第58話 ナタナエル その6
夕食時になり、食堂へ人が集まる。
ナタナエルは無意識でフィリポの姿を探していたが、見当たらなかった。
最近では彼と共に食事をすることも少なくなっているため、いなければいないでさっさと自分の食事をしてしまえばいいのではあるが、先程のこともあり彼の顔を見たいと思った。
フィリポと一緒に葡萄を取りに行ったという友人達と出くわしたので、彼の行方を聞く。
「え、やっぱりまだ帰ってないのか?」
「まじかよ」
フィリポの姿が見えないと告げると二人は顔を青くし、お互いに視線を交わした。
「どうしたんだ?」
胸がざわつく。嫌な予感が育っていく。
「実はさ、途中ではぐれちゃったんだよ。フィリポと」
「で、探しても見当たらないし、日が暮れるしで帰ってきたんだ」
「そうそう。あいつも子供じゃねぇんだし、自分で帰ってくるだろうって思って」
ナタナエルは思わず息を呑んでいた。
「・・・・・・・・・・で、お前達は先に帰ってきたのか」
「・・・・・・まぁ」
彼の低い声に級友達は怯えたように返す。
けれど彼らの判断はあながち間違っていない。
森は夜になれば狼が出る。夜盗がいてもいてもおかしくない。昼でさえ安全とは言いがたく、グループから離れないのは鉄則だった。
それなのに、いなくなった。
そうした時、安全の為グループの方は早く戻ってくるようにと教えられていたし、別れた方も自力で戻ってこなければいけない。
彼達は祭司見習いで、各自が自分の命の価値を心得ているから。
けれど。
何故か募る焦燥感に、ナタナエルはすぐさま振り返り門へと急いだ。
渋る門番を説き伏せ松明と護身用の弓矢を持って二人に聞いた場所に急ぐ。
ナタナエルの脳内にちらちらと以前のエルサレムの彼の姿が浮かぶ。体中から血を流していた彼は死んでいるのかと思った。その原因が他でもないエルサレムに住む人間だと知り憤慨した。
そして、ヨハネと同じように神を疑った。
けれど、彼の下した結論はヨハネとは違っていた。
「ナタナエル!」
風に乗って聞こえてきたフィリポの悲鳴がナタナエルの思考を中断させる。頭の中が真っ白になり、すぐさまそちらの方角へ走った。
向かった先に何もなくて、眉をひそめながら松明を振り回し周囲をうかがう。
聞こえてくるフィリポの悲鳴に、声のした方角を見ると、小さなくぼみがあった。覗き込むとフィリポに狼が襲いかかっていた。
咄嗟に弓を構え矢を引く。矢はまっすぐ狼に向かい、悲鳴をあげて逃げ出した。
「・・・・・・っ」
フィリポは何が起きたかわかっていないようで呆然と狼の去っていった方角を見ていた。
「フィリポ!」
血だらけでぐったりとしている彼を見て血の気が引く。慌てて中に入ると、フィリポはぐったりとナタナエルを見た。
「・・・・・・・ナタナエル」
フィリポが信じられないような目をしてパートナーを見る。こんな穴の中では、確かに気付かれないだろう。下まで降り切ると同時にフィリポが抱きついてきた。
体が小さく震えている。
「ナタナエル・・・、ごめん、ごめん、ありがとう・・・」
「ったく・・・。すっげぇ心配したんだからな」
彼の背中を撫でる。
胸元にフィリポの息を感じ、何とも言いようのない安堵を感じた。ナタナエルの体から力が抜けていく。
「ありがとう・・・。でも、なんでここにいるの?」
「フィリポを探しに来たんだよ」
「俺を? なんで?」
心底不思議そうな顔をする彼に苦笑する。彼は昔から他人に頼るのが得意ではない。
「あいつら・・・、お前と一緒に行ったやつらな、が、お前を見失ったって言っててさ。どうせ歩けるんだし、子供じゃないんだから自分で帰ってくるだろって言ってたのを聞いてさ」
「・・・・うん。俺も、自分で帰らなきゃって思ってた」
フィリポがナタナエルから体を離し、足を見る。
「でも、足をくじいちゃって・・・」
「足?」
ひやり、と胸が冷えて彼の左足を見る。動かなかった方の足だ。
「・・・大丈夫。くじいただけだと思うから」
「馬鹿。それでまた動かなくなったらどうするんだ」
フィリポの言葉にナタナエルは安堵してため息をついた。
「うん・・・・。ごめん。・・・・それで、ナタナエルは探しに来てくれたの?」
「まぁ・・・、心配だったからな」
フィリポがじ、とナタナエルを見る。いたたまれない心地がした。
久しぶりに二人で話している事を意識すると、体が少しずつ緊張していく。
「・・・・・俺、今、すごく嬉しい」
「は?」
フィリポの目が輝き、その端から涙が流れ落ちた。泣き崩れるのを必死に我慢しているような顔でフィリポが続ける。
「俺、“罪人”だったころ、いつ死んでもいいように思ってた。でも、自殺は出来ないから、ただなんとなく生きてたんだ。皆に邪険に扱われていて、どんどん俺の心が冷たくなっていって、誰も信じられなかった。・・・・・君のことすら、信じてなかった」
どくり、と心臓が震える。ヨハネが出て行ってから彼の笑みはどんどん社交辞令的になっていった。部屋が別れた後は、いつもどこかつらそうだった。
「俺、ナタが俺のこと心配してくれるのは、パートナーが“罪人”なのは体裁が悪いからだって、そう思ってた」
「・・・・・・・・・・・・・」
咄嗟に何も言い返せなかった。
ヨハネに指摘されたときに認めたくなかったその感情は、確かにその後意識する時もあった。
「でも、いつだってナタは俺のこと、ちゃんと考えてくれてた。心配してくれてた。今だって、こんな暗くて危ないのに、ナタは俺を探しに来てくれた。君がここにいるってことが、すごく、すごくうれしいんだ」
ナタナエルを掴んでいるフィリポの手に力がこもる。彼の目を見ているのがつらかった。
自分はそんないい人間じゃない。ナタナエルはフィリポを自分から引き離し正面から見つめた。
「・・・・・・・・・・フィリポ」
そうじゃないんだ。ナタナエルは心の中で反論した。
彼はずっとパートナーのことを見捨ててきた。
認めるのが怖くて、向き合えなくて、ずるずると蓋をしていた。
けれど、
「・・・・・・・・ごめん」
向き合わなくてはいけない、と思った。自身の、エゴに。
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