第59話 ナタナエル その7
「・・・・・・・・・・・え?」
フィリポの顔が曇る。
「・・・・・・・・・俺は、すごく嫌な人間だ。
俺は俺の事しか考えてなくてずっと、見て見ぬふりをしてきた」
「・・・・・・何を?」
フィリポが首を傾げる。
「前から疑問に思っていたんだ。なんで、フィリポが“罪人”なのか。なんで、神様がそんな罰を下すのか。なんで俺は無事なのか。なんで、祭司長をかばって罰を受けるのか・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
目の前のパートナーはじ、とナタナエルを見つめた。
「それで、考えて、気づいたんだ。手や足が動かない人や、病にかかった人を“罪人”として扱うことで一番得をしているのは誰なんだ?って。隔離して、それでもあえてエルサレムの民が目につく所にとどめておくのはなんでなんだって」
「・・・・・・・・・・・うん」
「神の恩寵がなければ、ああやって惨めな一生を送らなければならない。それを恐れた人達が神殿へ通って、金を払って洗礼を受ける。その金はどこに行くと思う、」
「・・・・・・・まさか」
「そう・・・。一番得をしているのは、他でもない神殿を牛耳っている奴ら・・・・、祭司達なんだ」
フィリポの目が見開かれる。困ったようにナタナエルを見て、口を動かすが声が出てこなかった。
ヨハネは何故神がそんな世界を許しているのかと言った。それは違う。祭司達が、神の名前を使ってその世界を許し続けているのだ。
「・・・・薄々、それに気づいていた。でも、考えないようにしていた。
・・・・・・・・・認めてしまったら、とても受け入れられないような気がしていたから。そうしたら、俺が今まで築いてきた価値観も、信念も、全て崩れてしまうから。両親を・・・、自分の中に流れている血を否定してしまう事になるから。俺は、それが怖かったんだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だから、ずっと蓋をしていた。俺はずっと、フィリポの事を心の奥では見捨てていたんだ」
「・・・・・・それは・・・・、君の立場を考えたら理解できるよ」
フィリポの静かな声が耳に届く。
ひどく、悲しくなった。
「・・・・・・・・・・っ、理解、するなよ! 俺は、お前を苦しめている原因に気付いていて、それでも、自分の立場を守るために見て見ぬふりをしてきたんだぞ!?」
「・・・・・・・・・・うん。びっくりした」
困ったようにフィリポが笑う。
「・・・・なら、なんでそんなに落ち着いてるんだよ」
せめて、罵ってくれれば気が楽なのに。
そんなナタナエルの心情を察したのか、フィリポは緩く首を振った。
「それでも、嬉しかったから。君が助けに来てくれて。俺は、これまでずっと、君に助けてもらっていたのに、君のことを一切信じていなかった。そんな俺がナタナエルを怒る資格、ない」
「そんなの、利己心だよ! 俺の居場所を守るための」
「本当にそうなら、今の立場になると同時にパートナーの配置換えを望めばよかったんだ。・・・・・・・・でも、ナタナエルはそうしなかった。・・・・・・松葉杖も、」
フィリポは自分の手を見る。
長年杖を使って自分の体を支えてきた彼の手はたこが出来て硬くなっていた。
「壊れるたびに新しく作ってくれて、その度に使いやすくなっていってた。
綺麗に磨いてあるのも、最初は凝り性だからと思っていたけど、俺にすいばりが刺さらない為だよね」
「・・・・・・・・・・・・・」
フィリポは晴れやかに言う。
確かにそれはそうなんだが。ナタナエルは眉根に皺を刻んだ。
「ナタナエルが本当はそう思っていたって分かっても、やっぱり君には感謝してるし、これからも君のことは信じていたいと思う」
「・・・・・・・でも」
「それに、その事に思い至ったって事は、ナタは自分の疑問と必死で向き合っていたって事だろう? ナタの性格を考えたら、すっごく苦しかったと思う」
「・・・・・・・・・フィリポは、すごいな」
「え?」
昔ヨハネの言っていた言葉を思い出す。蔑まれて生きるという事が彼に与えた影響は重いはずなのに、彼はその事を一切感じさせないような清々しい顔をして笑っていた。
フィリポの言葉一つ一つに心が暖かくなっていく。
まるで神様の前で懺悔をするような気持ちで、ナタナエルはフィリポに話していたことに気がついた。
そうして、彼は許しをくれた。
その事がどうしようもなく嬉しかった。
フィリポは、面食らったような顔をする。
「すごいって・・・・・何が」
「いや・・・・、敵わないなぁって思って」
ナタナエルはふふ、と柔らかな笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・・・・・なんで?」
彼は心底不思議そうに首をかしげた。
ナタナエルはその事にはこれ以上言及せず、彼の両肩を掴む手に力を込める。
「・・・・・・・・・・なぁ、フィリポ」
「え?」
「俺、学院を出ていこうと思う」
まっすぐ彼の目を見て言う。
フィリポは目を丸くした後、ナタナエルの手を掴んだ。
「俺も一緒に行く」
迷いのない目だった。
「・・・・・・・・・・いいのか」
「むしろ、ナタナエルこそ、いいの?」
「ああ。お前と話していて、腹が決まった。・・・・・・・祭司長になりたくないんだ」
「・・・・・・・・・ナタナエルが言うと、なんだか不思議だね」
ナ「そうだな。俺も、どっかおかしな気がする」
くすくす、と夜の静寂の中を二人の笑い声がこだまする。
ひとしきり笑った後、ふいにナタナエルは複雑な気持ちになった。上の流儀は不満でも、学院にいた時間はけして嫌なものではなかった。今までの人生の殆どを過ごした場所なのだ。
ここにいる限りは昇級の事だけを考えていればよかった。
どうやって生きればいいか、基準がしっかりあった。それら全てを否定して出て行く。これからは全てを自分で決めて、自分で考えなければいけない。
胸に去来したこの感情が寂寥なのか不安なのか、それとも期待なのかは今のナタナエルには分からなかった。
ただ、もう帰れないんだな、と思った。
ヨハネはどんな気持ちだったのだろうか。
あの時、ちゃんと彼の話を聞いておけばよかった。
今となっては、もうどうしようもないな。ナタナエルは清々しい気持ちで体についた砂を払い立ち上がった。
夜空には一面星々がキラキラと輝いて彼らを照らしていた。
「かみさま、」 ナノ @nanonnpnano
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