影の無い生徒-2

 押しに弱い人間は損だと明言したい。

 放課後の教室で、僕、槻木悠斗つきのき ゆうとはそう思う。


 現に僕が押しに弱いばっかりに、こんな仕事……クラスの委員長なんていう、僕には全く相応しくない仕事を押しつけられてしまっているのだから。


 試験期間前のこの時期に、勉強以外の書類仕事をしなければならないのは、元々成績に余裕のない僕には辛い。


 書類仕事、なんて大仰に言ってしまったけれど、今、僕がやっているのはアンケートの集計だ。近々行われる文化祭の出し物についての希望調査アンケートの集計だった。


 しかし、引き受けてしまったことは仕方ない。なるべく早く仕事を終わらせて、試験勉強に集中するしか、僕に助かる道はないのだ。


「なあ、そっちはどうだ、譲原?」


 無言で作業をするのもどうかと思い、机を挟んで向かい側で作業する女子、譲原 心ゆずりはら こころに会話を振る。


「もうすぐ終わるよ、そっちは?」

「うわ、やっぱり作業早いなぁ。僕の方はまだ半分くらいしか終わってないのに」

「こっちが終わったら、そっち手伝おうか?」

「助かる、お願いするよ。…やっぱり委員長は僕より譲原の方が適任だよな、どう考えても」


 この手際の良さを見ると、改めてそう思う。


 譲原心。

 頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群、品行方正で人当たりも良いという、まさに『歩く完璧』である。


 そんな彼女が何故僕と放課後に作業をしているのかといえば、彼女が文化祭実行委員だからだ。

 文化祭実行委員とは、その名の通り、その年の文化祭を仕切る委員会である。

 各学年の各クラスから一人ずつ選出される…要は、文化祭におけるクラスのリーダー、みたいなものか。


 クラスの委員長である僕と、文化祭におけるリーダーである彼女を中心として文化祭の準備を進めているのだ。


「委員長って、またその話? 仕方ないでしょ、クラス委員長をやっちゃったら、文化祭実行委員になれないんだもの。私は文化祭実行委員がやりたかったのよ」

「でもほら、僕がやっているように、クラス委員長でも実行委員の仕事は出来るじゃないか」

「そういうことじゃないんだけどねー」


 苦笑いをしながら作業を進める譲原。


「それに、槻木君だって委員長って役職、結構ハマってるじゃない」

「何だよ、僕を褒めたって、お金しか出ないぞ」

「槻木君、かっこいい! 委員長の中の委員長ね!」

「いや露骨すぎる!」


 もちろん冗談だ。褒められる度にお金を出せるほど僕の家も裕福じゃない。


 譲原は「ハマってる」といってくれたけれども、僕が委員長を務めていることに、やっぱり僕は納得できない。彼女が別のことをやりたいというのだから仕方ないけれど、適正と希望は別、ということだろうか。


