たどりついた声

蒼ノ下雷太郎

本編


 OP


 警備は大変と思われるかもしれないが、建物の中では比較的ラクだ。

 暑さ寒さ関係なく、深夜は何も起こらないことも多い。そう、建物で働く場合は泊まりになったりする。朝に出て、翌朝帰るという。大変なのはそこか。

 でも、やることは簡単で、深夜は暇だし、ただ時間がつらつらと連なっただけの、その分、お金が対等じゃない気がするが、ラクである。

 そうはいっても、俺が今働く病院は少し大変だ。

 夜中にも患者は来るし、抜け出そうと企むのもいるし。電話番もやらされるし、鍵の開け閉めだって、みんな思ってたより大変で。

 ――あぁ、でも巡回はそうでもないか。


 深夜の病院の巡回。

 思ってたほど、難しくはない。

 というか、怖いもんだと最初はビクビクしていたが。

 案外、大したことはない。


 病棟は巡回するとうるさいと言われるし、ナースステーションには看護士がいるし、回るとこは限られる。

 ホラーものにあるような世界ではない。

 怖いのは無機質なリノリウムの床ぐらいだ。トイレの確認も、最近のは入るとすぐに明かりがつくし、綺麗な内装だし、ホラーの舞台にはなれない。それは病棟や他の場所もいっしょだ。唯一怖いのは、研究室で人体の一部をいじくる医者だったり、解剖室にある容器の中身だったり――それに比べると、霊安室はすぐになれた。

 霊安室。

 病院で患者が死ぬと運ばれる場所。すぐに葬祭業者に連絡するが、彼らが来るまで、遺体をおく場所である。

 警備員は建物の警備をするのが仕事であり、各部屋の鍵の施錠や、使ったあとに忘れ物がないか異変がないか確認するのも大きな仕事である。

 そのため、霊安も調べる。

 ちゃんと施錠されてたか、忘れ物ないか、破損してる箇所がないか、あるはずないんだが、念のため、それを調べるのが仕事なので、やる必要がある。

 といっても、うちの現場は一時間ごとに仕事を交代するので、この時間は警備室で待機、この時間は巡回、この時間は休憩と、そのためシフトによっては全く関係ない日もある。

 ようするに、そんなビクビクしなくてもいいってわけだ。

 確かに、霊安室は性質上、いつも寒気がする。そりゃ遺体を保管する場所なんだからクーラーは欠かせないし、当たり前。たまに、葬祭業者が来ずに、遺体と出くわすときもあるが、それも最初だけビクビクして、しばらくするとなれた。


「………」


 はじめはすくんでいたな。

 霊安室は八畳間ぐらいの広さで、ほぼなにもない部屋だ。簡易的な仏壇はある。真ん中に遺体をおき、運ぶためのローラーつきの台もある。それだけだ。

 で、たまにその上に遺体がある。

「………」

 俺は今、霊安室にいる。真っ暗な部屋、スイッチを押して明かりを点ける。無機質な白を基調とした部屋。簡易的な仏壇、ローラーつきの台、今はその上に遺体。白い布が被せられている。

「………」

 もちろんだが、動くことはない。

 昔は怖かった。

 動かないとはいっても、つい頭は考えてしまうものだ。恐怖は創造力から生まれる。想像がなければ恐怖なんてないんだろうが、いかんせん、それはどんな奴にも最低限あるもので、うしろを振り向くという行為はついしたくなるし、中身が分からない箱に手を突っ込むのは未だにテレビの娯楽で使われ、布を被せられた遺体は、動かないとわかっていても怖い。

