非日常から日常へ
目が覚める。
安藤の視界に映るのは、10センチほどの、目と鼻の先にある円形の曇った窓だった。棺桶の中に居るような閉塞感。
手を動かそうとする。何かに拘束されているのか、力が通らないのかびくともしない。
上体を起こそうとすると、その動きを感知したかのように空気の圧縮音と共に蓋が開く。
蓋の開く緩慢な動きを眺めながら、医療用の全神経接続デバイスに入っていただろうかと安藤は考える。
こうして意識は肉体に戻っているのに、インターネットに流されてからの過程周辺の記憶がない。
もしかしたら、覚えていないだけで一旦連れ戻されたものの何か突発的なイレギュラーが起きてこちらに移されたのかもしれない。
そして開けた視界に映っていたのは見慣れたイレイズiのVRルームの天井ではなく、鬱蒼と生い茂るジャングルのように、無数の何らかの管によって天井を覆い尽くされた光景だった。心なしか空気も汚い。まるで廃墟だった。
さすがに安藤も不安になる。
何らかの事件があって棺桶ごと場所を移送されたのかもしれない。それなら弓谷は無事なのだろうか。
『登録者の帰還を確認。シミュレーターノイズへ巻き込まれて強制排出。登録者への影響は軽微』
電子ノイズ混じりの合成音声。
聴覚が目覚め、脳に酸素が行き渡ってようやく意識がはっきりしてきた。
安藤は上体を起こす。
ふわふわと浮遊するロボットがゆっくりと近づいてきた。安藤はぎょっとして目を開く。
安藤の目前に居る2リットルのペットボトルをベースに加工したようなロボットは、どういう原理かはよくわからないが浮いていた。
下部にスラスターらしきものと青白い放射光が見えたので、魔法的な何かではないのは確かだった。
『シミュレータに齟齬が発生。今回の強制排出はソフト側のバグであると断定』
「は? え?」
『登録者がシミュレータ内で定期的に利用している区域は流動性が高く、脳へのダメージ率も高いので非推奨』
ロボットは安藤の戸惑いを無関係に言葉を続ける。
シミュレータとは何なのか。……いや、言葉の意味は判る。そして恐らく指し示しているのは安藤自身が今寝そべっていたこのポッドだろう。
「待ってくれ、インターネットは……弓ちゃ、弓谷は……バグは……?」
『現在シミュレータ再起動を試行中…………完了。シミュレータ内ノイズ除去を確認。バグは除去済。PC-23562個体名『弓谷千尋』は健在』
安藤だって日頃から仮想世界に慣れ親しんでいる身だ。ロボットが言わんとすることは薄々判る。ただ頭がそれを理解に落とし込んでいいのか懐疑的になっていた。
このロボットの言うことをそのまま飲み込むのなら、ロボットはこう言っているのだ。
安藤が現実と思っていた世界こそが
「混乱して頭が痛くなってきた……」
『当機にはヒューマンメディケーション機能は搭載されていない。最寄りのヒューマンメディケーションシステムは5キロ東のリニア管制塔内に存在。しかし37日前に当該方面へ飛ばした観測機がおよそ3キロ地点でロストしている。該当区域に未知の脅威が存在する可能性』
さっきからこいつは何を言っているんだろう。
言っている言葉は判るが、内容は安藤の理解を軽く超えていた。
安藤はロボットが浮かんでいる奥に窓があるのを見つける。
安藤は無言で立ち上がる。コレは本当に自分の体なのか、と思えるほどに違和感。
手足は動かせはするものの明らかに栄養が足りておらず、服装も大きな布一枚を羽織っている程度の簡素なものだった。
ふらふらと安藤は円形の窓に近づいていく。普段の自分の体ではないみたいに足は重く、頼りない。
窓から外を覗き込むと一面の荒野が広がっていた。
東に墓標のように聳え立つ風力タービン郡が見える。見える範囲ではおよそ三分の二ほどが羽がなくなってその役目を果たさなくなっている。
そして西側には戦車と思わしき車の残骸がいくつも転がっている。中心部に砲塔があるのが戦車と考えた根拠であるが、タイヤはなく、安藤の直ぐ側に居るロボットのようなスラスターがいくつも下部についているのが見える。
「ここは……どこなんだ……?」
安藤は呟く。もし本当にこんな世界があるとするのならゲームの世界以外にありえない。だがインターネット上でいきなりこんなところに飛ぶなんてことは聞いたことが無い。
そうして選択肢を絞っていくと、最終的に残っていくのは一番考えたくもない可能性で、