「よし、終わった。半分頂戴」


 そう言って、譲原は僕の手元に残っているアンケート用紙の半分程度を手元へ持って行く。


「やっぱり、一番人気はお化け屋敷だね、まだ途中経過だけど」


 僕の分の集計結果も見ながら、譲原は言った。文化祭実行委員がやりたい、と明言しているだけあってクラスの出し物には興味があるらしい。


 文化祭の出し物と言えば、って感じのテンプレートだしな。人気なのは仕方ないだろ」


 お化け屋敷と言えば、どこの学校の文化祭でも、必ずと言って良いほどある出し物である。


 ある種、心象風景みたいなものとして定着していると言っても良い。それくらいには、文化祭にお化け屋敷は付きものだ。


「槻木君が言ったように、テンプレートみたいなところがあるから、他のクラスと被ってしまう可能性が高いっていうのが問題だけどね」

「オリジナリティがない奴らだよな、まったく」


 妙に批判的な言い方になってしまったが、別に他と同じが悪いと思っているわけではない。


 好きではないが、悪いとは思っていない。


 テンプレート、すなわち王道は、王道になるだけの理由と実績があるから王道足りえるということは、もちろん知っているつもりだ。


 どこかのガールズバンドアニメのED曲でも、同じようなことが歌われているし。


「そういう槻木君はアンケート、なんて書いたの?」

「メイド喫茶」

「それで他の人のこと『オリジナリティがない』なんて言ってたの? お化け屋敷に並ぶ王道な出し物じゃない」

「何を言うか!僕の提案するメイド喫茶を一般のメイド喫茶と一緒にしてもらっては困るね」

「……一応、何が特殊なのか聞いてみようかしら」

「追加料金でお触り可、とか」

「さっさと法にお触りして捕まりなさい」


 おお、うまいこと言われた。流石、頭の回転が早い。


 とはいえ、せっかくの文化祭なのだから、男子としては女子のコスプレに期待せざるを得ない。普段の制服姿とは違う、コスプレ姿には心踊るものがあろう。

 そういう意味で、僕としてはお化け屋敷はあまり気が進まない出し物だったりする。


 コスプレはコスプレでも、不気味な物が主になってしまうじゃないか。


「そういう欲望は口に出さない方が良いと思うよ……」

「おっと危ない」


 そんなやりとりをしながらアンケート集計を進めていたのだが、僕はあることに気付き、その手を止める。


「……このクラスって何人編成だったっけ?」

「それって仮にも委員長の槻木君が口に出していい問なのかしら……」


 譲原からもっともな指摘を受けてしまったが、気になってしまったのだから仕方ない。

 僕は無能の頭だが、僕を選んだのはクラスメイトなんだし。


「だから、僕には不適切なんだって、委員長って。というか別に、忘れた訳じゃないんだ。集計していたら、気になる事があってさ」

「ふーん? まあいいや。うちのクラスは40人編成だよ」



 40人という数を聞き、僕の記憶に間違いが無かった事に内心ほっとしながら続けて質問する。


「じゃあさ、このアンケートを採ったときに欠席していた人、もしくはまだアンケートを提出していない人はいるか?」

「私の記憶が正しければ、そのどちらもいなかったはずだけど、もしかして、人数が合わないの?」


 僕の疑問を完全に看破していた。

 僕としては、この後「そうか、ならやっぱりおかしいんだよ」「おかしいって、なにが?」「人数が合わないんだ。欠席も未提出もいないのに」みたいなやり取りをする予定だったのだが…。


「そ、そうなんだよ。何回数えても、合計が39票にしかならない。1票足りないんだ」


 会話の段取りのショートカット(もちろん、譲原にそんなつもりはまったく無いのだろうが)を迫られた僕は、微妙に口ごもりながら彼女に状況を説明した。


「なら、私の思い違いだったのかも。本当は誰かが欠席していたか、提出していないか、もしくは、槻木君が紛失しちゃった、とか」

「…紛失じゃないことを祈るよ」

「ふーむ、でも…」

「あ、そうだ」


 譲原が何かを言いかけたが、僕はあることを思いつき、席を立つ。


「どうしたの?」


 という譲原の声にはとりあえず反応せず、教卓へ歩み寄った。

 たしか、ここにあったはずだ。担任の教師がいつもここから出していた…はず。

 教卓の中に手を突っ込み、中を探る。幸い、目的の物はすぐに見つかった。それを手に取り、席に戻る。


「ああ、なるほど、出席簿ね」


 そう、目的の物は出席簿である。


「うん、これで票数が合わない理由が欠席かどうか、だけはわかると思って」


 そういいながら、僕は出席簿を開いた。

 譲原にも見えるように、机に対し横向きにそれを置き、該当する日付…つまり、アンケートを集めた日の欄を指でゆっくりと下方向になぞる。


 一度でも出席簿の中を見たことがある人ならわかるだろうが、出席簿のマス目は非常に細かい。それ故、僕なんかは目だけで欄を追おうとすると、今自分がどこを見ていたのかわからなくなってしまう。