「……っ」

 人の形にふくらんだ、白い布。

 からだがはみださないように、布はやたらと大きく、台に必要以上にはみ出す。

 動かないとわかっていても、布のふくらみ、胴体や足、そして顔の凹凸のふくらみなど、目がいってしまい、そして、動くんじゃないかと――ま、動くことはないのだが。

「……ふぅ」

 俺は、一通り確認すると、明かりを消して部屋を出た。鍵を閉める。確認。


 002


 次の日。

 うちの仕事は泊まりで一日中働く。仮眠も一応ある。連続してやることはない。大抵は一日ぐらい間に挟む。何日も何日も連続して泊まることはない。

 なので、感覚的には二日後という妙な気分だ。次の日といっても。

 ともかく、次の日。俺は暑い中、八階の用務員が使う部屋の横にある警備員のロッカー室(空いてる空間を無理に使っただけだが)で着替え、勤務に入った。

 この日も、また霊安室を確認することになった。

 偶然だが、たまたま同じシフトになったのだ。

 部屋にはいると、今日は遺体はなく、何もない台があるだけの、何もない部屋である。

 怖がる必要はなく、最低限の確認をすると明かりを消して、部屋を出た。

 鍵を閉める。確認。


 003


 それらからしばらくして、暑さで体調をくずした隊員が多くなり、同僚の一人が連続で泊まりをやることになった。

「なーに、私は大丈夫ですよ。というか、家族のためにお金がほしいですから」

 俺より十は年上の男が言った。

 彼は家庭もあるし、稼ぎたかったらしい。しかし、いくら比較的ラクな仕事とはいえ、二十四時間の勤務だ。それを連続して行うのは大変じゃないか。

「いいのいいの。お金が欲しいしね」

 そうですかぁ、と心配する素振りをするくせに、内心は代わりにやってくれてラッキーと感じている。


 004


 しばらく経って、また勤務の日。

 夏も終わりを迎える頃、とはいってもじめじめとした日は続くし、暑さはあるしで、辛い日々は秋になろうとはしないのだが。

 ともかく――八月末頃。

 また俺は霊安室を確認するシフトになった。

「………」

 どういう巡り合わせだろうか。

 あまり、喜べたことじゃないな。いや、中には一つの階を丸ごと確認するシフトもあるため、それよりかはましなのだが、しかし、なれたとはいえ心はまだ不安なこともあるようだ。

 霊安室を開けた。

 電気を点けると、今度は遺体があった。

「おぉう」

 白い布が被せられて、遺体が台の上におかれている。

 俺は、その周りを確認し、遺体も黙視だけで異常がないと判断し、電気を消して部屋を出て鍵閉めた。


「最近、遺体多いっすよね」

 俺は警備室にもどる。

 警備室は病院の設備を担当する設備さんもいるため、広い。十畳以上はあるここにはモニターやらがあり、パソコンや机も、二つの職場が混在するため多数存在する。

 で、ここでは病院からの内線もしくは深夜の外線も受け付けるのだが。

「あー、そうだったか」

「今日も遺体あって、いや、もうなれましたけど」

「え?」

 と、同僚は首をかしげた。

「今日、遺体の報告はないぞ」

 夜中に患者が死んだ場合、うちにも報告がいく。

 霊安室の確認もあるし、何より葬祭業者に報告するのはうちでやらされるため、必要なのだ。

 俺は慌てて部屋に向かい、もう一度確認した。

「――は?」

 遺体はなかった。

 念のため無線で報告する。記録には他の誰かが鍵を使った記録はないし、近くの監視カメラも怪しいのは映していない。

「………」

 結局、俺の見間違いということになった。


「しっかりしてくれよー。いや、俺もまだあそこはなれないけどさ。怖いからって、そんな――」


 ちがう。

 怖がってたわけじゃないし、今さらそんな。

 いや、怖がっていたとしても、あんなはっきりと幻を見るなんて――。


 005


 それから、またしばらく。

 九月も終わり、ようやく暑さも大人しくなって今度は寒さが猛威を振るい始める十月。

 俺も、連続して泊まる。

「頼むよー。病院の警備って大変だからやめちゃう人多いし、どうしても、きみにがんばってもらわないと」

「はぁ……」

「他の人もやってることだからね。きみだけ特別にってわけには」

 違和感はあったものの、俺もやることになった。

 比較的ラクとはいったが、二日連続で泊まりの仕事は辛い。次第に二日どころか、三日四日も続くようになり、中には一週間泊まった猛者も現れた。

「………」

 噂で聞いた。

 この前――といっても、二ヶ月ぐらい前だが、あのとき保管室にあった遺体は過労死だったんだとか。

 勤務先から病院に運ばれ、ダメだったらしい。

「……過労死か」


 警備には仮眠室がある。

 二段ベッドを二つ使い、四人が寝られる。

 とはいうが、ときには研修がいるケースもあり、四人じゃ足りない場合もある。

 今は、人が少ないので新人を何人か受け入れている。そのため、俺の分のベッドはなく、仕方なく八階のロッカー室に向かった。

 人数分のベッドがない場合は、ここに折り畳みのベッドがあるため、ここで寝ることになる。

 電気を消すと、ボイラーの音が小さくこだまし、不気味な部屋なのだが。

「ま、今さら気にすることでもないか」

 もう、なれてきた。

 昔は明るい曲を流しっぱにして寝てたのだが。

 俺は警備服をぬいで、下にジャージだけはいて、上は肌着で、ベッドに寝ることに。ベッドを真ん中に設置して、あとは電気を消して寝よう。

 向かい合わせになったロッカーとロッカーの間にベッドがある。

 部屋自体は細長い、棒のような形。

 そして、電気のスイッチはベッドから離れた入り口にある。俺は電気を消すと、スマホの明かりでベッドにもどった。

「――よし」

 で、あとは手探りでベッドに寝ようとするが。

 ん?

 感触。

 あれ、おかしいな。

 ベッドの上には薄いシーツと枕があるだけなはずだが。

 妙にふくらみがあった。

 スマホの明かりで照らした。

 それは、白い布だった。そして、中には人がくるまっているかのように膨らんでおり、真っ暗な中、スマホの明かりをその足から頭まで照らした。

 人の形をしていた。

「………」

 人が、ベッドの上で寝ていた。

 寝て――いた?

