希望知らずの吟遊詩人
零真似
深夜0時のルボワール
『その歌は、必ず最後に儚さを残す』
──
────背負った剥き身のアコースティックギターは往年よりの友人。弦が切れれば自ら張り直し。ほこりを被れば吹き飛ばし。そうやって、男は今日まで小さな旅を繰り返してきた。
目的も当て処もなく、気の向くままに足を進め、思い立つままに音楽を奏でる。ぶらり立ち寄ったパン屋で買ったデニッシュも、街で見かけた仲睦まじきカップルも、路地裏を駆けていく猫でさえ。彼はなんでも歌にする。
独特の静かで優しいメロディーに言葉を乗せて、囁くように。呟くように。唄う。どちらが先でもなく、極自然的に旋律が感性を運ぶのだ。そう。男は少しばかり名の知れた歌唄いだった。
──だった。それは過去に限定した言葉ではなく、男は今も、そしてきっと未来もずっと歌唄いであるだろう。ただ────そこには一貫して希望がなかった。
いや、あったのもある。が、それさえも結末は一辺倒。必ず憂いと悲しみを最後に残して詩は終わりを迎える。
歌わないのではない。歌えないのだ。
パン屋はその日を最後に店を閉め、カップルはやがて互いを憎み合い、乱暴な飼い主から逃げた猫は餓えて死ぬ。
咄嗟に思いついたままを口にしたそれらの詞は感性に依存し、男の秘めた荒んでいる心を露にする。それが彼は堪らなく嫌いで──どうしようもなく好きだった。
誰が呼んだが始まりか。ついたあだ名は『希望知らずの
──そんな歌唄いが今日も、なにかに導かれるように真夜中の大橋を歩いていた。
自分を包む風景などは、無論格好の題材。男は担いでいたギターを両手に持ち、世界に零れたメロディーと共に歌い出す。
「遠く視線を泳がせば──」
上には満天の星空と
前には眠った街が僕を待ち
未だ少しばかり
灯る明かりは蜃気楼
見下ろしたそこは闇に染まった湖
明滅する蛍光灯が死を誘い────
「……今宵身を投げる少女が一人」
そこで、旋律は止んだ。
歩きながら見えた先。浮かんだ三日月を眺めながら橋の欄干に立ち、後ろで結んだ髪を夜風に揺らす少女が一人。どこぞの貴族の生まれかと思わせるその美しい顔立ちとは裏腹に、着ている服は闇に溶けども目立って汚れていた。
少女は耳を澄ませていたが、一頻り歌が止んだ折、細い土台で片足軸にくるりと半回転。男を見て儚く笑った。
「こんばんは、希望知らずの吟遊詩人さん」
「なんとも馬鹿にされているような呼び名だ。尤も、まさしくその通りなんだけど」
対話し、男は少女の傍まで寄って問いかける。
「生きるのを、やめるのかい?」
「ええ。紆余曲折ありまして」
「そうかい。いや、いいさ。踏み込んだことは訊かないよ」
なんとなく一回弦を爪弾いて、男はまた歩いていく。そうして三歩進んで擦れ違い様、少女の一言が彼を止めた。
「あの……吟遊詩人さん。私のために、最後に一曲いただけませんか?」
「僕の? 構わないが……いいのかい? 最期に聴くのが、こんな夢を忘れた歌い手の唄で」
「はい。ぜひお願いします」
そう言うと、少女は欄干に腰を下ろして足を湖に投げ出した。暫しの静寂が世界を包む。深夜、ここは喧噪とも雑念とも無縁の場所。時折微かに水の揺れる音が聞こえるかどうかの、大きいだけで寂しい橋。
そんな万物から隔離されたかのような二人だけの空間で、やがて男はそっと息を吸い、ゆっくりと演奏を始めた。優しいメロディーを先行させ、そして────詩が流れてくる。
「興味もない人が言うんだ──」
『生きろ』だとかさ
『頑張れよ』だとかさ
うんざりなんだよ
疲れるんだよ
諦めさせてよ
それが答えでもいいだろう
なあいいだろう
深夜0時の橋の上で
始まりを示す“1”が来る前に
私はこの忙しい街で
今日最初のゴールを決めてやる
結局やっぱりこの世界は────
「私を置き去りにするのだろう」
儚い旋律が余韻を残し────演奏が終わった。
再び訪れた無音の時。しかしそれも、静聴していた少女が立ち上がることで終わりを告げた。
「……ありがとうございました」
────浮かせた足をもう一度大地に戻したのは、乱暴に鳴らされたギターの音色だった。
「……だけど」
訝しさと驚きで少女が音源へ視線を向けると、そこには先刻までとは一変して、アコースティックギターで出せる限り激しい音を爪弾き、これでもかと声を張って喉を涸らし唄う男がいた。
「だけどそんなの本当は嫌だ」
「吟遊……詩人さん……?」
「だから私は死にたくない──」
『生きろ』だとかさ
『頑張れよ』だとかさ
笑わせんなよ
馬鹿にすんなよ
ふざけてるよ
だって生きてるじゃないか
頑張ってるじゃないか
そう答えてもいいだろう
それが答えでいいだろう
なあいいだろう
深夜0時の橋の上で
始まりを示す“1”が来て
この慌ただしい街の片隅で
『今日も死ねなかった』と呟いて
結局やっぱり明日も明後日も────
「私は生きていくだろう」
大切に手入れしている弦が切れそうなくらい、掻いて、鳴らして、"奏(かな)ぐって"、
「それが答えでいいだろう!」
荒々しい弾きに限界を迎えた一本がその役目を果たせなくなると同時、今度こそ本当に、男の演奏は終わった。
────初めて、人のために唄った歌だった。初めて、人のために願った曲だった。
今までのような、己の持つ無常感を反映した自己満足では断じてない。なぜならそこには──希望があったから。
底抜けではない。だが小さく微かでも、確かに輝く光があった。蔓延る闇ではなく、男はそこに無理矢理見出だした一片の光を結末にしたのだ。
これまでとはどこか違う静寂。沈黙。今回、それを先に破ったのは男の方だった。
「……希望知らずの吟遊詩人、か」
苦笑し、熱くなった身体のまま踵を返す。
「あの……吟遊詩人さん……」
「確かに僕は希望を知らない。でも────だから歌いたいんだ」
──男は少しだけ、本当の自分を見つけることができた。少女はその背に視線を放り、いったい何を思うのか。
深夜0時のルボワール。言の葉が意味するは別れと再開。
男はこれからも歌唄いであるだろう。その調べが運ぶは儚い希望。拙い優しさ。憂いと悲しみに満ち満ちて。
それでも唄う。心の声を。それでも鳴らす。秘めた叫びを。
ほら耳を澄ませば、どこからともなく聴こえてくる。
深夜0時のルボワール。嫌いな世界を慈しんで────そしてきっといつの日か。
笑顔で必ず『また会いましょう』
希望知らずの吟遊詩人 零真似 @romanizero
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