デッドエンジニア

へとろいど

01_Hellnet 23

 都内と聞けばイメージのひとかけらにある高層ビルが乱立する某所。

 幾つもの一流と呼ばれる企業が入る大きなビルの地下深く、そこに蛍光灯がチラチラと明滅する陰気な空間があった。

 四方は冷たいコンクリートの壁に囲まれ、壁より伸びるアームから十数台のモニターが4つの机を囲む。なにもなければ広いのかもしれないが、資料とケーブルと、大小の機器が散らかった空間だ。

 モニターには意味を知るものしか知れない情報、異常時にアラームを鳴らすソフトウェア、ひっきりなしに送りつけられる調査依頼が映しだされており、初めて訪れるものならば目と頭がパンクして背をむけることだろう。


 ビー、ビーとアラームが鳴り、モニターに表示されていた一覧が更新される。

 耳障りなビープ音とともに、警告を意味する黄と黒のポップアップが表示されると、忙しなく叩かれていたタイプ音が止み、男は舌打ちをした。

「またかよ」

 机の上には古びた物理キーボードが5つ、ワイヤレスマウスが一つ。

 男は二回、画面上のボタンをクリックしてビープ音を止め、一番左のキーボードをタイプする。


「くるなよ……頼むからくるなよ」

 男はなにか怯えたように独り言をつぶやき、袖机に積まれた書類の山を一瞥する。

 袖机とは動かせる引き出しのことで、3つある引き出しの中は資料でパンパンだ。

 その袖机の上にさらに高さにして1メートル。

 ドキュメント類の一枚一枚は、目を通せばいいだけのものでなく、それなりの時間とチープな処理が必要なものだった。


 ピルルルル、ピルルルル……固定電話が鳴る。

 男はタイプの速度を徐々に落とし、諦めて深いため息をついた。

 3回ほどコールがつづき、男は手を止めて腕時計を見る。

 デジタル文字で21:03が表示され、その数字が持つ意味は疲れた目をこする男をさらに落ちこませた。


 7回目のコールで音がさらに大きくなり、男は受話器に手を伸ばす。業務上、無視できるコールは一つもないが、この発信者からのコールだけはできることなら無視したかった。

「はい……B3保守部の水櫛(みずくし)です」

 疲れきった声で、男は電話の向こうの闇に耳を傾ける。

「遅い! 12秒もコールさせるな!」

 大きなダミ声に男はさっと耳から受話器を離すが、間髪いれずにダミ声はつづける。その様子は聞き手がどうでもよいといった態度で、ただ感情を爆発させては電話口から無意味な攻撃をつづけるだけであった。

「はい、スミマセン……はい」

 それでも男は受話器に耳を戻し、なぜ怒鳴られているかもわからずに謝りを言葉にする。

 それから10分ほど辛辣な言葉を浴びせつづけられて、ようやく要件を聞ける段になると、
「さっさと状況を調べて担当部署へ報告しろ、ウスノロ!」なんと2秒たらずで済み、電話は暴力的な音とともに切れた。

