第4幕 大事件 怪盗の名は 『勘違い』
「あれ? 夕風のやつ、こんな朝っぱらからどこか行ったの?」
「いつも出掛ける時刻には戻って来るさ。それより、話の続きを頼む」
「凄い名探偵。暗号解読のプロフェッショナルなんだ。でも、野水さんのことどうして知ってるの?」
「お前がさ、好きになった子にあげるって言ってた髪留めしてたから。ちょっとだけキューピットになってみた」
「おっさんが矢をつがえてたら警察に掴まるよ。でも僕、好きになった子にあげるなんて言ってないよ?」
「うそ。……いやいや、言ってたって! マジで? 覚えてねえの?」
「言ってないってば。
「美談だね。で? ほんとに春菜ちゃんのこと好きなわけじゃねえの?」
「うん。いいやつだけど、僕には他に好きな子が……」
「そりゃまいった。俺の勘違いか。…………なあ
「なんだそれ? 聞いてなかった? 僕には……」
「暗号解読のプロフェッショナルで、十一郎にべたぼれの女の子なんだけど」
「断ってくれよ。その子に悪い。……ん? 暗号解読?」
僕が皿に乗せたベーコンの上にスクランブルエッグを乗せると、なかなか聞く機会の無い、この人の泣き言を耳にした。
「いやまいったな。今回は俺のミスだ、許してくれ」
「何をさ」
「…………もう、手遅れだ」
叔父さんは、ひきつった笑い顔を新聞で隠してしまった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そして残された三人。
捜索範囲はどんどん広がっていくようで、誰も現場に帰って来ない。
……さて。
結局謎だらけなんだけど。
『
これを書いたのは……、いや、書かされたのは野水さんだけど、結局なんの意味があるのか分からないし。
そして、『怪盗
お前は、何のつもりで野水さんに酷いことするのさ。
「……あたし、盗られたの? 『
「え? うーん……」
野水さんの不安顔。
なんて返事をしたものか。
僕が答えあぐねていたら、夕風がきっぱりと言い放った。
「もちろん、そうだろうな」
冷たい一言を耳にしてうな垂れた野水さん。
夕風にロープを解いてもらうと、深い深いため息をつきながら立ち上がって呟いた。
「どうしてだろう。あの髪留めは、あたしの人生そのものだったのに」
「…………だから、盗んだのではないのかな」
そんなことをつぶやいた夕風の横顔を、野水さんがじっと見つめる。
校庭から聞こえてきたセミの声が無ければ、時が流れていると気付かないほど。
二人は無言のまま、微動だにしなかった。
「……それは、どういう意味でしょうか」
「火傷の痕、気にはなるだろうけど、あの蝶さえあれば平気になっただろう? だから
「二歩目……」
そうつぶやいたまま、髪の上から首筋を押さえた野水さん。
そして夕風は、不安そうな影を表情に滲ませながら僕のロープに手をかけた。
「きっと
「そう……、ですよね」
「ああ、そうだとも」
「……蝶が無くても、あの方はきっとあたしを見ていて下さる。……あたし、頑張ってみます! 二歩目を、踏み出してみようと思います!」
ようやく安堵のため息をついた夕風が、すこし不器用に微笑む野水さんに振り向いて、優しく抱きしめてあげた。
……なるほど。
僕のしたことじゃ、まだ中途半端だったんだね。
ようやく戒めから解放された心と体を思いっきり伸ばす。
うん、清々しい気分だ。
「……いい結果になったじゃないか、今回の事件は」
「うむ。そうだな」
「ええ……」
雨降って、地、固まる。
二人の幸せそうな微笑に、思わず目頭が熱くなった。
……さて、この事件。
叔父さんが仕組んだものに間違いない。
でもね、だったらなんで僕に話してくれなかったのか。
その理由は分からないけど……。
――仲間外れにされて振り回された恨み、晴らさせてもらおうかな?
「ねえ、野水さん。もう、髪留め無しでも頑張れるよね?」
「うん。頑張ってみるよ」
「じゃあ、そんな野水さんに、僕からプレゼントだ」
途端に怪訝な顔で僕を見つめる二人の美女。
そして、そのうち一人の顔が一気に青ざめることになった。
「……夕風の鞄に入れてあるから、開けてごらん?」
「なあっっ!!! だ、だめだ!」
「おやおや。何を慌てているんだい? ……怪盗『X』さん」
この一言に、両手で顔を覆い、瞳を見開く者がいる。
この一言に、正体を暴かれ、下唇を噛む者がいる。
へへん。
いい気分だ。
ちょっと溜飲が下がったよ。
……さあ、洗いざらい白状してもらおうか。
『怪盗X』! いや、夕風!
「なぜ……。いつ、わかった?」
「ん? 君が野水さんに予告状の写真を見せた時さ。あれ、僕といる時に撮った写真じゃなくて、朝早くに掲示板に張った時の写真だろ? ……それを撮影できるのは、犯人しかいないじゃないか」
「……君の叔父上に報告する時に撮った方を見せてしまったのか。だが、我にも違いなど分からなかったのだが……」
そう言いながら携帯の写真を見比べ始めた夕風が、致命的なミスに気付いて呻くような声を上げた。
「まさか……。君は、これに気付いたというのか……」
「うん。僕は観察者。見逃さないさ。……掲示板のガラスに、くっきり映ってたからね。広々とした下駄箱が」
野水さんもおずおずと携帯を覗き込んでいるけど、君には分からないんだ。
「えっと……、普通に見えるけど。反射するよね、下駄箱」
「ううん? 見えないはずなんだ。……あれだけの野次馬が透明人間でもない限り」
君は探偵としての筋はいい。
でも、僕に言わせてみればまだまださ。
……そして、怪盗としては三流だね。
さっきの演技ではない。
今度こそ本気で膝を突いた夕風に、野水さんが声をかける。
「……どういうつもりで盗ったの?」
「我には……、仲間はいるが、友と呼べる者はいない。極めてそれに近い存在なのがそこにいる助手と、そして春菜、君なのだ」
……犯人の自供、か。
僕は生涯体験することなどないだろうけどね。
夕風の鞄を取りに向かう背中越しに、その悲痛な言葉は続く。
「そんな君が心配だったのだよ。君がこの髪留めに依存しすぎているきらいがあることにな。……だから、頼れる知人に相談した。……結果、我の迂闊ですべてが白日に晒されることとなったのだが……」
ううん、それは違うよ。
あれが無くても、僕なら叔父さんの犯行に気付いてたさ。
僕は総合力、特にプロファイリングで叔父さんに勝てるとはこれっぽっちも思ってないけどさ。
でも、観察力と推理力なら負けるはずが無い。
だから夕風。
君が負けたわけじゃない。
この勝負は、僕が叔父さんに勝っただけの話なんだ。
「今回はいいところ無しだ。……我を、軽蔑したか?」
「ううん? ……嬉しいです。素敵な犯行でした」
僕が鞄を手に戻ると、再び抱きしめ合う二人の姿が出迎えてくれた。
やれやれ、今度こそハッピーエンドって感じだね。
「……さて、『怪盗X』。この名探偵が命じよう。お宝を返却しなさい」
「む? 助手のくせに調子に乗るな。もともと返すつもりだったのだ」
「その言葉と、カナリア」
「…………そのこころは?」
「うたがうまい」
ははっと破顔して、僕から受け取った髪留め……、ご丁寧にたっぷりの綿で包まれたお宝を野水さんへ返却した『怪盗X』。
そんな怪盗に、被害者は負けないくらいの笑顔で呟いた。
「ありがとう。……ほんとうに、ありがとう」
そして、手にした髪留めを愛おしそうに胸に抱いて流した涙。
そこまで大事にしてもらえるなんて、ちょっと恥ずかしいな。
さて、幕引きだ。
えっと、野水さんの鞄はどれだろう。
もうじき三時間目の授業も終わる。
残り半日、学生としての本分に立ち戻らねばなるまい。
無造作に積まれた鞄をひっくり返していると、まずは自分の鞄を発見。
……おお、そうだった。
この予告状、どうしよう。
悩む僕の後ろを抜けて、夕風が開け放した窓を閉めていると、野水さんの声が聞こえてきた。
「……そうだ。結局これ、何だったの?」
「ん? ラブレターのこと? 僕が聞きたいよ。野水さんが書いたんでしょ?」
「うん。でも、この矢印は探偵さんがこっそり書き足してた……」
ああ、そりゃそうだよね。
この暗号解読のプロフェッショナルにそこまで書かせたら、自分が『
「じゃあ、僕宛ての殺害予告だけ書かされたんだ。その、探偵さんって人に」
「そう。これを小比類巻君の上履きに入れたら、『
『
なんだそりゃ?