 ちがう。

 いや、違うだろ。これってさ。そう、見たことあるじゃん。

 霊安室で。さんざん見てきたじゃん。

 死んだ人が、白い布を被せられてるの。

 見てきたじゃん。

 あれ――じゃん。

「………」

 さっきまではなかった。ベッドを設置したのは俺だ。折って畳まれていたのをもどし、そして電気のスイッチを消すまでの間、たった数歩の距離で――その間に、したいがおかれた?

 そう、これは遺体だよな?

 いたい?

「――あ、あははっ、――あ、ぁ」

 静かに、狂い始めた。

 恐怖が足の爪先から徐々にのぼってきて、ようやく頭に到達する。そして、スマホの明かりを便りに遺体から離れて、入り口に向かった。足はさっきまでとは違い、千鳥足のように頼りない。おかしい。どうした。何だか、全身の神経系統が下手くそなガードマンを雇った道路のように混乱してる。動きが変だ。肉体をうまく動かせない。

 ようやく入り口について明かりを点ける。

「………」

 遺体は、なかった。

「――っ」

 なかったのだ。

「………」

 また、俺の勘違いだろうか。

 混乱した思考の中、俺は天井を見上げる。これがホラー映画だったら、突然恐怖の怪人が現れるのだろうが、なにもなかった。いつも通りの、なにもない天井。

「………」

 みまちがい?

 み、見間違い……。

 幻、遺体なんてなかった?

 それですむものか。

 俺は外出できる格好に着替えると、外に出た。同僚が「おい、どこに行くんだよ」と行ったが、仮眠時間終わったらもどるから、と言って出た。

 いや、本当はいけないことなんだが。

 しかし、行かなきゃ気がすまなかった。

「………」

 映画みたいに大声で叫べば、少しはこれが発散できただろうか。

 無理だった。

 毛穴から染み込まされたかのような恐怖は、俺の魂にまで浸透して、とてもじゃないが、もう二度とあの部屋で眠ることはできない。


 006


 テレビで過労死が話題になっていた。

 それについて、年配の同僚が語っていた。

「こんなの言い訳だよな。甘えてんだよ。おれなんか、どんだけ連続して働いてると思って――」

 何か言ってやりたいと思ったが、言えなかった。

 それで人間関係がめんどくさくなることもあるし。大変だからと――もちろん、誉められたことではないが。


 翌日、その人は怪我をしたらしい。

「え?」

 で、また一人欠員が出たため、仕事も倍増させられるかと思ったが、それはなかった。他の現場からの応援が集まり、さらには給料もアップして待遇は急激によくなった。


 007


 ブラックで有名な会社の社長が、急に会見を開き、謝罪。

 過労死させた責任についても、今酷使してる社員やアルバイトに関しても認め、待遇改善、そして法的にあちらが納得する賠償を支払うと約束した。

 どういうわけだか、うちの会社といい、この人といい、日本はどうなったんだろうか。過労死大国として有名だったはずなのに、それから次々に他の社長たちも謝罪をし始めた


「どういうわけだ?」

 俺は、警備室でスマホを使ってそれを知り、唖然としていた。いや、良いニュースなんだが。しかし、一斉にみんな、どうしたんだろうか。

「ゆ、許してくれぇ! もう、私を見逃してくれぇぇ!」

 中には、とち狂って泣きわめく社長もいたとか。

「もう、現れないでくれ。成仏してぇぇぇ!」


 こんな声も、あったのだ。


 008


 それから、数日後。

 深夜。俺は警備室で電話の受け取りをしていると、外線がかかってきた。

「はい、――病院の警備室、――であります」

「……ァ……」

「はい?」


 タスケテ。


 ただ、かすれた声で、その一言。

 プープープー……。

 そして、電話は切られる。

 何となくだが、電話してきた相手がわかった。そして、社長たちの勘違いにも気がついた。

 全部が全部、あの過労死した人がやったことかは分からない。もしかしたら、他にも幽霊がいるんじゃないか。ま、細かいことはよく分からないが。

 ……彼らはたぶん、声を聴いてほしかっただけなんだ。

「誰かに、タスケテって言いたかっただけなんだろうな」

 それを社長たちは復讐、たたりと勘違いしたのだろうが。

 いや、それで待遇が改善されたのだから、喜ばしいことだが。

「誰にも知られないまま、死ぬのが嫌だったんだろ」

 俺も、もしかしたらその一人になっていたのだろうか。

 想像するとこわくなる。恐怖は想像力から生まれる。だが、優しさも想像力から生まれる。想像力がなくなったら、を考えると、どんなホラーも勝てない恐怖が、たぶん生まれるのだろう。いや、下手したら恐怖を感じる感性さえなくなるのかもしれない。こわい、こわい、怖い。

 それだけは、絶対に嫌だ。


(了)

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たどりついた声 蒼ノ下雷太郎 @aonoshita1225

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