『登録者がそれを当機に尋ねるのは41回目。シミュレータに如何なるソフトをインストールしても記憶欠如が確認される為、シミュレータ自体に登録者の脳に深刻な影響を及ぼすバグがあると推測されるが、特定できていない』
ロボットは続ける。
『当機は回答する。ここはユニバース発電所観測塔跡。260年前に放棄された塔であったが設備が比較的使用可能な物が多かったので入植者によって再利用された』
「入植者……他にまだ人がいるのか?」
『いない』
安藤はにべもない返答に肩を落とす。
もっと情報がほしい。そう思って安藤は今いる箇所を見渡す。
天井から剥がれた管が枝垂れている向こう側に扉を見つける。
安藤はそちらに足を向ける。
管をかき分けると、その扉の上に薄汚れていたが「会議室」と書かれているのが見えた。
何か資料が眠っているかもしれない。
『登録者』
扉を開けようとした所で、ロボットの声に安藤は立ち止まる。
『その扉へのアクセスは推奨しない。過去の事例を見るに、登録者の精神には衝撃が強すぎると判断』
これ以上嫌なものがあるのか、と安藤はやけっぱちな気持ちになったが思いとどまり、代わりに尋ねる。
「……ならせめて言葉で聞かせてくれ。この向こうには何があるんだ?」
『予備の人工素体』
予備の人工素体が何を表すのか全くわからない。ただ何か嫌な予感はする。
『過去、扉を開けて正気を保っていた際に登録者は死体の加工場のようだ、と表現。人類の観点的にあまり良い印象の光景は広がっていないと判断』
安藤はロボットの発言に何か引っかかりを覚える。正気を保っていた際、とは正気を保てなかった時があったかのようにも受け取れるが表現上の齟齬だろうか。
なんだか……もういいや、と安藤はあれこれ考えるのに徒労感を覚えてきた。
ここは自分や誰かの助力で何かが改善するという内容があまりにも少ない。ただただあまりにも退廃的な世界観をどこまで受け入れられるか、求められているのはそれだけな気がする。
これが仮想世界ならあまり自分の趣味には合わない。
安藤は小さく首を振ってロボットに問いかける。
「シミュレータは……まだ使えるのか?」
『再起動済。使用可能』
「ならまた頼む……俺が今までいた所に戻してくれ」
『了承。シミュレータを起動する。登録者にポッドの使用を要請』
安藤は頷き、ゆっくりとポッドに戻って横になる。
ロボットがマニピュレーターを使ってポッドの操作を行った。
再びゆっくりと蓋が閉まる。同時にすべての音が遠くなった。
内部に設置されたスピーカーからロボットの声が聞こえてくる。
『これより180秒後にシミュレータを起動する』
安藤は目を閉じてその時を待つ。
だが意外なことにロボットが言葉を続けてきた。
『……登録者がこちら側を受け入れられず、シミュレータに戻るのは36回目である』
その言葉を聞いて安藤はおやと思う。数が合わない。人事不省のような状態から戻って現状を問いただしたという回数はそれよりもう何回か多かった気がする。
「あと……何回かは戻らなかったのか?」
『過去7回戻らなかった。3回は塔内探索中に死亡。4回は外へ探索へ出て、2回は地雷原での死亡が確認された。残り2回は未だに消息不明』
「死んだ? ちょっと待て、死んだっていうのなら今ここに居る俺は……」
『登録者は登録者である。シミュレーター外で一定時間以上の生存が確認されなかった場合、登録された意識データを人工素体に転写する。
その後、神経系の接続が不十全な登録者を、塔内で唯一医療的要素を持ち合わせているシミュレータに設置。
登録者の意識がシミュレータ内で活性化している際に再生細胞の注入を行い神経系の正常化を図る』
なんだ、と安藤は思う。
結局どちらでも同じなのだ。シミュレータ内で何かあってもここに来るだけで、ここで何かあっても安藤にはよくわからない方法で自分が複製される。しかも今この場で見たようなこの忌まわしい記憶は持ち越してないときた。
どちらが日常で、どちらが非日常なのだろう。安藤の感覚的には、こっちの世界の方が非日常だ。早く戻りたいと思う。無性に弓谷の入れたカフェオレを飲み直したい気分だった。
シミュレータが起動する。
安藤は
今日はインターネットに潜ろう (°_゜) @Munkichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます