episodeー6
あれから、浴室で思いの外盛り上がり過ぎて逆上せてしまった
翌朝はお互い照れもあったけれど、ゆっくり進みましょうと言ってくれた佐渡のお蔭で、この二週間穏やかに過ごす事が出来た。
夜の清掃の仕事が無い時は佐渡の仕事が終わるのを近くの喫茶店で待って、一緒に帰る。
今日はお昼も食べれなかったと言う佐渡の為に、そのまま待ち合わせの喫茶店で夕飯を食べて帰る。
「樹尚さん、次の休みなんですけど……」
「うん? 佐渡君、どっか行きたい所ある?」
「……」
訝しげにこちらを見る佐渡に、樹尚はまた何か地雷を踏んだのかと固まった。
「な、何……?」
「いつになったら、
「あ……ごめん。つい、慣れちゃってて……」
「別に良いですけどね。すっごい壁作られても、諦めるつもりはもうありませんし」
「べ、別に壁を作ってる訳じゃ……」
「じゃあ、真尋って呼んで下さいよ」
「あ、うん……ま、まひろ……君」
「やべぇ……可愛い……」
「はっ?」
三十路前の男に可愛いはないだろう、と突っ込み入れようとした時、「よぅ」と聞いた事のある声が耳を掠めて行った。
ふと顔を上げると、スーツ姿の
「イチに常陸も……二人で何やってんだ?」
「飯食いに来たんだよ。お前こそ、何やってる?」
一哉が佐渡をチラリと見て、状況を把握したとばかりにニヤリと笑う。
「お、俺達も飯食ってるだけだよ……」
「あ、
「こんにちわ……」
「何だ? 常陸、知り合いか?」
一哉は不思議なものを見る様に佐渡を見て、常陸へと視線を戻した。
「通ってる美容院のスタッフさんだよ。ほら、沖野のとこの……」
「あぁ、沖野の店か」
「どうも、佐渡と言います」
「
「シゲ、上手く行ったんだ?」
「え? あ、うん……」
「そう、良かったね」
口数の少ない常陸が、珍しく話し掛けて来る。
高校の三年に上がって、この学校一目立つ様な綿貫一哉と大人しくて影の薄い常陸が一緒に居る事が増えた。
不思議な組み合わせではあったけれど、一哉は誰とでも仲良くなれるヤツだったから樹尚からすればそんな事もあり得る、と思う程度の事だった。
滅多に笑わない常陸が、ふんわりと口角を上げて瞼を伏せる様は、妙に艶っぽくてドキリとさせられる。
佐渡とそうなったからと言うわけではないが、一哉と常陸の雰囲気が友達のそれとは違う気がして、樹尚は自分の思い過ごしかと首を傾げた。
「おい、シゲ。お前、人の嫁見て顔赤らめてんじゃねぇよ!」
一哉のその一言に、間髪入れず常陸が一哉の後頭部を叩いた。
「いてっ」
「往来でバカな事言うな。嫁じゃない」
「え、瀬良さんってそうなんですか?」
「え? えぇえええ!? ひ、常陸っ……おまっ……え、え? そうなの!?」
あの大人しい寡黙な常陸が、男と……。
想像していなかった樹尚は、その相手が女に腐る程モテる一哉であると言う事にも輪を掛けて驚いていた。
「一哉……お前、何なの? 僕だけ晒し者になってんだけど……」
「まぁ、そう怒るなよ、常陸。怒った顔も可愛いぞ」
「もう黙って」
「仲良いんですねぇ」
佐渡が呆れた様にそう言うと、一哉が「まぁな」と負けじとドヤ顔で返して来た。
樹尚はそんなデレた一哉を見るのも初めてだったので「きしょ」と思わず零した。
「シゲ、お前……俺に借りがあんの、忘れんなよ?」
「あー、何だっけ? 覚えてないなぁ」
「てめぇ、
「ちょっ……」
「一哉、何でそこで依恋の名前が出て来るの?」
「樹尚さん、エレンって誰?」
一哉は常陸に睨まれ、樹尚は佐渡に突っ込まれる。
二人して口籠るしかない。
一哉達と別れてから、佐渡は執拗にエレンの事を聞いて来て、言い淀む樹尚に段々と不機嫌になって行った。
「そんなに教えられないんですか?」
「と言うか、俺もそんなに知ってる訳じゃないんだ。イチの知り合いだよ」
「じゃあ、樹尚さんの借りって何です?」
「それは……言いたくない……」
まさか、他の男に感じるかどうかためしに触って貰った等と口が裂けても言える筈がない。
「ふぅ……分かりました。これ以上は俺も聞きません。でも、言える時が来たら聞かせて下さい。俺は樹尚さんの事なら何でも知りたいです」
「うん……」
後ろめたさが最高潮に達して、申し訳なさ過ぎて樹尚は往来にも関わらず佐渡の手を取る。
指を絡めてきゅっと握ると、薬剤で荒れた少し硬い佐渡の掌にも力が籠った。
「好きなのは、真尋だけだよ」
「……今のタイミングで言うのは狡いと思うんですけど」
「うん、ごめん」
「確信犯とか……」
「機嫌治った?」
「……治りません。今日は泣かす。止めてって言っても止めませんから覚悟して下さいよ」
樹尚はその一言を聞いて心臓が跳ねる辺り、一哉達の事言えないな、と苦笑した。
触れて欲しいと思ってしまう。
もう、息苦しくても、痛くても、多分きっと多幸感の方が上回ってしまうだろう。
帰るなり押し倒されて言葉とは裏腹に酷く優しく蹂躙される。
情事の時だけ少し掠れて低くなる声とか、大丈夫? と聞く時の尻上がりになる癖とか、閉塞感に息を詰めると宥める様に髪を撫でてくれる手とか。
全てが自分のものだと思うだけで、過去が夢の様におぼろげになって行く。
悲しい訳でも痛い訳でもないのに、いつも零れてしまう涙を舐めてくれる舌は今日も鼓膜が蕩ける様な甘美な言葉を呟く。
幸せ過ぎて眩暈がしそうだ――。
迷い猫は傘持つ君に雨宿る。 篁 あれん @Allen-Takamura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます