「全て」ノハナシ

 目が覚めて部屋を見渡した。まだ頭が完全に覚醒していなくて、目もほとんど開かない。ぼんやりと映る時計の針は八時十分を指していた。重たい体を持ち上げ、目をこすりながらリビングへ向かった。

「おはよう」

すでに朝食を用意していた妻に挨拶をした。

「おはよう。ご飯できたから、座って」

妻に促され、そのまま席につく。コップに入った牛乳を一気に飲み干し、置いてあった新聞を手に取って眺める。四月二十一日。一面には最近ワイドショーを騒がせている脳科学者の違法実験の話題が載っていた。

 被験者の脳に直接電極を仕込み、電気刺激を用いて脳の隠れた機能活性化を試みるものだった。それを研究員の一人がマスコミにリークし、非人道的実験であり倫理観を疑わざる得ない責められるべき問題であるとして大々的に取り上げられたことで、国会で議論されるまでの大問題へと発展した。テレビをつけても、コメンテーターがそのことについてコメントをしていた。

『やはりこれだけ大事になったのですから、今川教授は説明責任を果たすべきでしょう。いい加減姿を現してほしいものです。一緒にいなくなった記者が逃走を手助けしているという話もありますからね』

実験を行った張本人である今川輝元教授は、実験が明るみに出た三日前から疾走しており、現在も警察による捜索活動が行われている。

毎日この事件のことばかり耳にしていると、こういった概要は自然と覚えてしまうものなのか。全く、自分には関係のない話だというのに。

「冷めちゃうから食べて」

妻の声でハッとする。私は新聞を置き、手を合わせて「いただきます」と言ってからトーストを頬張った。妻も座り、同じく手を合わせてからトーストを頬張る。

「今日は早めに帰るよ。明日も休みだし、夕食は外で食べないか」

「わかった。会社から出たら連絡ちょうだい」

「うん」


 朝食を済ませ、家を出た。普段載っている電車の時刻まであと二十分、家から駅まで歩いて十分なので、急がずとも間に合う。途中通りがかった公園で、子どもが一人遊んでいるのを見かけた。普段この時間に人がいることが無いから珍しいと思った。男の子は一人でブランコに乗り、規則正しく振り子のようにこいでいた。妙にその光景が気になって、しばらく目が離せなくなった。ぼーっと眺めていると、駅の方から電車の走行音が聞こえてきた。ハッと我に返って慌てて時計を見ると、私は驚愕した。家を出てからすでに四十分が経過していた。

「まさか、私は四十分もあの子どもを見ていたのか……? 」

頭が混乱する。とにかく急いで電車に乗ろうと走り出した。同時に携帯電話を取り出し、会社に連絡をした。コール音が鳴り続け、ついに誰も出なかった。

「くそ、なんで誰も出ないんだ。始業時刻から間もないってのに」

焦りは増すばかりで、携帯電話をポケットに突っ込みなんとか駅の改札に駆け込んだ。ホームまで着くと、その異様さはすぐに分かった。人ひとりいなかった。朝の通勤ラッシュ時、いくら都心から離れているとはいえこの駅にも三、四十人の人間が電車を待っていつも並んでいた。それが今日は一人もいない。よく見ると駅員さえいなかった。これは明らかにおかしかった。もう一度会社に電話をかけたがやはり繋がらない。私はどうにも胸騒ぎがして家に電話をかけた。しかし、繋がらない。

「どうして……」

 何故か異様に進んでいた時間、人ひとりいない駅、繋がらない電話、公園にいた子ども。今起こったことを頭で辿ってみたものの、余計に混乱するばかりだった。私はどうすればいいのか。駅のホームで一人立ち尽くす私の背後から、声が聞こえた。

「やあ、成功だ。大成功だよ」

振り返ると。さっきまで誰もいなかったそこに黒髪と白髪の混じった眼鏡の男が立っていた。歳は初老、顔は……見覚えがあった。そう、朝見たばかりの顔。

「今川輝元教授? 」

そう呟くと、彼は嬉しそうに手を叩いた。かつかつと革靴を鳴らしながら私のもとへ近寄ってくる。

「ご名答。いかにも今川だ。知ってくれていたとは光栄だ……いや、まだ覚えていられたとは」

「教授、なぜここに。あなたは今警察に探されているのでは」

「ええ。しかしここでは全く関係のない話だ。とにかくこれを見てみたまえ」

そう言って教授が手渡してきたのは一枚の写真だった。男が一人、手術台のようなものに寝かされている。なにより目を引いたのは男の頭部だった。つむじあたりから頭が開かれており、頭蓋骨や脳が丸見えだった。よくわからないヘッドギアのようなものをつけられ、脳には直接電極らしきものが刺さっている。

「これは……」

「もちろん君だよ」

教授は顔色一つ変えずそう言った。君だ、と言われたが写真の男の顔は私とは似ても似つかないものだった。教授の言った意味は分からず、私は何も言えずに写真を見つめ続けた。教授は私の手から写真を取り上げ、鼻で笑った。

「それでは種明かしだ。心してくれ」

教授の不気味な笑顔とともに、駅だった風景がボロボロと崩れていく。ホログラムのように、一個一個のパーツが色を変え形を変え、あっという間に私は映画館にいた。


 その瞬間移動に驚く間もなく、スクリーンに映像が映し出された。まるで誰かの見た風景を集めたような、そんな映像だった。

「家」に住む姉と名付けられたマネキン人形。自分の兄を睨みつける母の「遺影」。「子ども」の遊び相手になった写真に写るおばさん。空を飛べると信じて骨折を繰り返す「人」。「電話」の奥から聞こえる名前を呼ぶ声。自分の死を見せた予知「夢」。祖父が最期に遺した「映像」。「公園」に七日だけ現れたおばあさん。「時間」が止まるストップウォッチ。

全てがまるで私自身の体験で、それなのに全く知らない出来事のようにも感じた。

「どうだった。懐かしいかい、それとも身に覚えもないかな」

「……今のは」

「私の作った記憶だよ。脳に刺激を与え、記憶をでっち上げた。今見てもらったものと、そして今と」

「今? 」

「写真の男を君だと言った。その言葉に嘘はない。あの男が本当の君だよ。研究員のリークでスクープ独占のためにのこのこ一人で乗り込んできた哀れな記者だ」

今一度写真の男を見せつけてきた。この脳をいじられているのが、私……わたし……ワタシ…………?

頭に激痛が走る。割れるような痛みに耐えきれず、頭を抱えながら床をのたうち回る。あまりの痛みに声も出ない。目も開けられない。微かに聞こえるのは、教授の哀れんだような声だけ。

「ああ、流石にこれだけ記憶の植え付けと除去を繰り返せば耐えられないか。君もここまでだな」

意識が遠のき、痛みも感じなくなって、全身の力が抜けていった。


 目が覚めて部屋を見渡した。頭がガンガン痛み、目もろくに開けられない。視界はぼやけている。硬い台のようなものに乗せられているようだった。朦朧とする意識の中、台を降りて部屋をふらふらと歩き始める。壁に手をつきつつ、部屋の奥まで行くとテレビを見つけた。近くに置いてあったリモコンで電源を入れる。映ったのはワイドショーだった。

『たった今、行方不明だった今川輝元教授が警察によって発見され、逮捕されたとの情報が入りました。教授は都内を歩いているところを巡回していた警察官によって発見され、職務質問の末逮捕が執行されたとのことです。これから事情聴取が始まりますが、逮捕直後教授は問題となっている実験について多大な成果を得たと誇らしげに話したとされ……』

警察に連行されていく今川教授の顔は満足げだった。全てを知ったような、嘲笑うような顔をしていた。

 やっと視界もはっきりとし、足取りも軽くなってきた。ドアがあるのを見つけそこから出ようと歩き出した時、ふと鏡が目に止まった。そこに私の顔が映る。鏡の向こうにいる私と目が合った。

「……誰だ」

私を見るは、まるで知らない顔だった。いや、そもそも。

「私は、誰だ」



 今川輝元は事情聴取で以下のように話した。

「私の行った実験は人間の脳に直接電気信号を送ることで、作り出した記憶を植え付け本人のものにするというものだ。いくつものパターンを被験者で試し、現実的なものから非現実的なものまであらゆる事象の記憶を試した。そしてその記憶に対して経験による恐怖や喜び、悲しみといった感情を発生させることが出来ることも分かった。私の作り話によってあらゆる人物の記憶を得た人間は最終的に、自身の本来の記憶を喪失し、自我の喪失まで引き起こすことも確認された。実験は成功だ。被験者の見た記憶が知りたければ私のパソコンを調べればいい。彼にとっては本物の、私にとっては作り話に過ぎない記憶のシナリオが残っているはずだ」



ツクリバナシ 完

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ツクリバナシ ミコトバ @haruka_kanata

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