―

「平助、平助……っ」


まるで眠っているようであった。

そう感じてしまうほど平助の顔は穏やかで、体は氷のように冷たかった。

目の前に横たわる死。高潔は信じることができず、ただ平助の名を呼び続けた。


「ごめんな……平助……」



【藤堂平助・藤堂高潔 追悼小説 『恩愛』】



「平助、俺と津に帰ろう」

「……それは、できません」


慶応三年 弥生、新選組にとって大きな出来事が起きた。

伊東甲子太郎が数名の隊士を連れて新選組から離隊し、新たに御陵衛士を結成した。その中には八番隊組長・藤堂平助もいた。


平助の離隊の知らせが兄である津藩主・藤堂高潔のもとへ届いたのは、離隊の前日のことであった。知らせを送ったのは同じく離隊する三番隊組長・斎藤一、新選組側から御陵衛士に送られた間者だ。新選組としても平助は新選組結成前からの仲間であり、できれば対立は避けたい。そこで白羽の矢が立ったのが、兄の高潔である。


「高潔様、何度も申しているではありませんか。私は、伊勢津の藤堂家の者ではありません。私は浪人の息子、偶然にも藤堂という苗字を持って生まれただけ……貴方のような高貴な身分などでは」

「まだ言うのか、そんなこと。その髪色に上総介兼重、全てがお前を藤堂の人間だと言っている。お前は間違いなく藤堂高猷の子、俺の弟だ」

「それは……」


高潔の言うとおり、平助は藤堂高猷の落胤である。しかし、本人と、なにより父親である高猷がそれを認めようとはしなかった。高潔はそんな父親とは反対に兄弟や家臣たちを説得してまわり、平助を藤堂家へと迎え入れようとしてきた。

そして幾度となく平助に断られ続けてきた高潔だが、今日ばかりは引き下がるわけにはいかなかった。


「平助、もう一度言う。俺と一緒に津へ帰るんだ、藤堂家に身を置け」


高潔は強引に平助の腕を掴み、ぐいと引き寄せた。その眼光はいつになく鋭い。


「どうしたんですか高潔様? いつもの貴方はこんな」

「平助、お前死にたいのか」

「っ!」


その言葉は、平助の核心を鋭く突く。高潔を侮っていた。彼はただの世間知らずのお坊ちゃんではない。平助たちが御陵衛士として新選組から離隊する、その先にある結末を見通していた。


「新選組の奴ら、いつかお前たち御陵衛士を殺しにかかる。新選組だけじゃない、御陵衛士だって新選組を潰しにかかる。お互いに邪魔者を消そうとして必ず衝突して……平助、お前も戦いに身を投じて死ぬかもしれない。いや、死ぬ気だ」

「……。」

「違うか?」


「……武士が、戦いで討ち死にして何がいけないのですか! それが名誉ではないですか!」


バシッ、高潔の手が弧を描き平助の頬から乾いた音が響いた。高潔が平助に手をあげたのは初めてだった。平助はただただ驚き、目を大きく見開いた。


「な、なんで……」


「ただ死ぬつもりで戦って死ぬなんてのは、士道でも名誉でもなんでもない。馬鹿のやることだ! お前は死にたいんだ! 芹沢や山南が殺されて新選組が信じられなくなって、怖気づいて、考えることも諦めて、自分も同じように仲間に討たれて死ぬことを選んだ、お前はただの臆病な馬鹿者だ!」

「……泣いて、おられるのですか?」


気づけば高潔の目からは幾筋もの涙が流れていた。それは、平助が今まで見たことのない高潔の姿であった。


「そうだよ、情けないんだ。こんな言葉でしか引き留められない、お前ひとり救えない自分が……」


あぁ、この人は分っているんだ。自分がいくら引き留めても、もう救えないことを。


平助は、高潔の本音を知ってしまった。高潔は賢い、故に最初から分っていたのだ。どんな言葉をかけても、どんな状況を用意しても、平助はもう救えない。


この結末を、変えることはできない。


そして、平助の目からも滴が零れ落ちた。


「高潔様。一つだけ、お聞きしても良いですか」

「なんだよ、一つと言わずなんでも聞け。言ってみろ」

「……貴方にとって、私は誇れる弟ですか?」


震えながら聞く平助を、高潔はそっと抱きしめた。


「なにいってんだ、当たり前じゃないか。平助、お前は俺の自慢の、最高の弟だ」

「……っ、ありがとうございます。“兄上”」


“兄上”


初めて高潔のことをそう呼んだ。


しばらくして、平助は高潔の腕を離れた。そしてそのまま、高潔に背を向け振り返ることなく去ってしまった。



これが、ふたりの最後の会話であった。



同年霜月十八日、新選組が御陵衛士の伊東甲子太郎を暗殺。それを引き金に新選組と御陵衛士が交戦、油小路の変が勃発した。


斎藤は最後まで平助に逃げるよう説得し、新選組の永倉・原田もなんとか戦地から逃がそうとした。しかし、平助はかたくなにそれを受け入れようとはせず、結果として誰よりも奮闘し重傷を負った。


平助に思い残すことは何も無かった。高潔に誇れる弟だと言われ、最後まで仲間に思われ、最高の人生であったと泣きながら言った。


そして、仲間たちに見守られ静かに息を引き取った。



高潔が平助の死を知ったのは翌日のことであった。その知らせを伝えたのはかつて離隊を伝えた斎藤だった。


「……平助に、会わせてくれ」

「よろしいのですか、酷い状態ですよ」

「構わない。埋めてしまう前にこの手で触れたい」

「では、ご案内致します」


斎藤に連れられ新選組の屯所の一室へと高潔は足を踏み入れた。そこには沈みきった永倉や原田のそばに、横たわる平助がいた。


「……平、助」


言葉を詰まらせながら、高潔は平助の横へ膝をついた。青白い頬をそっと撫でると、ひんやりとした感覚が高潔の手に伝わってきた。


「平助、俺だよ」


あぁ、本当に消えてしまった。もう、帰ってこないんだな。


「平助、平助……っ」


まるで眠っているようであった。

そう感じてしまうほど平助の顔は穏やかで、体は氷のように冷たかった。

目の前に横たわる死。高潔は信じることができず、ただ平助の名を呼び続けた。


「ごめんな……平助……」


周りなど気にせず、高潔は泣き崩れた。


「平助、許せ……! お前を救えない、俺を、許してくれ……平助っ」


しばらく高潔はその場を動くことができなかった。夕刻になり、斎藤が呼んだ藤堂家の迎えが来てようやくその場を去った。



この日以来、高潔の涙は枯れ果てた。




それから間もなく、大政奉還により時勢は大きく変わった。皆それぞれの人生を歩み、進んでいった。死んだ者も少なくない。大きな犠牲を払いながら、日本は明治という新しい時代を迎えた。


しかし、時代は移ろえど、高潔の中から平助の存在が消えることはなかった。


「父上、お聞きしたいことがあります」

「なんだ、高潔」


ただの他愛ない問いではない、高猷はそう思った。


「父上は、藤堂平助のことをどうお思いですか。」


平助が死ぬ前は幾度となく高猷に投げかけられた問いであったが、平助が死んだあの日から高潔は平助のことに触れてはこなかった。今になってこの問いを投げかけるということは、きっと何か大きな意味があるのだろう。


高猷は今日ばかりは、本当のことを語ろうと決めた。


「……昔、うちの屋敷に出入りしていた美しい花屋の娘がいた。どんな花々だって彼女の美しさには、輝きを鈍らせた。私は、その娘に一目で心を奪われた。誰よりも美しく優しい、素晴らしい娘であった。藤堂平助、彼の瞳は本当に彼女によく似ていた」

「似ていた、それだけですか」

「わかっている、言おう。藤堂平助、彼は間違いなく私の息子、お前の弟だ」


その言葉を聞くのに、長い時間がかかった。高潔の願いがようやく叶った。


「ありがとうございます。きっと、平助も喜ぶでしょう」



翌朝、明治二十二年霜月十八日。


「平助、やっとだな……やっと、お前を家族に迎え入れることができたぞ。こんなにも長い時間がかかってしまったな、不甲斐ない兄を許してくれ」


屋敷の庭にひっそりと建てられて墓石、名は刻まれていないが、見覚えのある赤い鉢金が巻かれていた。


「今、迎えに行くからな」


高潔は墓石の前にひざまずくと、着物の袷を開き、脇差をその腹へと突き立てる。


積もっていた雪が、紅に染まった。


「……へい、すけ――」


最期に平助の名を呼び、静かに目を閉じた。

その眼には、あの日以来、枯れてしまった滴が流れていた。




―終―




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