第1章§2
「いらっしゃいませ、お客さま。お一人様でしょうか」
「はい」
「おタバコはお吸いになられますか」
「はい」
「こちらへどうぞ」
喫茶店でアルバイトの情報誌を軽く読む。求職中の身としては、なにはともあれ時給の良さを求めたい。二か月もの間、結局無職で貯金を食い潰すことになってしまった。まだ少し余裕はあるが、そろそろ、この体たらく、どうにかこうにか取り戻す必要がある。食う寝る所に住む所を提供してくれるのなら高くなくてもいいのだがそんな職はないだろう。妄想はここらでやめておく。
「こちら、お冷とメニューになります」
「ありがとうございます」
会釈をしながらウェイターに礼を言う。
「コーヒーをください」
「かしこまりました」
ポケットからソフトパックのタバコとマッチを取り出す。どちらも新品だ。箱の上面にある銀紙で包装された所の片方を、中心にあるシールに沿って切り取る。
ビリビリビリ……。
外周に沿うようにして銀紙を切り取った。
箱の中身がいっぱいで、すぐ一服というわけにはいかない。箱を親指と中指で軽く挟むようにして持つ。そして、切り取っていないほうの銀紙の上を人差し指でトントンと叩く。衝撃で数本飛び出てくる。一本を取り出し、口に持っていく。続いて、マッチを、箱から出し、やすりの面に当て勢いよくこすり付ける。
シュパッ、シューーー……。
マッチの先端が閃光する。先端にある鈍い赤色をした燃焼剤から火が木の軸へと移るのを待つ。火をタバコのほうに近づける。火種をなるべく小さくするように意識しながら、タバコをゆっくりと深く吸う。それから、煙を吐き出す。また、タバコを口に持っていく。普段の呼吸を一拍とするなら、半拍子でタバコを吸い、もう半拍子で空気を吸いこむ。それから一拍かけて煙を吐く。
「コーヒーをお持ちいたしました」
「はい、ありがとうございます」
タバコを灰皿の上に置く。徐々に燃えていく火種を見ると、あることを考えてしまった。
公職追放を受け、なおかつ、民間の会社に就けなくなるのだったら、妙な愛国心、功名心を出して、父と母に、三男として生まれたのだからこの命はお国に捧げます、だなんて言わず素直に家督を継げばよかったという考えだ。
定家の長男は急逝、次男は都会に行ったきり戻って来ず。そこで必然的に家業を継いでくれるという期待が三男である俺に集まるのだが、当の自分は大学受験と称して両親をだまし、海軍の大学を受験して合格、そのまま家に戻らず、命をお国に捧げる旨の手紙を送ったまま終戦を迎えた。実家に帰るのは気まずいため、私が中学生になり今の実家へと引っ越す前、つまり幼少期を過ごした場所でふらふらしている。
ダメだ、ダメだ。こんな非生産的空想をしてはダメだ。現実は改善しないし、精神衛生上よくない。今この現状をどう打開するか、このことに集中するのが最善策だ。
自分で自分を鼓舞する。死線を共にくぐった戦友は、もうわずか指で数えるほどしかいない。ましてや、近くに一人もいない。誰にも頼れない。軍隊解散を旨とする命令が発令された後、俺は各所を放浪し、ついには、この町に行き着いた。戦後すぐにあてもない旅をしたため、数少ない戦友たちが皆どこにいて何をしているのか、皆目見当がつかない。連絡もつくはずがない。元気にしているのだろうか。彼ら、彼女らのことだ、おそらく首尾よくなんとか過ごしているだろう。俺一人だけ、虚しく生きているわけにはいかない。航空機乗りの墓場と言われたリリクア島で生き抜いた戦友に対して面子が立たない、ましていわんやリリクアで華々しく散った戦友にも。
タバコをまた吸う。
そうだ、あの戦争は終わったのである。幼少期に育ったここで心機一転、強く、強く生きよう。過去はもう過ぎたことだ、いつまでも引きずるのはみっともない。今在る自分が、今これからどうするのか、これが肝要なことだ。真摯に生きよう。そう決意を新たにする。
飲みかけのコーヒーを飲もうとした瞬間、怒鳴り声が響き渡る。
「この料理を作ったやつ、誰だ!」
「申し訳ございません、お客様」
「申し訳ございませんじゃねえぞ、この尼!料理長はどこだ! 呼んでこさせろ!」
何やらもめているようだ。屈強な体つきをした坊主頭の男が、おそらく高校生か大学生であろう小柄な女性店員に向けて暴言を吐いて因縁を付けている。というか、そもそも喫茶店で料理長なる役職は存在するのだろうか。
「私が料理を作ったものです」
問題になっている料理を作ったと思わしき、壮年の男性が現れる。
「お前が作った料理につまようじが入っていたんだよ。危うくつまようじを食べそうになったじゃねぇか、どうしてくれる」
「申し訳ございません。新しいお料理をお作り致します」
「そういう問題じゃないんだよ、気に食わない奴だ」
大声を荒げている男が唐突に料理長をどつく。
「きゃあッ!」
「kjaw!」
店員や客が鋭い悲鳴をあげる。料理長は周囲のテーブルやイスを巻き込みながら盛大に吹っ飛ぶ。近くにいる客は恐怖と奇異が混ざり合った視線を向ける。だが何もしない。当たり前だ、障らぬ神に祟りなし。この場合、神ではなく、坊主頭だが。
坊主頭が料理長の胸ぐらを掴む。
「この野郎!」
これはいけない。この事態を看過することはできない。正義感が私を行動するよう駆りたてた。
撃墜王の忘れ物 リン酸 @h3po4
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