影の無い生徒-3

 翌日。

 僕は徹夜明けの眠い目を擦りながら登校した。

 徹夜の理由は試験勉強…ではなく、試験勉強の合間、休憩のつもりで始めたゲームに熱中してしまい、気付いたら朝だった、という下らない理由だ。

 そんなわけで、珍しく時間に余裕を持って登校した僕は、僕よりも早く登校してきていた譲原に声をかけた。

 もちろん、昨日の件、つまり月見里 優希についての話をするためであったのだが。


「昨日の月見里って奴の話、聞きに行こうぜ」

「やまなしさん…?えっと、誰?」


 そんな反応が返ってきた。


「…おいおい、忘れちゃったのか?お茶目さんだなぁ、その様子じゃあ、僕との熱い夜も忘れちゃってるのか?」


 僕はその反応を譲原なりのボケだと思い、そんな軽口を言ったのだが、


「いや、槻木君と熱い夜を過ごすことはあり得ないから置いておいて」

「あり得ないのか…」


 僕と熱い夜を過ごすことは、譲原にとってあり得ないことらしかった。

 面と向かって断言されると、結構心に来る。

 いや、そんなことよりも。


「え、本当に覚えていないのか…?」


 そんなはずがない。だって、昨日の今日だ。

 1週間前の夕飯は全く覚えていない僕だって覚えているのだ。

 譲原が覚えていないなんて、そんなはずがない。

 しかし、そんな僕の考えは、


「ごめん、本当にわからない」


 彼女の言葉によって打ち砕かれる。


「なら、僕たちが昨日の放課後、何をしていたかは覚えているか?」


 悪あがきのように、続けて質問する。悪あがきというか、確認だ。これが答えられなければ、譲原は即刻病院に行くべきだ。


「そ、それは当然覚えてるよ。私と槻木君でクラスのアンケート結果を集計したんだよね?」


 困惑したように答える譲原。どうやら、そこは覚えているらしい。


「じゃあ、アンケートが1票足りなかったことも覚えてるだろ?」

「うん。でも、結局そのまま出したよね、無記名だから大丈夫って私が言って」

「…………………」

「あれ?違ったっけ?」

「いや、合ってるよ、譲原の言うとおりだ。でも…」


 どういうことだ?

 確かに譲原の言っていることは合っている。でも、足りないじゃないか。


「でも?」

「…やっぱり、何でもない。そろそろ朝のホームルームが始まっちゃうし、後で話すよ」


 一度頭を冷やすべきだと判断した僕は、そう言ってその場から離れる。昨日の譲原から学んだことだ。今の段階では堂々巡りになりかねない。とりあえず、僕一人で情報を集めてみよう。

 後ろから譲原の怪訝そうな雰囲気が伝わってきたが、無視して離れていったのだった。


 〇


 そのあと、クラスメイト数人に月見里優希という人物について聞いてみたけれど、誰一人として、その人物を知っている人はいなかった。僕がおかしいんじゃないかと思うほど、誰も知らなかった。そして、驚くべき事に、僕はクラスに居るはずのその人物を見つけることさえ出来なかった。


 昼休みに出席簿を確認した所、今日は欠席ではないはずなのに、いくらクラス中を見渡しても、知らない人がいなかった。


 自分たちが3ヶ月過ごしたクラスの中に、知らない人がいるというのは、それはそれで大事件、異常事態だが、今の状態は、むしろ知らない人がいないことの方が異常事態だ。


 そのまま、何も収穫がないまま、放課後。

 収穫というのが何を指すのか、ということさえよくわからないが、とにかく、なんの進展もないまま放課後である。


「ところで、槻木君。朝の件だけど、結局、なんだったの?えっと、やまなしさん?」


 授業が終わり、例の件について考えながら帰り支度をしていたところ、譲原に声をかけられた。今まで声を掛けられなかったから、あまり気にしていないのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


「だって授業があったもの。槻木君なんかの話より授業でしょ」

「僕なんか、って言った?」


 確かに譲原に比べれば僕は「なんか」だけど。自分で言うのと人に言われるのとではショックが大分違うな…。


 ともかく。


 改めて、僕は譲原に現状を説明した。説明したと言っても、わからないことだらけで、わかることの方が少ないほどだから、昨日から今日までの経緯を話したようなものなのだが。


「なるほど。だから槻木君、朝にあんなこと言ってたのね」


 僕の話を聞き終えた譲原の反応はそんなものだった。


「もちろん、私をはじめとして、誰もその月見里さんのことを知らない、覚えていないっていうのは不思議だけど、槻木君だけが覚えてるっていうのも不思議だよね」

「うーん、でもそれは、昨日僕が月見里の存在を知ったからじゃないのか?」

「だったら、私も覚えてるはずじゃないの。もう一度言うけれど、私は、昨日のことは覚えてるつもりだけど、その、月見里さんについてのやりとりは覚えてないの。覚えてないって言うか、覚えがないっていうか」


 覚えがない。昨日の放課後の出来事のうち、譲原の頭の中からは、月見里の件だけが綺麗さっぱり抜け落ちている。いや、これは譲原に限った事じゃないのかもしれない。他のクラスメイトからも、月見里という人物の情報だけが抜け落ちていて、そのことに気付いていない。そして、昨日までの僕も、その一員だったということだ。


 じゃあ、なんで今僕は月見里の情報を忘れていないのだろうか?

 ……いや、違う。考えなければいけないのはそこじゃない。


 なんで、月見里という人物は誰にも覚えられていないんだ?


「…なあ、譲原。こういう症状の病気ってあるの?」

「こういう症状って、つまり記憶に関する病気って事?」

「そう、なんかこう、忘れちゃうような」


 自分で言っていて恥ずかしいくらい曖昧な、というか馬鹿っぽい問いになってしまった。


「記憶障害って言われるものなら結構あるよ。でもそれは全部、自分自身の記憶が曖昧になる、あるいは無くなるっていう症状で、今回みたいに周りの人に記憶されなくなるっていうような症状じゃ無いね」

「そりゃそうか…」

「一応、私たち全員が記憶障害を起こす謎の感染症に感染してしまっていて、槻木君だけが未感染、っていう仮説を立てることは出来るけど…。まあ、無理があるよね」


 情報がなさ過ぎる。昨日の譲原の言葉を借りれば、今の状態では、どんなに考えても推論、どころか妄想止まりである。


「しかし、集めるべき情報も無いんじゃどうしようも無いな…」


 月見里に関する情報がもう少しでもあれば、何か考えられるかもしれない。しかし、その情報自体が、全く無い。

 どういう理屈なのかはわからないが、情報自体が皆の記憶から消えて無くなってしまっている。

 今僕たちが持っている月見里という人物の情報は、名前と、そこから連想できる性別だけである。


「槻木君、もう一度確認したいんだけど、月見里さんの名前って、どうやって入手したんだっけ?」


 譲原が何かを思いついたような調子で、そんなことを聞いていた。


「えっと、出席簿だよ。今日も確認したけれど、出席簿で名前を見つけたんだ」

「なるほど。ふむ、槻木君、今から時間あるかな?」

「それはもちろん、有り余っているけど」


 試験勉強をしなければいけないのはともかく、何か特別用事があるわけでは無い。

 しかし、何をしようというのだろうか。


「今から、月見里さんの家に行ってみよう」

「…どうやって?」


 家の住所どころか、顔も知らず、名前しか知らないクラスメイトの家に行くことが出来るのか?

 いや、もちろん普通の状態であれば、その人と仲の良い生徒から住所を教えてもらったりは出来るだろうが、誰も月見里のことを知らないのだ。まさか虱潰しに探すようなことは出来ないだろうし…。


「槻木君も入学の時とか、今年の4月にもだけど、通学手段を調査するための書類を先生に提出したの、覚えてる?」

「ああ、提出した…気がする」


 あんまり覚えてないけど。確か、自分の家から学校までの地図を簡単に手書きした気がする。

 あとは、自分の名前と、電話番号と、住所…。


「あぁ、その書類を見て、住所を調べるって事か。でも、一応個人情報なんだし、そんな簡単に見せてもらえるのか?というか、その情報も無くなってるんじゃ…」

「個人情報云々は確かに少し骨が折れるかもしれないけれど、情報が無くなってるって事は多分無いから大丈夫。だって、出席簿に名前が載っていたってことは、そういうことでしょ?」


 そういうことか。

 何故かはわからないとはいえ、僕たちの記憶から月見里という人物の情報が消えてしまっているのは事実だ。しかし一方で、出席簿に記載された名前という物理的な情報は消えていないし、僕たちも確認することができる。

 なら、月見里も以前提出したであろう、住所等が記載されたその書類もまた、僕たちに確認できるということになる。


「そうと決まれば早速先生に交渉しに行かないとね」

「僕も行った方がいいか?」

「いや、私一人で行くよ。名前から察するに、月見里さんって女の子だろうし。女子の住所を聞きに行くのに、男子がいるのは問題だと思うのよね」


 …まあ、確かに。

 結局、住所を手に入れられれば僕も月見里宅に行くことになるとはいえ、女子の住所を入手しようという段階では男子はその場にいない方が良いだろう。


「じゃあ、僕は出発する準備をしておくよ。住所の方は頼んだ」

「頼まれました」


 そう言いながら譲原は教室を出て、おそらくは職員室へ早足で歩いて行った。こういうときでも廊下は走らないんだな、あいつ。


 さて、出発の準備なんて大袈裟に言ったけれど、何をすれば良いんだろう。

帰り支度は既に出来ているし、月見里の家に行くにあたって必要なものって何だ?

