戸の外に誰か

天野秀作

第1話  戸の外に誰かおる

  ――これはある知り合いの店で働いていた人の話なんやけどな……

 その男は静かに語り出した。

 

 焚き火の炎が時折パチっ、パチっとオレンジの光を暗闇の中に放っている。

 僕たちはその炎をじっと見つめながら男の話に耳を傾けた。

 足元に置かれた蚊取り線香の煙が、ゆらゆらと夏の匂いを辺りに漂わせていた。

 

 それは子供会のサマーキャンプでの出来事だった。

 暑かった一日も終わり、子供たちが皆寝静まった頃のこと。

 僕たちキャンプのボランティアメンバーは焚き火を囲んで今日一日の反省会も兼ねた雑談会をしていた。

 話題が途切れた時、年老いたリーダーが、折角の夏の夜だからと、とっておきの怪談話を披露してくれた。

 その話を書いてみたいと思う。

 

 空を見上げても月は出ていない。星さえ見えない。焚き火がなければおそらく手元すら見えない夜だ。

 辺りはうっそうとした杉林の中、まるで漆黒の闇が墨汁のように木々の間からこちら洩れ出して来そうな錯覚に囚われる。

 その男の低く透る声と、時折弾ける薪の音だけがやけに印象的に耳に残っている。


 ――その知り合いの、仮にAさんとしょうか。

 Aさんの店は東成区の鶴橋で水産加工やってるんやけどな、年末の忙しい時期に従業員が一人、怪我で長いこと休まなあかんようになったんや。

 それで急遽、Aさんはお得意さんとこの大学生の息子さん、まあ仮にB君としょうか、B君をアルバイトで来てもらうことにしたんや。

 学校は冬休みでヒマしとる言うことでな。


 B君は羽曳野市でお母さんと二人で住んでたんや。

 ある晩、次の朝までの出荷で不足があって、どうしても人手が足りん、ちゅうことでAさんはB君を電話で呼び出したんや。

 夜中に申し訳ないけどどうしても手が足りへんから手伝ってもらえんか、言うてな。夜中1時のことやったらしい。

 B君は羽曳野から単車で鶴橋まで通勤してたんやけど、その夜も二つ返事ですぐ行きます言うて家を出たんや。

 

 それは、羽曳野から向かう途中のことやった。

 外環状線に沢田って言う大きな交差点があるんやけどな、そこを通り過ぎたときに、突然、道路の真ん中で転倒したんや。別にスリップしたわけでも何か踏んだわけでもない。もちろん車にぶつかったわけでもない。単独事故やったらしい。


 ここから後はB君本人とB君のお母さんから聞いたことや。

 ヘルメットは被ってたさかい大事には至らんかったけどな、こけた時に頭を打って一時的に記憶を飛ばしてしもたらしい。

 それで乗って来た単車もそこで放り出したまま、まるで何かに引かれるように、ふらふらっと灯りを求めて近くのコンビニに向かったんや。

 今みたいに携帯みたいなもんはあらへん時代やったさかいな。

 公衆電話が唯一の通信手段やったんやな。

 それでとにかく電話せなあかんと思ったらしいねんけど、ふと考えたら、自分がどこの誰かわからへん。どこへ電話するのんか、挙句の果てはなんでここにおるのかさえもわからへん。

 それでもとにかく電話せな! そればっかり考えてたらしいねん。

 わけわからんまま、こけてパニックになったんやろ。

 それでな、店に入って、店員に向かってこう言うたんや。


――すみません、僕、誰ですか? ここで何やってるんですか?

――すみません、僕、誰ですか? ここで何やってるんですか?

――すみません、僕、誰ですか? ここで何やってるんですか?


 いきなりやろ? 

 それであんまりマジで大声で何回も言うもんやから、コンビニ店員もそらビビるわなあ。

 この年の瀬にわけのわからん酔っ払いか頭のイカレタ奴が来よった思て即、警察に電話したらしいねん。

 コンビニからの110番通報やろ? しかも歳末警戒中やろ? 

