最終話 オレ、毎日異世界になっちまうんだけど……それでもいいのか?
トマトがつぶれただけだった。
なんか長ったらしく話を引っ張るのは趣味じゃないので、かなりあっさり答えを言うが、トマトがつぶれただけだった。
オレを見かけて笑顔で走り寄ってきた本目さんは、足を滑らせて追突。
こないだのお詫びにと、作ってくれるつもりだったらしいハヤシライスの材料であるトマトが、その衝撃でつぶれた。
そりゃあ、夏場のトマトだ、冷たいだろう。
ついでに肉まんもつぶれたの熱かった。熱々肉まんだった。
そしてすっころんで階段を踏み外した俺だが、6段ぐらいしかなかったので、ちょっと手足をすりむく程度で済んだ。
もっとも、疲労困憊だったため一時的に気絶してしまい、本目さんに自宅まで送ってもらう体たらくだったわけだが……
……ああ、そういえば気絶してる間に異世界になったが、あっちの被害はすごかった。一瞬刺されて死ぬかと思ったんだから、そりゃあ被害もデカいだろう。
まあ、それはどうでもいい。
さて、なんとか家に帰りつき、服を着替えたオレ。
オレを三つ指ついて待ち構えていたニート。
そして本目さんは、一堂に会することになった。
本目さんは明らかにニートを不審な目つきで見ているし、ニートは冷や汗を垂らしながらそっぽを向き、ひゅーひゅーと不思議な呼吸を繰り返している。
オレはため息をつくと、これまでの事情を彼女へ説明することにした。
きっと信じてもらえないだろうけれど、正直に。
オレが、毎日異世界になってしまうこともを含めて……。
「なるほど、よくわかりました、中二病ですね」
すべてを聞き終え、ぽんと手を打った本目さんは、そんなことをいった。
オレは、間違いを訂正する。
「違う。どちらかというと高二病だ」
「違いがわからないわ……」
中二病は中学二年生にありがちな痛い行動……突然敵が襲ってきたらどうするとか、むやみに必殺技を考えてみたりするやつだ。
対して高二病はそのアンチ。痛い行動を否定し、それによって悦に入る、より高度で痛々しい病だ。
もっとも、わかるほうがおかしいという話ではあるが。
「そんなことより、本当に? 本当にこの……えっと」
「あたしはニートです! カミサマをお鎮めする生け贄なのです!」
「……そうなの?」
間違ってはいない。
非常にややこしいが、こいつはオレの一部なので、ユングとかフロイト的にはなんかオレの左手の具現とか、たぶんそんなことになるのだろう。
絶対に言わないが。
「オレは眠ると異世界になる。オレもなにを言っているかわからないが、異世界になる。そしてその異世界に暮らしている住民の一人が、これだ」
「これではありません、ニート・ナードです。あたしの一族はエンガーデンで、もっとも高貴な一族の末裔で──」
「話が長くなるからカットするが、つまり、このバカとは一切肉体的関係はない。オレは、無実だ」
あるとすれば、精神的つながりぐらいのものだろう。妄想的つながりでもいいが。
今回のことで、オレの肉体が受けるダメージそのものより、精神が受ける衝撃のほうが、エンガーデンに色濃く反映されることは、これ以上なくわかったのだし……
「本当なの?」
首をかしげる元彼女に、オレは力強くうなずいて見せた。
彼女はしばらく押し黙ったが(その間ずっとニートは喋っていたが)ややあって、顔を上げた。
そして、
「わたし、あなたを信じることにするわ」
そう、言ってくれた。
「異世界とか、よくわからないんだけど……」
「あ、わからないんだ」
「わからないけど、あなたはあのクソ会社でも、課長にどれだけパワハラを受けても、うそをつくような人じゃなかったし」
「オレもあの会社クソだと思うし、あの課長大嫌いだけど、大っぴらに言うのはどうかと思うぞ?」
「そーゆー関係になりたいってことなの!」
急に大声を出す本目さん。
え、いや……普通に戸惑うんだが……?
真意を推し量るべく見つめていると、彼女は徐々に顔を紅潮させ、さらには目を潤ませはじめる。
そうして、なにかもじもじとしていたかと思うと、急に顔を上げ、またうつむいてみせた。
そんな奇行を、彼女は何度か繰り返し──この間、ニートはまだ喋っていた──やがて、覚悟を決めたようにこちらを見た。
そうして、こう言ったのだ。
「わたし、あなたが好きなの!」
「……あ? あー……うれしいよ。うん、オレも好きだ」
「反応が薄い!?」
そんなことはない。
戸惑っているだけだ。
「その……わたし、今年で29になるのだけど」
「知ってる」
「同期はみんな結婚してて、私だけフリーで」
「オレもそうだ」
「結婚適齢期とか、悪しき風習だと思うのだけど、やっぱり焦りはあるわけで。それに、人を好きになるって初めてで、すごく楽しくて、この前も脚立から落ちそうになったところを助けてもらって、胸がきゅんってして、ああこのひと白馬の王子様なのかなって……」
……えっと、結局なにを言いたいんだ、本目さんは?
「だから!」
彼女は、叫んだ。
真っ赤な顔で。
プルプル羞恥に震えながら。
それでも意を決して。
「わたし、あなたと結婚を前提にお付き合いしたいのよ!」
「……は?」
え?
なに、それは、えっと……つまり?
「オレと、結婚してくれるってこと……ですか?」
思わず敬語になってしまうという、最高に頭が悪いオレの問いかけに。
彼女は無言で、こくんと頷いた。
頷いて、くれた。
「……オレ、高二病だぞ?」
「知ってる。覚えた」
「オレ、ブラック企業の一社員だぞ?」
「わたしもよ」
「オレは」
それに、オレは。
「オレ、毎日異世界になっちまうんだが?」
「それでもいいって言ってるの!」
「ッ」
……ああ、なんだこの。
ちくしょう。
なんだよ、くそったれめ。
ああ、もう……ああ、オーマイ、カミサマ……
「わたしのこと、お嫁さんにしてくれる……?」
不安げな表情でオレに訊ねる本目さん。
その姿は、すごく可憐で、すごく、いじらしいもので。
だから。
「……あのな。そんなお願いされて、断る男なんていないんだよ」
「じゃあ」
「その……オレのほうこそ、宜しくな、本目さ──」
「祈……でいいわ」
「────」
唇に押し付けられる柔らかな感触。
オレの答えをふさぐ、甘やかな接触。
昨今はこういう、チープなシーンは嫌われるらしいが。
だが残念、オレは高二病だ。
世間が厭うものこそを、オレは肯定する。
「っ──」
彼女が離れる。
チラっと視線を向けると、ニートの顔は真っ赤だった。
オレの視線に気が付くと、彼女は慌てて両手で顔を覆いそっぽを向いた。
それでも好奇心を押さえられなかったのか、指の隙間からのぞいてくる。
おこちゃまには、早かったのかもしれない。
いや、いいさ。見せつけてやろう。
オレはもう一度本目さんを──いや、祈を抱き寄せて。
今度はオレのほうから、口づけして、こう告白した。
「末永く──幸せにするよ」
§§
あの日、ほとんど根こそぎ文明が消滅した異世界、エンガーデン。
だが、そこにはいま、多くの緑と、生き物と、ひとの営みがあふれている。
エンガーデンは、オレの体調と精神状態の反映だ。
これ以上多くを語るのは趣味ではないし、ついでに言えば悪趣味な曝露になるので語らないが、男と女がいればそうもなるだろうといっておく。
なんかいろいろ、本当にいろいろあったのだけど、これでオレの話は終わりにする。到底語りつくせるものでもないし。
ただ……そうだな、これだけは付け加えておこう。
エルフザーンは、ある少女の名を世々に語り継ぐだろう。
カミサマを鎮め、世界を救った乙女の名を。
ニード・ナードの名を。
オレは毎日異世界になっちまう。
これからも、この世界を見つめていく。
彼女ら二人と、いつまでも。
いつまでも──
きっと、世界が平和になるまで。
……そうそう。
結局ニートは、帰れずじまいだった。
オレ、毎日異世界になっちまうんだが……? 終わり
オレ、毎日異世界になっちまうんだけど……? 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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