轢殺迷路脱出劇

吟野慶隆

第一話 車は海へ舟は山

 前から、白色の軽トラック、オレンジ色の軽ワゴン、赤色の軽セダン、の順で、車が並んで走っていた。車間距離は、零だ。それぞれ、玉突き事故のように、衝突している。

 三台はカーブにまっすぐに突っ込み、ガードレールを突き破り、空中へ飛び出した。道路の向こう側は、切り立った崖になっていたのだ。

 まず、軽トラックが、空中で半回転した後、ひっくり返って着地した。屋根は、ぐしゃり、と歪み、窓ガラスは、ぱりん、と割れ、荷台に積んでいた、内径が直径一メートル、長さが一メートル五十センチほどのプラスチック製パイプは、ばきん、と砕けた。

 次に、四分の一回転した軽ワゴンが、そのすぐ後ろに着地した。地面に垂直に衝突し、車体前部は、蛇腹のようにぐちゃぐちゃになった。

 最後に、軽セダンが、二台の上に跨るようにして着地した。縦や逆さまにはならなかったものの、車体中央で真っ二つに折れ、逆Lの字になった。下敷きになった二台は、押し潰され、よりいっそう平たくなった。

 一瞬後、軽トラックが、轟音とともに爆発し、炎上した。その後、それに触発されたかのように、軽ワゴン、軽セダンの順で、次々に爆発し、燃え上がっていった。


 目が覚めると、そこは逆さまになった路線バスの中だった。

 大量の吊り革を通した鉄棒や、広告などは足下にあり、さまざまな色や形をした座席は頭上に貼りついている。前扉は、開きっ放しになっていた。帝葉(ていは)博(ひろし)は、そんな異様な車内の一番後ろで、天井に、仰向けに寝転んでいた。

 立ち上がり、周囲を見回す。窓の外は真っ暗で、ここから少し離れたところに、真っ黄色の路線バスが大量に停められているのが目に入った。この、ひっくり返った車両と同じく、毎日、高校への行き帰りに利用している種類のものだ。どれもみな、明かりとヘッドライトが点いている。

 博のいる路線バスの中には、他にも四人の人間がいた。服装から、同じ高校に通う生徒だとわかる。第一に、黒髪で肩までのツインテールの女子が、博の右斜め前、一メートル弱離れたところに、体の左側面を下にして丸まるように転がっていた。第二に、坊主頭の男子が、車両のちょうど中央部に、仰向けに大の字になって倒れていた。第三に、茶髪で腰までのロングヘアの女子が、男子の近く、車内広告の上に、体をまっすぐに伸ばして俯せに寝そべっていた。第四に、金髪でショートカットの女子が、運転席とそのすぐ後ろの席との間にある仕切りに背中を預けるようにして、座り込んでいた。

 男子と、女子のうち二人は、面識がなかったり体の背面では誰かわからなかったりしたが、女子のうち一人のことは、知っていた。クラスメイトで、幼稚園時代からの幼馴染である、有布(ありぬの)莉々(りり)だ。博の右斜め前にいるのが、彼女だった。

 実は現在、博は、彼女と喧嘩をしている最中だった。莉々は昔から、やれ「そんな不味そうで、体に悪そうなコンビニ弁当、よく食べられるわね。情けないから、私の手作り弁当のおかずをわけてあげるわ、感謝しなさい」だの、「次の土曜日、あんたのことだから、どうせやることなんてないんでしょ。私の買い物に付き合いなさいな、荷物持ちとして」だの、何かにつけてきつい物言いをしてくる質だった。昔からそうだったので、すっかり慣れてしまっていた博は、特に腹を立てることもなく、「はいはい」と軽くいなしていた。

 しかし、つい先日、教室で、「来週のクリスマスとそのイブの日、私の家に来なさいな、泊まりがけで。どちらの日も、両親が旅行に出かけていていないから、家事をする人が必要なのよ。まあ、タダ働きは可愛そうだから、お駄賃代わりに簡単なパーティなんかを開いてあげるわよ。喜びなさい」と言われた時には、さすがに堪忍袋の緒が切れ、それまでに溜めていた鬱憤が爆発し、「知るか! 一人でパーティしていろよ! お前とは絶交だ!」と人目も憚らずに叫んだ。それから今まで、ずっと、口もきかないような喧嘩状態が続いている。

「……どこだ、ここは?」

 路線バスの中、ということはわかる。しかし、なぜ、そんなところにいるのか。そして、なぜ、バスはひっくり返っているのか。さらには、なぜ、自分は高校の制服を着ているのか。

「……駄目だ、思い出せねえ……記憶は、十二月十七日の夜、パジャマ姿で布団に入ってしばらくしたところで途切れている……そうだ、今は、何月何日なんだ?」

 博は、自分の体中を弄った。スマートホンやハンカチ、ティッシュ、生徒手帳、財布、定期入れなど、いつも自分が通学する時に所持しているものが見つかった。定期入れの収められていた、ワイシャツの胸ポケットは、相変わらずぼろぼろで、今にもちぎれそうだ。携帯電話のスリープ状態を、解除する。

 すると、真っ黒な画面の中央に、「2:57:58」という文字列が現れた。最も右に位置する数が、一秒ごとに減っている。何かのタイマーになっているのだろうか。その後、スマートホンをいろいろと弄ったが、それ以外の表示にすることはできなかった。

「くそっ、わけがわからねえ……とりあえず、皆を起こして回ろうか」

 博はそう決めると、車内を歩き回り、寝転がっている生徒たちの目を覚まさせて回った。最初に、男子、次に、車内広告の上の女子、三番目に、仕切りに凭れている女子、最後に、莉々を起こす。幸いなことに全員、体を複数回、強めに揺するだけで起きてくれた。

 その後の皆の行動は、だいたいが共通していた。上半身を起こし、あるいは立ち上がり、きょろきょろと周囲を見回しながら、「どこですの、ここは?」だの、「なんで僕は、こんなところにいるんだい?」だの、先ほど博が心の中で呟いたことと同じことを口にする。莉々は、博の存在に気づき、ぎょっ、としたようだった。

 しばらくしてから、「あのう」と、金髪が、全員に対して呼びかけるようにして言った。「誰か、この状況について、説明できる人はいるっすか?」

 皆の視線が、彼女に集中する。しかし、誰もそれに答えなかった。どうやら、説明できる人はいないらしい。

「あれっ。何よこれ」

 そう言ったのは、莉々だった。見ると、右手にガラケーを持っている。

「どうしたんだ?」思わず、博は訊いた。それから、しまった、というような表情になる。

 莉々は、むっ、としたのを隠そうともしなかった。やがて、溜め息を吐くと、「これ見てよ。なんだか、タイマーみたいなものが出てきたんだけれど」と言い、ガラケーの画面を見せてきた。「2:54:31」と表示されていた。

 博は自分のスマートホンを確認した。そこに描画されている残り時間は、彼女のものと同じだった。

「わたくしのにも、表示されておりますわ」

「僕のにもだ」

「自分のにもっす」

 他の三人も、口々にそう言った。

「いったい、何の残り時間でしょう?」

「さあ……何だろうね」

 零になったら、死ぬ、とかかもしれない。博はふと、そう思ったが、口には出さないでおいた。

「ホント、どういうことっすかねえ、この状況」

 金髪はそう呟くと、自分の服中のポケットを弄り、入っているものを次々に出していった。ポケットティッシュ、ハンカチ、生徒手帳、財布、定期入れ。最後に彼女はライターを取り、何気なく、といった感じで火を点けた。

 その、ゆらめく炎を見た瞬間、博は、何かを思い出しそうな感じがした。しかし、文字どおり喉まで出かかっているのに、思い出せない。それは金髪も同じなのか、火をじっ、と見つめていた。

 しばらくして、彼女はライターの火を消した。同時に、思い出しそうな感じ、も失せる。

 金髪は、博が、じっ、と見つめていることに気づき、こちらを向くと、「誤解しないでほしいっす。婆ちゃんが喫煙者で、ライター買ってきてくれ、って言われていたんすよ、前から。でも、なんで今ポケットに入っているのかは、知らないっすけど」と言った。

「とりあえず、外に出てみないかしら?」そう言ったのは、莉々だった。「そうしたら、何かわかるかもしれないわよ。ずっとここにいても、事態は好転しないだろうし」

「それもそうだな。出てみよう」同意するのは正直言って癪だったが、彼女が提案したことは至極もっともなことだった。前乗降口に向かおうとする。

「ああっ、お待ちになってくださいませ」茶髪が博をそう呼びとめた。「その前に、自己紹介をいたしませんか?」

「自己紹介か……それもそうだね」坊主頭が腕を組んで言った。「このままじゃ、お互い、なんて呼べばいいのかわからない」

「では、言い出しっぺのわたくしから。笑月(えみづき)巴里華(はりか)と申します」巴里華は、眼鏡をかけており、黒タイツを穿いていた。

「じゃあ次に、言い出しっぺ二番手の、僕から。風呂井(ふろい)由弘(よしひろ)って言うんだ」坊主頭はそう言うと、爽やかな笑みを浮かべた。口元にはマスクを着けている。

「自分は、那須高(なすたか)藤(ふじ)っす」金髪がそう言った。彼女は、耳にピアスを着けており、ニーハイソックスを穿いていた。

「私は、有布莉々よ」

「俺は、帝葉博だ」

「……では、自己紹介も終わったことですし、さっそく、外に出てみましょうか」

 巴里華のその呼びかけに、他の四人は、「ああ」「そうだね」「わかったっす」「そのとおりね」と、思い思いの言葉で同意を表した。博、藤、巴里華、莉々、由弘の順で前乗降口に向かい、そこから外に出る。

 目の前には、路線バスが四台、おかしな形で停められていた。まず、彼らが乗っていた車両の前後、二メートルほど離れたところに、左側面を手前に向けた状態で、あった。それぞれの中扉が、彼らが乗っていた車両の正面・背面の先に位置している。

 次に、博たちのいたバスの左側、四メートルほど離れたところに、二台、直列に停められていた。博たちのいたバスに対し、平行になっている。博たちのいたバスの正面・背面にある車両とは隙間なく接触しているが、前、または後ろの車両とは、お互い二メートルほど離れている。

 その隙間からは、彼らが乗っていた車両に対し垂直に停められたバスが壁の役目を果たし、通路のようなものができていた。突き当たりにもまた、バスが、彼らが乗っていた車両に対し平行に駐車されているようで、中扉の左半分が見えている。

 地面は柔らかい土で、足を使うと簡単に穴を掘ることができた。空は真っ暗で、月どころか、星の一つも出ていない。季節はやはり冬のままなのか、空気はひんやりとしていて、寒かった。

 博は、自分たちの乗っていた車両の右側に回ってみた。そこには、バスから四メートルほど離れたところに、金網が立てられていた。高さは約五メートルで、うち上部五十センチは鉄条網になっている。

 隙間からは、ブロックに覆われた山の斜面と、斜面と金網との間を通る車道・歩道が見えていた。ポールと、ベンチ一台が置かれているだけの、簡素なバス停もあった。ガードレールのすぐ横は、崖になっている。

 出入り口がその仕切りには取り付けられていたが、鎖と錠前によりロックされていた。金網と、自分たちのいたバスに垂直な車両は、隙間なくくっついている。

「あっ」博は大きな声を出した。「ここ、あそこだ」

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