天才は死んでなお異世界を渡り歩く

早川 千鶴

第1話 序章

 幼なじみが死んだらしい。この時代誰が死んでもおかしくない。よくあることだ。よくあることだけど自分がその状況になると「よくあること」ではすませることができない。

 同僚で酒飲み仲間の男を酒場に誘い、ガヤガヤと騒がしい中で席につく。

「ここはいつも変わらないな……」

 周りを見渡しつぶやく。そうしているうちに同僚が店員を呼んでエールを二杯頼む。

「今日は俺がおごるよ」

 そう言うと普通のやつは喜ぶのだが、こいつはそれどころか眉をひそめた。

「なんだ? そのおごりでおれはなにをさせられるんだ?」

 察しがいい。それにこいつは頭がいい。こんなところでくすぶっていずにもっと活躍できる場所があるように思えてならないのに、本人は「おれはそんな大仰な人間じゃない」と言って何かしようとしない。

「大したことじゃない。少し愚痴を聞いてほしいんだ」

「エール二杯お持ちしました〜」

 ちょうどエールが届く。同僚は「ありがとう」と言ってそれを一口飲むと、右手に顎を載せ、テーブルに肘をつき、

「んで、何があったんだ?」

 と聞いてくる。その優しさに甘えるように大きくため息をつく。

「……チビの時からの親友が死んだ」

 木の椅子の背に体を預ける。親友の死とは思ってたよりダメージが大きいらしい。天井を眺め、涙をこらえる。

「……まあ、こんな時代だとありきたりなことだけどな」

 痩せ我慢を言う。同僚は、俺が顔を正面に向けるまで何も言わずにいた。

「よし、そういうことなら今日はおれのおごりだ。飲め」

 俺のぶんのジョッキを無理やり持たせ、グイグイと押し付けてくる。

「おいおい、今日は俺のおごりだって最初に言ったじゃないか……」

「親友をなくしたやつにおごらせるほどおれが冷酷な人間だとおもってるのか? そう思われていたのならショックだなあ」

 そう言われると反論できなくなる。渋々とジョッキをあおる。いっそのこと、と一気にエールを飲む。

「っはあ、そもそもいつまで続くんだこの戦争は!」

 ドンっ! とテーブルに打ち付けたジョッキが音を立てる。「あ、すいませーん。エールおかわりお願いします」とそつなく次を頼む同僚の声はもう俺の耳に届いてなかった。

 

 ◆   ◆   ◆

 

「いいやつだったんだよぉ……ぐすっ、騎士団にも抜擢されて……将来有望で……うぅ……ヒラの兵士の俺とは違ってよぉ……思い出せば子供の時からそんなやつで……」

「お前、その話何回目だと思ってる……」

 こいつとは何度か酒を飲みに行ってるし、なんだかんだこの戦争中、ずっと同じ隊に所属しているので付き合いはあるはずなのだが、まさかここまで泣き上戸なやつだとは知らなかった。

「皇帝はずっと抵抗をやめないし……戦死者が増えるだけだ……ぅう、俺たち同盟軍はいつになったら故郷に帰れるんだ……どうにかしてあいつを故郷に連れて帰ってやりたい……せめて村の土に埋めてやりたい……」

「まあそれはそうだな。いつか実現するといいな。

 そういやあ皇帝といえば、女嫌いの皇帝の周りに最近白い服の女がいるとかいう噂を聞いたな……って、もうこっちの声は聞こえてないか」

 おれも、戦争が始まったとき親が帝国軍に殺された。その時はずっとふさぎ込んでいたから、ここで一気に泣かせてやるのがこいつのためになるだろう。

「それにしても、その白い服の女ってのはちょっと気になるな……」

 そんな独り言は、酒場の騒がしい雰囲気にとけていった。

 

 ✱   ✱   ✱

 

 騎士団に抜擢されてから、毎日朝から晩まで鍛錬をした。腕が上がらなくなるまで剣を振った。楽しみは少なかったが、風呂につかれるのはありがたかった。

 時々、休暇をもらったときには同郷の幼なじみに会った。あいつの所属部隊は後衛、本陣近くが待機場所だが俺は前線付近なので会うときは俺があいつのところに行った。近くの都市で観光をしたり、酒場でお互いのことを喋りながら飲み明かしたりした。

 休暇よりさらに少ない数だが、戦いに出たこともある。俺よりよっぽど腕の立つ先輩や同輩たちが死んでいく姿を見た。自分は運良く生き残っているだけなのだと、一つの戦いの中で何度も思い知った。

 あいつはこの体験をしたことがあるだろうか。何度も死にそうになって、それでも生き残って、いっそのこと死にたくなって、それでも戦って、この世界の何かに抗うということをあいつもしているのだろうか。

 ……俺は故郷にいた頃とは変わってしまったのだと思う。もう笑うことなんて殆どない。けどあいつは、まだ少年だったときと同じ笑顔を見せる。それは俺の救いになっている。この変わりゆく世界で、変わらないこともあるのだと。この世界にはまだ戦争以外のこともあるのだと、教えてくれる。

 

 今日も剣を振る。戦場ではなにが自分を救うかわからない。少しの積み重ねが、自分の命を救うことになるかもしれないと思うと何事もおろそかにできない。

「そういえば、最近皇帝の周りに白い服を着た女がいるらしい」

「あれ、皇帝って女嫌いのはずだろ。それ本当のことなのか?」

「なんでも、密偵からの情報らしいぜ。本当かはわからないがな」

「だったらやっぱり本当か怪しいじゃねぇか。そもそもその女はなんのために皇帝の近くにいるんだ」

 そんな話が聞こえてきた。敵方のトップ、皇帝は女嫌いで有名だ。なんでも、身の回りの召使いに女がいないのはもちろん、自分の視界に女が入るのも良しとせず、そんなことがあったときには自ら切り殺すとか。后でさえも、居るには居るものの、世継ぎができた途端に地方の城に追いやったという。

 白い服の女の噂が本当だとしたら、皇帝がそばに女性がいるのを許しているのはなぜなのだろう。その女性が皇帝の女嫌いを凌ぐほどのなにかを持っている、などだろうか。しかしそんなことがあるのか? それに、もしその女性が持っている何かがこの戦局をひっくり返すようなものだったら……。

 その時、警鐘が鳴った。この陣地内に敵が入り込んだということだ。咄嗟に剣を握り直す。ぐるりとあたりを見回し、騒がしい方を向く。

 敵の規模は? なぜ今ここに? いや、そんなことを考えている暇はない。騒動の発生地へと向かう。

 走りながら額の汗を拭う。今、自分は戦場に立ったときのように鎧を装備しているわけではない。一矢受けただけで動けなくなる可能性さえある。装備を整えてから向かったほうが良かっただろうか。けれど動き出した足はもう止めることができそうにない。

「くっ……」

 数時間鍛錬をしたあとなので体が思うように動いてくれない。それでも走る。

 騒ぎのある広場近くに着き、周りのテントの影に隠れ、様子をうかがう。

 そして俺はその光景に出会ってしまった。

 たった一人の侵入者に襲いかかる騎士たちを、そして侵入者に触れもしないまま苦しみ倒れていく騎士たちを、その下にできた血溜まりを、その真ん中で嘲笑する侵入者――剣も持っていない男の姿を見てしまった。

「ハアッハっははァ! いいねいいねぇ、いいじゃねぇかぁ!

 なんだぁ、騎士様が揃いも揃って地面に這いつくばってよぉ、なんかいいことでもあったかぁ? なーぁんてな!

 このまま一人で全滅いけるんじゃね? 騎士様がこんなに弱いんだったらなぁ!」

 その男はなにか曲がった筒の様なものを振りかざして言った。

「最初はふざけんじゃねぇと思ったがこれがあればオレは死なずに……いや、それどころかこの戦争の英雄にだってなれるんじゃねっ」

 男は曲がった筒に、まるで恋人の体を見るようなじっとりとした視線を向け、次の瞬間には背後から襲いかかろうとしていた騎士にその筒を向けた。

「ドぉん……ってね」

 騎士に向けられた筒の先に一瞬、光が見えた気がした。肉が裂ける気がついたときには騎士が腹から血を吹き出して倒れていた。

「ぐぅっ……がぁぐふっ」

 腹から口からと新たな血溜まりを作る騎士。その鎧はまるで意味をなさず、無残にも空いた穴から主人の体液を流しだすだけだった。

 地面に倒れている騎士の数は十数人。おそらく見張りをしていた人たちだろう。そして増援がまだこないのは武装を整えているからなのだろう。

 目を覆いたくなるような光景をあえてじっくりと観察する。このまま増援が来たところで同じことの繰り返しだ。だから突破口を探す。

 何かおかしいところはないか。不自然な部分はないか。死体となった同胞たちを見つめる。

 皆腹や胸から血を流している。鎧はその部分だけ砕けている。背中に穴は空いておらず、体を貫通はしていないようだ。

 男は死体を物色している。何か……他にも何かないか。このままでは……。

 ふっと、凝らしていた目を閉じる。新しいものを見つけるために視界をリセットする。

 次に目を開いたときに視界に飛び込んで来たのは、足元に落ちていた誰かの腕だった。

 全く気がついてなかった。手を組み祈りを捧げる。ちらっと男の様子を見て、足元に手を伸ばす。

 その腕は籠手の部分の中頃からちぎれていた。あの光が腕に当たり、その勢いでこちらまで飛ばされてきたのだろう。そのちぎれた部分を見る。

 あることを思いつき、留具の部分を外し、断面に半ばくい込んでいだ籠手を外す。残された腕を足元に置き、男の近くにある茂みに籠手を投げた。

 ガサッと音を立てて籠手が茂みに入る。男がばっと振り向きそのあたりに筒を向ける。筒の先がまた光り、茂みの中からバリンッというような音がした。男が茂みに近づく。

 俺はひとつの確証をもって男の方へと足を踏み出した。

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