第六話 軽車熟路

 軽トラックは、探し始めてから小一時間ほどで見つけることができた。

 今度は、最初からこちらを向いていたため、軽セダンのときみたいに、呼びかける必要はなかった。車が急加速すると同時に、博は踵を返し、全力疾走し出した。

 軽トラックのフロントウインドウにはひびが入っており、その下、エンブレム付近には、大量の血がついていた。藤も撥ねられてしまったに違いなかった。

 丁字路を左に折れ、右に折れ、十字路を右に折れ、左に折れる。何も、闇雲に走っているわけではない。事前に打ち合わせたルートを、選択していた。

 曲がり角を、右に折れる。軽トラックも、その後をついてきた。

 がくん、と車のボディの前部が、落ちた。

 通路の左右にあった大穴に、タイヤがはまったのだ。もちろん、掘ったのは、博と莉々だ。彼らは、破壊された物置小屋に戻り、スコップを入手していた。

 軽トラックは後輪駆動のようで、がりがりがり、と車体の前部を地面に接触させながら、ゆっくりと前進したり、あるいはバックしたりした。しかし、穴の壁は垂直になっていて、抜け出してくる気配はなかった。

「今だ、莉々!」

「ええ!」

 そう叫んで、二人が、それぞれツルハシを持って、バスの陰から出てきた。無論これらも、物置小屋から持ってきたものだ。彼らは軽トラックの両側に回ると、タイヤに耕具を突き立て、パンクさせた。四輪とも破裂させるのに、そう時間はかからなかった。

 車はパンクさせられてからもなお、懸命にホイールを回していた。博は、それを後目に、「よし、あとはスタート地点に戻るだけだ!」と言うと、莉々を連れて、その場を離れた。

「問題は、どうすればスタート地点に戻れるか、よね」莉々が辺りをきょろきょろと見回しながら呟いた。「もう、バスを通り抜けることはできないし、屋根に上って周囲を見渡すこともできないし……物置小屋に向かった時は、かろうじて追いかけられていた頃に通ったルートの記憶があったから、それなりにスムーズに行けたけど」

「そうだが、もっと大きな問題がある」博は、はあ、と溜め息を吐いた。

「大きな問題?」

「軽セダンを、バスを動かして閉じ込めただろ。あの時、スタート地点に戻る道も塞いじまった」

「ああっ!」莉々が大声を上げた。「そうじゃない! どうすんのよ!」

「それを考えている」

「……うーん……どうにか、バスの火を消せれば一番いいんだけど……物置小屋の中に、火を消せるようなものとかなかったの? 消火器みたいな……」

「いや、消火器はなかっ……そうだ!」博は莉々のほうを振り向いた。「消火器だ!」

「えっ、なによ、あったのなかったの、どっちなのよ」

 博はそれには答えず、早歩きし出した。莉々も、それについていく。右に折れ左に折れ、十字路を直進する。右に折れたところで、行き止まりだとわかったので、引き返し、十字路を左に曲がった。彼は何かを捜して、迷路中を歩き回っているようだった。

「ねえ、どうしたのよ」

 数十分が経過し、莉々がそう訊いた直後、博が「あった!」と叫んだ。

 見ると、通路の中央に、消火器が落ちていた。

 二人して、それに駆け寄る。莉々は、「なんでこんなところに?」と呟いた。

「ほら、バスの屋根に上って迷路中を見渡した時に、車両の一番後ろの窓ガラスを、こいつで割っただろ? その後、これは地面に捨てたから、どこかに落ちているはずだと思ったんだ」

「なるほどね」

「確か、このバスの向こう側が、スタート地点だったな」博は近くの車両を眺めた。「こいつの火を消すぞ」

 彼はそう言い、前乗降口に向かった。そこから、説明書きのとおりに消火器を構え、中の薬剤を放出する。

「なんとかして、運転台の窓から脱出する。そこまでの火を消さないと」

 しかし、しばらくすると、いくらレバーを握り締めても、何も出てこなくなった。薬剤が底を尽いたのだ。乗降口の火が一部消えたが、運転台の窓までは、とても遠かった。

「クソっ!」彼は消火器を投げ捨てた。「一本じゃ足りないか……」

「……あっ、ねえ、これ見て、博!」莉々は炎から突き出ている赤い円柱状の物体を指差した。「これ、このバスの消火器じゃないかしら?!」

「ナイス、莉々!」

 博はその消火器を炎から出した。火は、燃え移ってはいなかったが、長い間炙られていたため、とても熱くなっていたので、辺りの薬剤を掬ってかけ、冷やした。

 ホースは焼けてぼろぼろになっていて、使い物にならなくなっていた。博はそれを引きちぎると、本体を持って構え、その根元の金属部分から直接、中身を放出し始めた。

 数分後、なんとか、料金箱までの途中にある炎は消せて、箱そのものの火も鎮められた。しかし、運転台やハンドルなどは、未だ激しく燃えていた。

「ちくしょうっ!」博は再び、消火器を投げ捨てた。「ここまでか……」

「何とかして、向こうまで通り抜ける方法は、ないかしら?」

「……通り抜ける……それだ!」

 博はそう叫ぶと、バスから降りた。莉々も、「ちょっ、どうしたのよ!」と叫び、後を追う。丁字路を右に折れ、十字路を直進し、丁字路を左に折れる。消火器のときと同じく、何かを捜しているようだった。

 数十分後、彼は軽トラックのところに到着した。車は相変わらず、穴から出ようとして、わずかに前進したり後退したりしていた。

「こいつだ」博は荷台に載っているパイプを指差した。「これを、料金箱から運転台の窓に、渡す。そして俺たちは、その中を通って脱出する。どうだ、名案だろ?」

「そのとおりね」

 博たちは、ツルハシを使い、パイプを固定しているロープを、ちぎっていった。すべて切り終わったところで、二人で管の両端を持つ。大きかったが、見た目や触感から、どうやらプラスチック製のようで、あまり重さはなく、なんとか担ぐことができた。

 そして、先ほどのバスのところに帰った。今度は、戻ることを想定していたため、足で線を引きながら歩いてきたので、迷わずに来ることができた。

 そのまま乗り込み、パイプの端を料金箱に載せ、もう一方の端を運転台の窓めがけて伸ばす。しばらくして、なんとか、渡すことに成功した。

「よし」博は莉々のほうを振り返った。「お前が先に行け」

「えっ、いや、あんたが先でいいわよ」

「俺のことは気にするな、レディファーストってやつだ」

「そうじゃなくて。いや、気にするのもあるけれど」莉々は頬を赤くした。「私、スカートなのよ。私が先に行ったら、その、パンツが見えちゃうでしょうが」

「そりゃ、そうかもしれないが……」

「いいから、私のことはいいから。早く先に行きなさいよ」

 博は数秒間、うう、と唸ると、「わかった、俺が先だ」といい、パイプの中に入った。そのまま四つん這いで進み、出口から飛び降りる。けっこうな高さがあり、博は顔面を激突させ、呻く羽目になった。

「じゃあ、行くわよ」莉々の声がパイプから聞こえる。

「気をつけろ」

 しばらくして、ひょこ、と莉々がパイプから顔を出した。「引っ張り出してやる」と博は言い、彼女の両手を掴んで、その体をパイプから抜き始めた。

「助かるわ、ありがとう」

 莉々の足が、パイプから離れたところで、ぐおん、と振り子のように博に向かってくる。彼はそれを、上手に受け止めた。

「ちょ、ちょっとっ」莉々は顔を赤らめた。「離しなさいよっ」

「ああ、すまんすまん」博は、ぱっ、と体を彼女から離した。「さあ、後は、スタート地点の、金網の錠前を開けて、この忌々しい巨大迷路から脱出するだけだ。あっ、そうそう、例の、オレンジ色の軽ワゴンに気をつけろよ、こっち側にいるはずだから」

 博はそう言うと、通路を進み始めた。莉々も後に続く。右に折れ右に折れ、丁字路を左に折れ、十字路を左に折れた。

 どうも、ついていたらしい。数分経つと、一度も行き止まりにぶつかることなく、また軽ワゴンに遭遇することもなく、彼らはスタート地点にまで戻ってこられた。

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