野水さんは、暗号解読のプロフェッショナル。
あっという間に仕組みに気付いて、紙を丸めてそれをずらしていく。
…………………………ん?
まてまてまてまてまてっ!
そんなことしたら……、
『
「あれ? 『X』が二つ? …………11時に、水を盗った人…………っ!」
なああああああああああっ!!!
ばれたっ!
頭から血の気が引くって、ほんとだったんだ。
冷たい。
なにも考えられない。
僕を見つめる野水さんの瞳が揺れる。
そして、震える唇がわずかに開いて……っ!
言わないで!
それを夕風に知られたら、すべてが終わるっ!
永遠に静止した一瞬を経て、野水さんの口から、音が紡がれた。
「……うん。表情で分かりました。大丈夫だよ、小比類巻君」
た…………………………、
たすかった!!!!!
今更心臓が大慌てで血を送り出した。
止まったままだった息が、鼓動のせいで震えながら口から零れていく。
「何のやり取りをしているのだ?」
「どあああっ! こここ、これは夕風先輩! ごごご、ご機嫌麗しゅう!」
「ごごごご機嫌麗しくない。隠さず話せ、助手よ」
話せるわけないよ!
助けて、野水さん!
「……ふふっ。これが、あたしから小比類巻君に宛てたラブレターだという話をしていたところです」
野水さん、すっごい笑顔。
でも、君が恋しているのは
「ああああああああああああああ!」
「さっきからうるさいな貴様は!」
全部……。
全部つながった!!!
この予告状、水を盗むことに意味なんかなくて!
ただ犯行を誰がやったのか、それを野水さんに見せるためのものだったんだ!
すべては叔父さんの書いたシナリオ通り。
さっき、この勝負は僕の勝ちとか思ってた自分が恥ずかしい。
完敗だ。
……でもさ。
髪留めを渡したから、僕が野水さんを好きなんだと思って。
『
確かに見事なシナリオ。
僕ら揃って、そのゴツゴツした手のひらの上で指示通りに踊ったよ。
だが、今貴様が手にした勝利の美酒を、鼻から流し込んでくれる!
とんだ勘違いキューピット!
朝、もう手遅れって言ってたの、そういうことかよ!!!
……どうするのさ、おい。
野水さんが僕を見る目、本気のやつなんだけど。
そんな彼女が、あっけらかんと大ナタを振るった。
「小比類巻君。夕風さんの事好きなんだよね?」
「ぶあっ!?」
「うむ。そのようなのだが、迷惑しているのだ」
「ぐはぁ!」
なんだよこの状態!
生きた心地すらしない!
……髪留めを外した黒髪をさらりと揺らして微笑む才媛。
それを真っ向から受け止める、つり目の美女。
そんな二人が、柔らかく笑い合う。
さっき無二の親友となったばかりの二人が、一方は何も知らないままで恋敵に化けたというのに……。
「ふふっ、夕風さん! 勝負よ! どっちが先に『
「射止める? 捕まえることを比喩したのか。それは良いな。我も今後は使うとしようか」
どえらいややこしいことになったよ。
そして、これを仕込んだ『
でも、少なくとも二つだけ。
夕風が野水さんを友達にしたい気持ち。
野水さんが夕風を友達と思ってくれた気持ち。
他に代えがたい『お宝』は、間違いなく盗りあうことになったんじゃないのかな。
思わず零れた笑みのままで二人を眺めていたら、野水さんがちらりと僕に笑顔を向けて、小さくお辞儀をした。
「今日は、忘れられない日になりました。ありがとう、怪盗X。怪盗
「うむ」
「ああ。……あ」
……………………やば。
「なんで君が返事をしているのだ?」
ご、誤魔化さないと!
でもどうしたら!?
野水さん、意外と小悪魔!
ニコニコ楽しそうに見てないで、手を貸してよ!
「えっ……、と。野水さんの幸せが、どこから始まるのか! どれだけ続くのか!」
「はあ? それがどうした。……まさか、いつものやつなのか? そのこころは」
「ちょうきかん!」
「蝶、帰還? …………長期間。なんと! これは綺麗にまとまったな!」
珍しい。
拍手など頂戴しました。
でも、誤魔化せたと同時に、今のは問題あるよね?
びくびくしながら野水さんを窺うと…………。
やっぱり。
輝くほどの笑顔なわけで。
「ふふっ。素敵なプレゼントありがとうね、小比類巻君!」
「うむ、上手いではないか。君は、我を楽しませる天才だな」
ああ、なんだよこの状況!
ほんとどうしてくれるのさ、叔父さーーーん!
……僕は、二人の美女に見つめられながら心の中で涙した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
帰り道。
セミ時雨が両肩にずっしりと重たい。
とぼとぼと歩く僕の横には、やたらとご機嫌そうに携帯をいじりっ放しの夕風。
野水さんと、どんな話で盛り上がっているのやら。
……ああ、そうか。
『
わかります。
さて、あの後の話。
落ち着いて考えたら、もう一つの思惑へたどり着いた。
おじさんの狙いは、夕風が事務所を出てまっとうな仕事に就く事。
僕と春菜さんをくっ付ければ、後腐れなく追い出せると踏んだのだろう。
勘違いで離れ離れにされてなるものか。
ここは意趣返ししておこう。
負けっぱなしの僕じゃないよ?
せめて、最後の最後で叔父さんを負かしてやる。
風になびく黒髪が夕風の横顔を露にする。
そこには、僕には向けてくれない、恋する乙女の微笑が湛えられていた。
「夕風。賭けをしないか? もし君が『
「助手とは付き合わんぞ?」
「……うん」
話、終わっちゃったよ。
いやいやいや!
負けるな十一郎、ここにあり!
「じゃ、じゃあさ! もし『
これならどうだ!
「ほう……。不思議かつ魅力的な提案だな。我を負かしたものに求愛か。……面白いな。いいだろう」
やった!
ようし、これで僕が一年間君から逃げ切れば……。
「うむ。有り得ない話だが……、君の叔父上が『
……あれ?
「さすれば、我は助手ではなく、もっと魅力的な名義で事務所に住むことになるやもしれん。……おお、妄想が広がるな!」
あれええええええええ!?
――夏の風を楽しそうに浴びた後姿が眩しい空を仰ぎ見る。
そこには、僕には向けてくれない、恋する乙女の微笑が湛えられていた。
……こうして僕は、未来永劫、『
終幕。
……あるいは、君に捕まればいいの?
今度こそ、終幕。
怪盗XX vs 怪盗ノー・ネーム! そして僕は蚊帳の外!? 如月 仁成 @hitomi_aki
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