 男は放心状態で固まる。

 疲労の限界か、耳元ではツー、ツーと切断音が慰めてくれるようにさえ聞こえた。

「なんなんだ……」

 心模様を呟けたのは、もののデジタル時刻が一分進んでからだ。

 水櫛と名乗った男の顔は疲れきっていた。

 目のクマは何日も寝ていないように濃く、顔面は青く生気が薄いようにさえ見える。

 ペットボトルに残っていた水を一口含んで、天井を仰いで彼は言う。

 ハリウッド映画であれば「くそったれ」

 テレビドラマであれば「死にたい」

 小説であれば「……」

 マンガであれば哀しみの表情でダメージを負った心模様を表現しているところだろう。

 しかし、彼は違った。

「助けてくれ」

 その一言、発しては空中にとけていく。そのときだった。


「誰もいないのに?」

 背後より、心のつぶやきに返事あり。

 水櫛は驚いてイスが回転するよりも早く振りむいた。


「……目倉(めくら)さん。失礼しました」

 扉の開閉音は聞こえなかった。

 いつのまにか入室していた彼女はコツコツとヒール音を鳴らし、水櫛へと近寄る。

 紺色のジャケットに灰色のパンツ。シワひとつない出で立ちで、出勤したばかりかと思うほど髪は七三でピチッと分けられていた。

 カツッとかかとを揃え、不思議そうな顔をして立ちあがった水櫛の前で止まると、無表情で厚みのある書類を渡して言う。


「追加の調査依頼が入ったのだけれど、いま対応できる?」

 水櫛も素人ではない。その書類を一瞥すれば、どんなものかは把握できた。

「今からこれを、ですか? もう……」

 常識的にどうなのかと、メッセージを伝えたいが言葉にできない水櫛はこれみよがしに時計に目を配る。

「あら、ごめんなさい。もう帰る時間だったのかしら?」

 目倉と呼ばれた彼女は水櫛の心を察したのか、言葉にして聞いた。

 彼女は話すときは相手の目をジッと見据え、空色の瞳をそらすことはないタイプの人だ。

 決して威圧的ではなく、熱くなっていたものは冷めるように、誠実さを試されているような瞳をしている。

「はい、そのつもりなんですけど、たった今部長からも調査依頼がありまして……」

 みなまで言わない。それが水櫛の会話スタイルだ。


 目倉は散らかった机の上、袖机の書類、忙しなくモニターの画面を見て、深く息をついた。

「相変わらず大変ね、ここは……わかったわ」

 目倉は一度わたした書類を水櫛より返してもらうと、隣借りるわねと言ってイスを引いた。

「え、目倉さん?」

 彼女の意を解するのに遅れて、水櫛は聞き直した。

「なによ? 一人のほうが都合いいっていうなら、私も戻るわ。ヒマじゃないしね」

 といいつつ、目倉は眠っていたパソコンを起動してログイン用のIDとパスをタカタカッと叩いた。

「あ、え……いいえ」

 無表情な目倉の男前な態度に、水櫛の瞳は潤んできた。

 しかし、気づかれないようにイスに腰を下ろし、自らも業務に仕掛りはじめた。


 カタカタカタカタ、と骨の擦れあうような音が数十秒なりつづけた。

 水櫛の心から先程の沈んだ気分が消えたころ、彼は思いだしたようにボソリと呟く。

「目倉さん、あの……ありがとうございます」

 遅れてでも感謝を伝えようと、ひと匙の恥ずかしさを飲みこんだ。

 すると、目倉は素早いタイピングとクリック音をゆるめることなく、小さく「ん」と返事をする。


 そのさまにグッと水櫛は落ちるほどの涙が目に滲むが、これまた作業に没頭してごまかした。




 どんなに疲れていても、精神がやられていても。

 きっかけが与えられれば人は時間を忘れて没頭する。

「……ただし、きっかけを得るのは日頃の行いかな」

 数十分が経っていた。部長のオコ案件の電話処理も済み、数枚の書類も片付いた。

といっても、処理しなければいけない情報はまだまだある。

 そんな状況をあざ笑うかのように、メインモニター横の赤べこの模型がニコニコと首を振りつづけていた。

 ふと、一人の作業時間が長くて独り言がクセになっていた水櫛は、そんな実感を言葉にしてしまう。いったそばから「あ」と焦り、聞かれたかと彼女のほうへ目を配る。

「なにか言った?」

 どうやら音は聞こえていたが、意味までは届いていないようだった。

「あ、いえ。なんでもないです」

 引っ込み思案がはたらき、水櫛はごまかすように視線をモニターへと逃がす。

 また、タイピング音と時折のアラーム音だけが二人の間に流れつづける。

 一枚の処理が終わり、次の書類へ。

 依頼のあった回線状態を調べ、また終われば処理済みの印を押し、また次の処理へ。

 一見、無意味にもとれるこの作業。水櫛は好きだった。

 いったい誰のためにやっているのか、わからない。

 いったい何のためにやっているのか、わからない。

 ましてや、いつまで同じことをやればいいのかすらもわからない。

 しかし、言葉にはできないけど水櫛はこの単調な作業にわずかな意味を感じとっていた。

 効率家からすれば、なにを無駄なことを。と言われるかもしれない。

 革命家からすれば、気にもとめないくらい瑣末なことかもしれない。

 それでも、水櫛は投げだすことなく、淡々と作業をつづける。


 このB3保守部は、水櫛含め三人しかいない部署であり、他のものは残業はあっても既に業務を終えて帰宅していた。

 いつもなら水櫛も21:00には帰っているところであったが、今日に限っては処理しなければ情報が多くあった。いつものこと。とくに不平不満も言わずに、言ってもムダだと知っていて、いつものことだと自分に言い聞かせるのである。


 B3保守部にくる仕事といえば、情報が生まれ、処理され、誰の脳からも消える一歩手前の過程を行う部署である。無意味といえば無意味であろう。

 しかし、処理する部署があって、人がいて、給料が発生していれば無い意味にも枠がつき、必要ということになるのである。

 色々と他部署からもひどい扱いを受けることをあっても、水櫛はできるけど前向きに考えるようにしていた。逆に言えば、そうでなければ即押しつぶされてしまいそうなくらい負荷の多い部署なのだ。
 もちろん、水櫛は世間一般でいわれる”社畜”という部類に、自分も含まれていることは知っている。

(さて、次は……なんだこれ)

 一枚の処理が終わり、次の一枚を手にとったときのことであった。

(印刷ミスか? なんで真っ黒なんだ?)

 黒い紙が一枚まじっていたのだ。

 他の書類とサイズは同じA4。

 しかし、なぜだか紙面は切れたトナーで印刷したような擦れた黒色で、文字ははっきりとした白色だ。まさに白黒の色だけが反転したような書類だった。

(これ、処理しなくていいかな……)

 彼女なら何か知っているかもと、水櫛は聞こうとしたが彼女はカタカタと静かに集中している様子。声をかけずらい雰囲気でもあったため、水櫛はとりあえず内容に目を通してみる。


【〜社員の超過業務における是正勧告書〜】


謹啓

陽春の候、貴社ますますご清栄の段心よりお慶び申し上げます。

平素は、格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。

さて、かねてより貴社の従業員の勤務体系には感服しておりましたが、お陰さまで下記のとおり無限会社ヘルワークスを設立する運びと相成りました。

つきましては・・・


内容はつづいていたが、水櫛はそこまで読んで書類の宛先がここではないことを察した。とても美しいフォントと、感情ののった定型文、そして読み手を疲れさせない構成。

書類の作り方にはこだわりがある水櫛も、限りなく100点に近い点数をつけていた。


「すみません、目倉さん。この書類、どこアテかはわかりますか?」

 カタカタ、カタカタ、カタカタ−−−。

 彼女はモニターに向かったまま、タイピングをつづける。

 水櫛は声が小さかったかと、一度水を飲んで再び声をかけてみる。

「すみませんっ、目倉さん。この書類についてわかりますかっ?」

 カタカタ、カタカタ、カタカタ−−−水櫛が異変に気づいた瞬間でもあった。

 まるで声が届いていない。目倉は無視をきめてるわけでもなく、仕事に没頭しているわけでもなかった。

 そう、水櫛自身がなにかに包まれはじめていたのだ。

 左手に持っていた白黒反転した書類。なにやら摘んでいる指先にもぞぞもとした感触を感じる。

(なんだ、気持ちわる……ッ!)

 パッと書類を放し、水櫛は立ちあがった。その動きはゴキブリを見つけたときのように俊敏なものだ。

 水櫛の目は書類を凝視する。そして指先に残る感触の元を見つけることとなった。
(な……なんだよ、なんだ……)

 理解に苦しんだ。正しくは理解ができなかった。

 その光景は、扉をあけたら虫がうじゃうじゃといる光景よりも、おぞましく感じた。手放した書類は、落ちなかった。

 黒紙面はコルクボードにピンで留められたかのように空中に留まったまま、水櫛の握っていた形を残していた。

 おまけに紙面に羅列された白文字はうぞうぞと動き、一種の美しさを感じた形式や段落の使い方を乱暴に壊す。


 水櫛は目を離せなかった。

 息をのむ間もなく、水櫛の意識は紙面に飲みこまれていく。

(あ、あ、あ……誰かに……掴まれた?)

