epilogue
それから
販売戦略部のチームの一員として選ばれなかった
当日、ホテルを借り切って行われるショーの控室に呼び出された芹沢はどっかで見た誰だったか思い出せない男を目の前にして固まる。
「お、来たね。ここ座って」
「えーっと、どちら様……でしたっけ?」
「あぁ、俺? 美容師やってる
「メイクッ!? 何それ!?」
「あれ? 聞いてないの? ラスト男性を女性に仕上げてランウェイ歩くって」
「し、知りませんし……何で俺なんすか? って、ちょ、勝木さんに事情をっ……」
「あぁ、勝木君ならもうフィッティングに入ってんじゃない? まぁ、時間もないしここ座ってくれるかな?」
沖野の困った様な顔にそれ以上困らせるわけにもいかないのか、と取りあえず座って見たものの、状況はずっと把握出来ないままでポケットからスマホを取り出して返事はないだろうと思いながらも勝木にラインを連打した。
>これ、どう言う事ですか?
>何か化粧されてますけど!?
>勝木さん、どこいるんすか?
「ちょっとごめんね。顔、上げて」
生まれて初めて化粧されて、顔にもう一枚皮膚が張り付いた様な異物感がある。
重ね付けされたつけ睫毛のせいで瞼は開いているのか分からないくらい重い。
芹沢は唇に乗せられたグロスが、溶けたアイスのベタついた感触に似ていて眉を潜めた。
「
「利明……?」
「大神店長ね。せっかくなら君をとびきり美人に仕上げて観衆の鼻を明かしてやろうってね」
「あっ……貴方は、この前買い物に来てくれた……」
大神店長の好きな人。
「利明から少し事情は聞いてる。勝木君も俺に頭下げて来てさ。君、愛されてるね」
その時、芹沢のスマホに勝木から返信があった。
>トドメを刺しに行くぞ。黙って言う通りにしろ。
「……何で、あんなにカッコイイんですかね」
芹沢は勝木の自分を守ろうとする姿勢に、勘違いしそうになる。
ノンケで仕事の鬼で、大神店長の時と同じ様に見ている事しか出来ないけれど、こんな風に守られてしまっては、育って行く感情を小さく留める事は難しい。
「さぁ、出来た。鏡、見てごらんよ」
「これが……俺……?」
「どっからどう見てもとびきり美人だ。俺も今日は利明に褒めて貰えるかな」
最後の仕上げに黒髪のロングヘアのウィッグを被せた沖野は、お茶目にウィンクして見せる。
部屋を移動した芹沢は、新作の燕尾にファーのロングコートを着せられて控室に放置された。
「お待たせしました、女王様」
そう言って控室に入って来たのは揃いの燕尾を着た会議室で見た田所と言う女性と勝木だった。
身長の高い田所は、長い髪を纏めて女性ながらにその燕尾が良く似合っていた。
勝木は元々フィッターが出来る位均整の取れたボディなだけあって、夜会に招かれたイギリス紳士の様に燕尾が板について見える。
「か、勝木さん……」
「別嬪に仕上がったな、眠兎」
「ホント、垢抜けたじゃない。会議室で見た時は、何処にでもいそうな大学生だったのに」
「た、田所さんも綺麗です……」
「あらやだ、可愛いわね、この子」
「田所さん、手出さないで下さいよ」
「あの、勝木さん……俺、何すれば良いんですか?」
「俺と、このオバサンの間に挟まって歩くだけだよ」
「おいコラ、勝木。オバサンっつったか?」
「あ、間違った、オジサンだったわ。良いか、眠兎。この人は見た目女だが、俺らと同じモンが付いてる。襲われない様に気を付けろ」
「……え? えぇっ!?」
「同類なのにこの前は苛めてごめんなさいね。でも、君を苛めたかったわけじゃないの。ここにいるこの、くっそ可愛くない後輩を苛めたかったの」
田所は勝木を指してそう言う。
「眠兎、男だとか女だとか下らない事を言う奴は放っておけ。お前がお前である事に自信持って歩け」
「はい……」
右手を勝木に預けて、左手を田所に任せて、ランウェイに飛び出した芹沢は今まで経験した事のない羨望の眼差しを一斉に浴びた。
恥ずかしさに俯いてしまいそうになる芹沢を、客席の一番奥に腕を組んだまま立っている大神店長が満足気に見ている。
その目から目を逸らせなくて、結果的にはずっと前を向いて歩く事になる。
歓声と拍手が自分に向けられたものだと、俄かに信じられないくらい夢の様な時間だった。
翌日も仕事だと打ち上げを断り、帰りの新幹線の中で疲れて眠ってしまった芹沢は、こっちに付いた途端に勝木の車に押し込められて勝木の自宅に帰って来た。
「あの、勝木さん……ありがとうございます」
「何がだ?」
「い、色々……俺の為に色々……」
「じゃあ、もうそろそろ良いか?」
「何がですか……?」
「一応上司だし、私情で動いてるって思われんのも嫌だったから仕事出来るって所をちゃんと見せとかないとって思ってたんだが、もう良いだろ。俺はお前を抱きたい」
「はっ?」
「お前は? 嫌か?」
芹沢は勝木が何を言っているのか理解出来ずに、ただマジマジと勝木の顔を見遣った。
「嫌って言うか……勝木さんはその……そんな趣味はないって言ってた」
「あー、それはアレだ。好きじゃ無いヤツ抱く趣味はないって意味で、まぁ、男抱いた事はないけど、大神さんに色々教えて貰ったし、どうにかなんだろ」
「教えて貰ったって……何、聞いたんですか!?」
「え、お前の事抱きたいからやり方教えてくれって……」
「ちょ、な、何でそんなダイレクトにっ……」
「牽制。お前、大神店長の事ずっと好きだったろ? あの人にお前は俺のもんだって釘刺しとかないと」
「何ですか、それ……」
「返事、貰ってないけど? 俺の事、好きじゃないの? 俺はお前が好きだ」
言葉にならない。
ただの腑抜けたバイトで、何処にでもいる奔放な大学生だった自分を男にしようと引っ張り上げてくれる。
無力な自分を全力で守ってくれて、その上好きだと言う。
こんな出来過ぎた男が、自分の彼氏になってくれるなんて夢じゃ無ければ妄想が行き過ぎてる。
「ヤバい……心臓壊れる……」
「何それ、可愛すぎんだけど」
「勝木さん……」
「
「しん……や……さん」
「何?」
「……きっ……好きっ……大好きっ」
少し硬い鍛えられた胸板に、顔を埋めてギュッと腕に力を込める。
よしよし、と甘やかされるその大きな手が両方の頬を包んで上を向かされた。
「言っとくけど俺は浮気は絶対に許さないからな。前みたいに他の男漁りやがったら、覚悟しとけよ」
「しない……よ……」
「まぁ、余所見なんてさせねぇけどな」
重ねられた唇は、煙草とムスクの香りがした。
眠る兎は深夜に酔い痴れる。 篁 あれん @Allen-Takamura
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