「あ」


 あった。その日の欠席を示す『欠』の文字が、欄の中に書き込まれていた。


「なんだ、やっぱり私の思い違いだったね」


 譲原はそう言ったが、一方で僕は、まだ出席簿から目を離せずにいた。

 何の反応も無い僕を見て、彼女も不思議に思ったのだろう、再度出席簿をのぞき込む。


「……譲原、こんな名前の奴、僕たちのクラスに居たか…?」


 欠席となっていた人物の名前欄を指さして、僕はそう言った。


 月見里 優希


 その欄には、そう書いてある。


 僕たちのクラス…、私立保良高校の2-Dの出席簿なのだから、それに書いてあるこの人物も、当然僕たちのクラスメイトということになるだろう。しかしながら、僕はこの名前に全く心当たりが無かった。


『よく知らない』『見た事が無い』というレベルでは無く、全くもって完全に知らない。

 別のクラスの出席簿なのかと思って表紙を見てみたが、これは2-Dの出席簿で間違いなさそうだ。


「この『つきみさと』って奴、僕は知らないんだけど、譲原は知ってるか?」

「違うよ、槻木君。この人の苗字は『つきみさと』じゃなくて、『やまなし』って読むの。 …ああ、『つきみさと』って読む人も居るけれど、この場合は『やまなし』だよ」


 ほら、山田さんの後に名前が載ってるでしょ、と譲原。

 たしかに、出席番号は50音順で定められているから、『やまだ』のあとに『つきみさと』が来るはずがない。


「でも、私も、この人は、知らないかな……」

「そ、そうか。それは…おかしい、よな」


 4月に学年が上がり、新しいクラスになって以来、7月の現在に至る約3ヶ月間、同じクラスであったにも関わらず、名前も知らないクラスメイトが居た、なんてこと、あり得るのだろうか…。しかも、こんなに珍しい名字の人物を、である。


 出席簿を見れば、この月見里という人物は、その日こそ欠席であるものの、基本的に欠席マークはついていない。

 いや、ほかの生徒よりは多いが、それも3週間に一度くらいの割合で、出席簿上で見れば、少し病弱な…もしくはサボりがちな生徒だという印象しか受けない。


 そんな生徒を、クラスメイトを知らないと言うことがあり得るのか?不登校気味だった、なら知らなくてもあまり不思議では無いが…。


「…ま、いいや。明日、友達とか、先生とかに聞いてみよう」

「いやいや、よくはないだろ?」


 譲原が適当な風に言うので、思わず突っ込んでしまう。どう考えても、クラスに知らない人間が在籍しているというのは「まあいいか」で済ませて良い問題では無いと思う。というか普通に大事件だ。


「良いじゃない。だって、私たちで考えたって、結局推論の域を出ないでしょ?」

「…そりゃあ、そうかもしれないけど」

「情報が少なすぎるの。ヒントがない。考えるにしても、情報がないんじゃ、ただの妄想でしかないもの」


 考えるなら、答が出るまで。答が出ないのなら、考えるのではなく情報を収集すべき、でしょ?と続ける譲原。

 こういう所で、譲原の能力の高さが感じられる。要領の良さとでも言おうか。

 僕がそうだったように、衝撃的な問題に直面したとき、その問題に取り合わないことは非常に難しい。どうしても、「何故」「どうして」が先行してしまい、問題を考えようとしてしまう。最終的に譲原と同じ答えに…、今は解決できない、という答えにたどり着くにせよ、そこにたどり着くまでには相応の時間を要するはずなのだ。

 にも関わらず、あっさりとそれを出来る譲原は、やはり僕なんかとは思考の次元が違う。


「このアンケートは無記名だし、1票くらい足りなくても問題ないよ。というわけで、集計も終わったし、早く帰ろっか?」


 そういう譲原は、既に筆記用具やその他の私物を鞄に詰め始めていた。

 僕もそれに倣い、帰り支度を始める。


「しかし、やっぱり委員長は僕じゃなくて譲原がやるべきだよ…」


 改めてそう考える僕であった。

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