 手のようなイメージが先行し、水櫛は白文字を凝視することしかできなくなる。

 書面の白文字達が右へ左へ、上へ下へと移動し、変則的なメッセージを再構築する。



「つきましては・・・過労申告のオオイ貴社を我が社の傘下と、させてイタダキまス」


 バチンッ。となにかが途切れ、水櫛はハッと我に帰る。

 カタカタ、カタカタ、カタカタ−−−。

 横を見れば、目倉が相変わらず仕事に集中する姿があった。

 水櫛はあたりを見回し、時計、笑う赤べこ、モニター、そして手に持ったままの書類を確認した。

 深呼吸を二度、三度くりかえして、状況の整理ができたところで髪をくしゃくしゃと乱した。


(なにも変わっていない……てことは、寝オチ?……まぁ、目倉さんにバレなくてよかった)

 水櫛は気になった書類をもう一度みなおした。

 しかし、そこにあるのは変哲のない回線調査依頼だ。

 白黒の反転した書類なんて、ありはしなかった。

(オレ、疲れてんな。これはまずい、部長には明日どやされてあげるとして今日はこの一件で引き上げよう)

 水櫛の業務には、ある程度の集中力と正確性が必要であった。

 なぜならタイピングミスは、機器へのコマンド(命令)のミスにつながる。

 つまり、一文字ミスするだけでも十分に故障につながってしまうのだ。

 疲れたときにはムリをしない。するなら休憩をとってから行うべき。

 この仕事のルールは水櫛自身が定めたもので、いまだかつて破ったことはなかった。が、寝オチしかけたとなっては、もはやムリがきているのだろう。


(さ、この一件はしっかりこなして帰るか……)

 幸い、最後の一枚は親切な部署からの依頼書だった。

 たいていは、ただ調べてといった調子のぶんなげ依頼ばかりだが、この依頼書だけは調べる手順や使用するコマンドまで丁寧に書いてあった。

 よい手順は、よい命令となって、人に疑わせることをしない。

 そう、良い手順は疲れている人間を機械よりも従順にするものなのだ。

(えーと……なんだ、端末に入るだけでいいのか)

 水櫛はカタカタと慣れた手つきでタイピングをして、依頼書にチェックして、完了の印を押した。

 処理した書類をまとめ、部長と他部署へメールを一通ずつ送って、帰り支度をはじめる。

「あの、目倉さん。本日はありがとうございました。手伝ってもらっといてなんですが、今日はこれで帰ります」

 少々、薄情な気もしたが目倉の性格を知っている水櫛はそう言わざるを得なかった。手伝おうと言うもんなら、鋭く睨まれて「帰れ」と言われるだけである。

 だから、この言い方が彼女にとっても水櫛にとってもベストなものだった。

「ええ、おつかれさま」

 目倉は一度、手を止めてそう言うと、再びキーボードを叩きだす。

 その帰って当たり前と言ってくれる姿に水櫛は頭を下げ、「失礼します」と言って退室していった。


 −−−目倉一人となった室内には無機質なタイピング音だけが響いていた。

 水櫛の席にある端末にて、異変が起きようとも誰も気にすることはない。

 モニターに表示されている黒の画面、白の文字。常時起動されているターミナルソフトだ。

 ぽつぽつとカーソルが点滅をくりかえし、コマンドの入力を待っている。

 コマンドがなければ動くことはできない。コマンドが一文字でも間違っていても、同じである。それが機械のはずだ。

 しかし、そこに映っているものは常識をひっくり返すものだった。

 誰もみたことのないコマンド、解読不能のプログラム、化けた文字列が音を立てずに滝のように流れていたのだ。

 すべては、水櫛が打ちこんだコマンド・・・【 Hellnet 】から始まっていた。

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