 すぐに巡回中のパトカーが来てな、あーもすーもない、B君をそのまま八尾警察に連れて行ったんや。

 それで警察の人がいろいろ聞くうちに、単車で事故してコンビニまで歩いて来た言うことがやっとわかったんや。

 そらえらいこっちゃ言うことになってな、すぐさま八尾の救急病院までB君を連れて行ったんやと。

 所持品に免許証があったことが救いやった。

 本人気が動転しててそんなこともわかれへんかったらしいんや。

 まあ検査の結果、記憶を一時的に失った以外はたいして怪我もなくて、すぐ家に連絡して慌ててお母さんがタクシー飛ばして迎えに来たんや。

 B君待ってたAさんには気の毒やったけど仕方ないわな。

 それから、B君は家に帰って、しばらくうちで寝てたらしいねん。



 次の日のことや。

 寝てたB君が突然がばっと起きてお母さんに言うたんや。


 ――窓の外に誰かおる。窓、開けてくれ! 窓、開けてくれ!


 お母さんは驚いて窓を開けたけど、そんなもん誰もおらへん。

 妙なこと言うのは頭打った後遺症かいなと思って心配したらしい。

「あんた、大丈夫かいな、誰もいてへんよ」

 そう言うて暫く息子の傍についてたらしいねん。

 そしたらB君また大きな声で今度はこう言うたんや。


――戸の外に誰かおる。戸、開けてくれ! 戸、開けてくれ!


 お母さんはびっくりして玄関の戸を開けてみるけど、やっぱり誰もおらへん。

「あんた、誰もおれへんでぇ。やっぱり病院行ってもう一回ちゃんと診てもろた方が……」

 そう言うた時やった。

 突然B君が、起き上がって玄関からえらい勢いで飛び出して行ったんや。

 びっくりしたのはお母さんや。

「ちょっと待って、あんた、どこ行くんや!」

 そう言うてお母さんが後を追いかけるけど、そんなもん若い男の子の足に追いつけるわけないわ。

 それでカブに乗ってた近所の人つかまえてな、走って行く息子を指差しながら、「お願いです。うちの子止めてください。」と頼まはったんや。

 その人が、「よっしゃわかった」言うてカブで追いかけ始めたんやけど、これがなかなか追いつかへん。

 ほんまに人間の足かいなと思うほど速かったんや。

 それから、B君はどんどん山の方へ走って行ったんやけど、1キロ以上追いかけてやっと一軒のお寺の前で追いついたらしいねん。

 B君は、お寺の門をくぐって裏手の墓地の方へ向かったんや。

 そこでカブのおっちゃんが、やっとB君の手を掴んで、大声で「B君、どこ行くんや! お母ちゃん心配してるやないか!」って言うた時に、ふと周りを見たら、大勢の喪服来た人が集まってたんや。

 いきなり駆け込んで来たB君とカブのおっちゃん見てびっくりしたのはその喪服の人らや。

 「あの、おたくら何ですのん? 騒々しい」

 何事かいな思て一人の喪服の女性がB君に声を掛けた時やった。


 ――お母さん……。


 たった一言、B君がにこっと笑ってその喪服の女性に言うたんや。

 それはB君の声やない。どこをどう聞いても女の声やったらしい。

 「幸子……」

 喪服の女性は瞬時にわかったんや。

 B君の手を握ってその場に泣き崩れた。

 

 それからふっとB君が我に返ったらしいねん。

「僕、こんなとこで何してるんですか?」

 手を握って泣き崩れた女性に向かってそう言ったらしい。

 その目の前には納骨が済んだばかりの新しいお墓が立ってたんや。

 後に聞い話では、その外環沢田の交差点でつい先日、16才の女の子がダンプに引かれて亡くなったらしい。

 ちょうどその日がその女の子の四十九日やったんや。

 きっと家族の下へ連れて帰ってほしかったんやろうなあ。



 

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戸の外に誰か 天野秀作 @amachan1101

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