クラスメイトの家に行くのって、実はかなり久しぶりだから何をすれば良いのかさっぱりわからない。


「ねぇ」


 というか、月見里ってやっぱり女子なんだよな?となると、僕はこれから女子の家を訪問するということ?

 あれ、そう考えるとすげぇ緊張してきたぞ。女子の家に行くときって何を用意すれば良いんだ?何か差し入れとか持って行った方が良いのかな?でもそんなちゃんとしたお菓子を買う時間は無いし、そもそもこの辺でそういう店を知らないか…。


「ねぇ、ってば」


 あ、月見里家の場所にもよるけれど、学校の近くにドーナツ専門店があったな。和菓子とかは無理にしても、ドーナツをいくつか買っていくことは出来そうだ。丁度今、全品100円セールをやっていたはずだし、定番どころを3種類くらい買っていけばハズレはないだろう。

 よし、この案はあとで譲原に話そう。他に必要なものと言えば…


「……フッ!」

「痛ってぇ!?」


 いきなり頭に衝撃が走った。何か堅いものが飛んできて、僕の頭を直撃したらしい。

 何だ!?何が起こった、敵襲か!?

 思わず涙目になりながら飛んできた物体、今は僕に当って床に落ちている物体に目をやると、それは黒板消しだった。そして、落ちた黒板消しの先に、女性。


「ようやく、気付いてくれたわね」


 僕に黒板消しを投げつけたらしい女性は、そんなことを言って儚げに笑みを浮かべた。

 うちの学校の制服を着ているから、保良高校の生徒なのだろう。ショートカット気味の綺麗な黒髪と、透き通るような白い肌。切れ長の目、筋の通った鼻、薄い唇にそんな儚げな笑みを浮かべる表情のせいだろうか、どこか、周りの景色から浮いているような雰囲気にさえ感じてしまう。

 そんな彼女へ、僕から送るべき言葉は一つだ。


「黒板消しをぶつけられたら、誰でも気付くに決まってるだろ!」

「何回か声をかけたのよ。それでも無視するから、こういう手に打って出たのであって」

「いや、気付かなかったのは悪かったけれど、もうちょっと他にあるだろ!?」

「他に?例えば?」

「か、肩を叩く、とか?」

「それじゃあ、あなたに触らなきゃいけないじゃない」

「僕には触れたくもないと!? よくまあ、初対面でそんなこと言えるな…」


 うん?初対面、だよな?

 僕は目の前の女性が誰なのか、ということは知らない…。

 けれど、なんだろう、既視感がある気がする。デジャヴという奴だろうか?


「いや、考えてもみてよ、見知らぬ女子の家に行く算段を立てている男子なんて、積極的に触りたくはないでしょう?」


 そう言われると言葉もないな。触りたくないどころか、声をかけたくもないかもしれない。

 というか、なんで僕の考えていたことが漏れているんだよ。


「口に出てました、『女子の家に行けるぜ、ウヘヘヘヘヘ』」

「そんなことは断じて考えていない!」


 ニュアンス的には似たようなことを考えていたかもしれないけど!


「声が漏れていたのは嘘にしても、さっきの話を聞いていればあなたの考えていることくらい予想できるわ」

「何故嘘を吐いたんだよ…、って聞いていたって?」

「あなたたちが、クラスメイトの個人情報を入手しようとする会話を聞いていたの」


 言い方…。


「え?お前、廊下で立ち聞きでもしてたって事?」

「あら、そんな風に盗み聞きをした、みたいに言われるのは心外ね。あなたたちが勝手に、私の目の前で話し始めたんじゃない」


 そうなのか?

 別に、誰かに聞かれて困る話をするつもりじゃなかったから、周りに気を配ったりはしなかったけれど、とはいえ、気にしなかった訳ではない。その場に誰かがいたり、誰かが教室に入ってきたのであれば、気付いたはずなのだが…。


「しかも、なに?聞いてみれば、私の家の住所を調べようとしているし」

「え?」


 私の家の住所を、だと?

 つまり、この見知らぬ、浮いたような美少女は、僕と譲原がつい先ほどまで話題に上げていた人物、話題の中心になっていた人物であるということ?


 誰からも認識されていない、覚えられていない謎の人物。


「…初めまして、月見里 優希です」


 彼女は、やはり儚げな笑顔のまま、そう名乗った。

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怪談のある高校生活 @amaka

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