さよなら駅

路花

さよなら駅


駅のホームに立っていた。

古くて誰もいない、静かな駅だった。


 男が駅の名前を見ようとするが、雨風に晒されえてしまったのか、駅名を綴っていた文字は流され、残骸から読み取る事は不可能だった。

 ココは何処なのだろうか。自分のいる場所が分からないと不安になる。ネットで確認してみようにも、スマートフォンは圏外を表示している。いよいよ恐ろしくなっていると、カンカンカンと踏切の音が聞こえてきた。ああ、良かった。運転士に聞こう。男は安心して列車が来るのを待った。


 停まったのは色褪せた赤い列車。中に乗り込み、運転席を目指して前へ前へと進む。しかし、一両越え、二両目を越え、三、四、五、と、車両を過ぎても運転席には辿り着かない。男のこめかみに冷たい汗が流れた。


「こんにちは」

驚いて声のした方を見ると、セーラー服を着た女の子が一人、ボックス席に座っていた。

「良かった。誰もいなくて怖くなっていたところなんです」

そう言われてみると、乗車してからここに来るまで一人も見ていなかった。

「あなたは何処で降りるんですか?」

「分からない。乗った時の駅の名前が分からなかったから、運転士に聞いて、それから降りる駅を決めようと思ったんだが、なかなか運転席に辿り着けなくてね。この列車は何両あるのだろう?」

「私、あなたが来た反対方向からここまで来たんですけど、六両は越えてたと思います」

男は黙ってしまった。

「次、停まったら一緒に降りませんか?それでタクシー拾いましょう」

「そうだね」

「それまで座って待ちましょ。ほら、座って」

 余程心細かったのだろう。向かいの席を軽く叩いて、男に座るよう催促した。恥ずかしながら、男も一人でいるのは心細かったので、彼女の好意に甘える事にした。


「その制服はあの高校かい?」

 男が住む辺りでセーラーが女子の制服になっている高校の名前を上げると、彼女は笑顔で「はい」と頷いた。長袖を捲り、長い髪を後ろで一つに結び、クリクリとした目の爽やかで可愛らしい女の子だ。

「学校の帰りかい?」

「・・・・」

「サボったのかい?」

彼女はバツが悪そうに頷いた。

「・・・どうしてか、聞いてもいいかい?」

制服の袖のボタンを外したり付けたりしながら、彼女は答えた。

「付き合ってた人が、学校に来なくなったんです。メールしても返事が来ないから、その人の家に行ってきたんです」

「そうなんだ。彼には会えた?」

彼女は視線を袖から男に向け、また袖に戻すと、「会えなかった」と答えた。

「私の事、嫌いになっちゃったのかなあ」

「嫌いになるような事したの?」

「分かんない。でも、私が子供だったのがダメだったのかも」

「ワッハッハッハ!」

男が急に笑い出したので、彼女は驚いて男を見つめた。

「高校生なんだから子供なのは当然だろ?」

「でも、彼は私なんかよりずっと大人で・・」

「いいかい?表面上はいくら装えていても、男ってのはいくつになってもガキなんだ。今はそうでも、すぐに君の方が大人になるさ」

「本当?」

もちろん。と大きく頷くと、彼女は少し笑顔になった。

「あなたもガキなの?」

「もちろん!」

「フフ。先生なのに変なの」

「え?どうして先生だって分かったんだ?」

彼女は男のスーツの袖を指さした。

「袖にチョークの粉が付いてる。私の学校の先生もそこに粉付けている姿をよく見るから」

なるほど。教師を始めたころは気になって度々はたいていたが、最近では慣れたのと忙しさで気にならなくなっていた。

「名推理だな」

男が微笑むと彼女も笑顔になった。


「先生は何処の学校の先生なんですか?」

「俺は・・・」

そう言って言葉にしたのは、今しがた当てた彼女の通う高校だった。

「・・・あれ?」

どうして、あの時気が付かなかったのだろう。それより、どうして忘れていたのだろう。自分が先生なのも、何処の高校の先生なのかも、彼女に言われて思い出した。

 それ以外の事は、何も思い出せない。

 彼女は可愛らしい瞳をじっとこちらに向けて、更に質問を重ねた。

「先生、今日は学校行きましたか?」

「・・・・行ってない」

「先生、今日は何をしていたんですか?」

「・・・今日・・は」

「せんせい」

 彼女の目から涙が流れた。「あっ」と思った時には、大粒の涙になっていて、それでも彼女は男を見つめて尋ね続けた。

「何処に行っちゃうんですか?」

 

そうして男は思い出した。自分は何処に行くのか。何故行くのか。

「あの世に行くんだ」


男が答えると、静かに走り続けていた列車から、アナウンスが聞こえた。

『ご利用くださいましてありがとうございます。次は、終点です』

「死んだんだ、俺」

 男の言葉を聞くと、彼女は声を上げて泣いた。男は自然と彼女の頬に手を添えて、涙を拭う。彼女はその手に触れると、強く、肌の温もりを確かめるように、自分の頬に押し当てた。

「行かないで。・・一緒に帰ろう」

「それは出来ない。君はちゃんと家に帰って、明日になったら学校に行って、友達と話して、お腹いっぱい食べて、六時間は睡眠を取らなくちゃいけない。俺は死んじゃったけど、君は生きてるから」

男は彼女の隣に座った。

「なんで死んじゃったんですか」

「ごめん」

本当にごめんな。

「・・・先生。私のこと好き?」

「ああ」

「遊びじゃなかった?」

「遊びなもんか」

「ぎゅってして」

 華奢な彼女を力強く抱きしめる。唇に優しいキスをした。彼女は仕方ないなあと手を腰に掛けた。

「許してあげる」


 男がホームに降り、彼女だけが車内に残った。二人はまだ固く手を繋いでいる。

「先生。最後にいい?」

「いいよ」

「とびっきりの優しい声で、私の名前を呼んで」

 これから先、沢山呼べるはずだった愛しい人の名前。

神様、この子を幸せにしてやってください。男は繋いでない方の手で彼女を抱きしめた。

「ずっと愛してるよ。ミユ」


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さよなら駅 路花 @wakatukkey05

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