今日はインターネットに潜ろう

(°_゜)

日常から非日常へ

 放課後の開放感に腕を伸ばしてあくびを一つ。


「あー終わった終わった」


 安藤は水曜の放課後は何をしようかと気持ちが浮足立つ。

 月曜日が終わってもあと四日あるし、金曜日が終われば二日休みにはなるが翌日が休みだと思うといつもだらけてしまうのでよろしくない。

 安藤には真ん中の水曜がちょうどよかった。


「今日どっか潜りにいく?」


 と、安藤とよく遊びに行く小林が言う。

 安藤は昼に購買で買っておいた一日分の鉄分が補充できるという飲むヨーグルトを一気に飲み干し、ゴミを机に突っ込む。


「ごめん、今日おれバイトで潜るから」


「そっか、んじゃしゃーねえな。また明日」


 小林はあっさりと言うと、鞄を背負って教室を出て行く。安藤もスマホを見てバイトの時間が近いのを見て教室を後にした。




 どちらかと言えば安藤だって小林と気軽に行くようなゲーセンで潜る程度にしたい。

 昨今潜ると言えばインターネットかゲームかを指すことが多い。家庭用VR型MMOなどであればフルダイブを行って完全になりきることだって出来る。

 環境や防犯の面からゲーセンではさすがにフルダイブはできないが、ヘッドマウントディスプレイを使用したVR世界でゾンビやエイリアンから世界を守ったりすることはできる。そして最近はゲーム会社で連携を取っていて、ゾンビやエイリアンを倒した報酬が各VR型MMOで特殊な武器を買うための特殊な通貨になったりする。

しかしゲーセンで遊ぶのだって金が必要なのだ。


 潜って稼ぐタイプのバイトも少なくない。そして潜る適正は完全にネイティブになった十代から二十代が非常に高く、その年代も潜るのが好きな層が多いこともあって需要と供給の適正が一致している。

 特に人気があるのが種類も多岐にわたるVR型MMO内でのバイトだったが、VRに対応した今となってはインターネット内でのバイトも少なくはない。

 安藤はMMOの自分ではないキャラクターになるというのがあまり得意ではなかったため、インターネットでのバイトを選んだ。




 安藤のバイト先はオフィス街にある小汚いビルの3Fにある。

 外から見ると窓にはブラインドがかかっていて何も見えず、床の塗装が剥げきったエレベータで3Fに上がると黄ばんだ扉に「イレイズi」と書かれた札がかかっている。


「はよざいまーす」


 緩い挨拶と共に安藤が室内に入ると、


「あっ、おはようございます!」


 思わず花に例えたくなるような愛らしい笑みと共に、同じバイト仲間の弓谷が声を掛けてくる。

 肩まで伸びた髪は染めたに違いないと思えるほど茶色く見えるが、弓谷曰く地毛らしい。

 確かに安藤も弓谷と初めて顔を合わせて一年近いが髪の根元が普段より黒いというところを見たことがない。

 今日はなんとなく髪と顔のコントラストが少し強いのか、普段より大人びて見える。


「ちょうど今カフェオレ作ってたんです。安藤くんも飲みますか? と言っても、簡単なやつですけど……」


 そう言われて安藤が弓谷の手元を見ると、ラテベースに牛乳をとぽとぽ足している所だった。


「ありがと。じゃあ貰おうかな。所長は?」


「ちょっと待っててくださいね。所長は商談があるとかで今日は戻らないみたいです。今日は藤山さんがいらっしゃるんですけどさっきコンビニ行っちゃいました」


 安藤は学校のカバンを適当なところに置く。

 少なくとも監督責任者である所長か、社員の誰かがいないと潜ることはできない。他に誰もいなさそうだったので、藤山が戻るまでは待つことになるだろう。

 だが空調の聞いた室内で弓谷と話す時間も悪くはないと安藤は思う。それに何よりこの時間もバイト代は出るのがいい。


 弓谷は安藤の学校とはこのバイト先を挟んでちょうど反対側にある女子校の生徒だった。

 バイト禁止の学校だからこっそりやっているので秘密にしておいてくださいね、とは彼女の言だ。

 なるほどこのバイト先はバレるバレないで言えば大変バレにくいだろうと安藤は思う。ただ、その代わり何か怪しい企みに手を貸していると疑われるとは思うが。


 それを聞いた時に安藤が言った制服のままで来たらバレちゃうよ、という言葉に弓谷は大いに得心がいったらしく、今では上にパーカー、スカートの下にジャージを着込んでいる。スカートの下にジャージを着るのはあまり意味ないと思うし、何より太ももが見えなくなって安藤は内心ひどく残念だった。


「今日潜る場所とかについてなんか聞いてる?」


「あ、はい。企業サーバー内にホームページが生えてきたみたいだからそれの調査だそうです」


「また? 最近企業サーバー多いね。まあいいや、今度はどんなのなんだろ」


 インターネットの利用ですらVRデバイスを使用することで五感のフィードバックが搭載されて以来、その表現力は無限に広がった。

 黎明期こそ仮想的な町並みを仮想空間上に作り上げ、そこに各メーカーが出店するといった「家にいながらウィンドウショッピングができる」と言ったような内容の売り文句ではあったが、徐々にその形は変わっていって使用者が慣れてくるに従い仮想上ではあったとしても店舗としての形は求められなくなって行き、情報を湛えた海のようになった。

 その海に潜り、触れる感覚から求める情報を即座に呼び出すといった形に変わっていったのである。


 だが全てがそういう形になったわけではない。

 フルダイブ世代からは旧世代と揶揄されることもある、従来のモニターに情報を映し出してのインターネットもそのまま依然として両立していた。

 もちろんそちらは形式を変えることなく、整ったレイアウトで情報を表示するスペースとしての機能を持っている。


 だがインターネットがフルダイブ対応になってからと言うもの、五感フィードバックの制御プログラムに問題があったのか、時折誰も作っていないホームページが生まれるようになってしまった。

 インターネットブラウザーで見る分には意味を成さない、もしくは若干おかしな体裁のホームページでしかないが、潜った状態でそこにアクセスしてしまうと五感に様々な酩酊感を与える一種の電子ドラッグになってしまっている。

 そのように自動的にインターネット上に生えてきたホームページを駆除する必要がある。


 安藤のバイトはその手のインターネットによる自動生成物の駆除だ。

 イレイズiはバイトを含めても五人しかいない小さな駆除屋だ。業界最大手のブラウズバスターズなんかは従業員を数百単位で抱える最大手だが、昨今の自動生成されるホームページも数を増しており、幸いにもイレイズi程度の規模の会社であれば競合はしない……というのが所長の言だった。


「そういえば、ブラウザでさっき表示してましたよ、今日潜る予定のトコ。見ます?」


 と言いつつ弓谷はパソコンに向かっており、安藤にむかっておいでおいでと手招きをする。


「企業の404エラーページから自動リンクで飛ばされる先にあったらしく、一度観測されてからは検索botにも引っかかりだして一気に広まったらしいです」


「広まった?」


「はい。その企業が絡んでるんじゃないかって」


「ええ……?」


 そんなことはないだろうと安藤は思う。恐らくその辺りは弓谷も同じ考えのはずだ。

 自動生成されるホームページには人為的に作成するには完全に破綻したパターンで生成されることが殆どで、要は人間で言えば明確な設計に基いてゴミ屋敷を作り上げるようなものだ。

 絶対にできないとまでは言わないが、そんなことをするやつはまずいない。


「だからその企業が削除を頼んだらしいんですけど、ブラウズバスターズは最近自己増殖型のホームページ群に人海戦術で取り掛かってるらしくて人手がないらしく、ウチにお鉢が回ってきたのです!」


 大きい仕事が回ってきた、というのが嬉しいのか弓谷は嬉しそうに胸をはる。安藤も嬉しい。企業からの急ぎの以来はバイト代に色が付くからだ。

 そして安藤はモニタに表示されたページを覗き込む。

 表示されている内容については、いつも通り言葉を適当にした羅列したようなものだ。

「形而下における魂はトマトソースを大さじ一杯電解コンデンサがショート」「深海の生き物は花火がうまいから一度に半期を売りつくし」「燃えないゴミの日はショーケースで鳩の糞」一見文章っぽい体裁にはなっているが意味は通らない。


 そして何よりの問題は、有名なアパレルサイトのレイアウトがそのまま流用されているところだ。

 これは確かに関与を疑われても致し方ない。とはいえ、疑われるといっても愉快犯であってさすがにこの企業が意図的にやってると推測をするのはこの企業に親でも殺されてないと難しいと安藤は思う。


「今回も弓ちゃんはサポート?」


「いえ、今回は私も潜ります。結構専有してるスペースが大きいらしいので、潜ってのサポートです。まだこないだので腕がちょっとピリピリするのであんまり深くは行けないですけど」


 弓谷はえへへ、と笑いながらパーカーの上から腕をさする。


「大丈夫?」


 先日のバイトの時にうっかり変なホームページに触れて感電に近い症状を起こしたらしい。安藤はそれしか聞いていないが、少なくとも弓谷の反応を見るに大事では無いのだろうということはわかる。


「大丈夫ですよ! ちょっとだけ怒られましたけど……。より気をつけます!」


 と、ガッツポーズ。

 弓谷の袖余りが大変可愛らしい。安藤は弓谷のこういう仕草は天然なのか計算なのかとちょっと斜に構えた男子っぽく考えるのだが、本当のところはどっちだって良かった。そういうあざといのは大好物である。


 安藤がそんなことを考えていると、


「うーっす、戻ったぞ。おっ、安藤も来たか。ちょうどよかった」


 ドアがきしむ音と共に開き、藤山がコンビニ袋を引っさげて入ってきた。ウルフヘアに薄紫に染めた髪。面長な本人の特徴もあってどことなく動物っぽい印象もある。悪い顔立ちではない、とは弓谷の言だが野暮ったい印象がどうにもついて回るのは落ちそうにない汚れがついて使い古し感満載の白衣のせいだと安藤は思う。

 藤山はカップ麺がごろごろ入ったコンビニ袋から3つ入りのプリンを取り出す。


「あれそこのファミマですよね? そんなの売ってましたっけ」


「いや、これだけ先のスーパーで買ってきた。ほらよ」


 ビニールを破って安藤の前に置かれるプリン。弓谷は嬉しそうに両手で受け取る。


「さて」


 藤山が椅子に座りつつ、PCのキーボードを操作する。


「ブリーフィングだ。普段に比べればそこそこ案件はデカいが、とは言ってもいつもと変わらない。調査してホシなら報告。ゴミなら消去。それだけだ。質問は?」


 安藤と弓谷は特に何もありませんとばかりにプリンを食べる。

 藤山は頷き、残ったプリンを啜るように一気に食べる。


「アクセスコードを送信した。それじゃあさっさと終わらせるぞ」


 そう言って立ち上がると、事務所の奥にある暗室のドアをあける。

 ベッドが二つと奥に棺桶のようなポッドが一つ。ベッドの脇にはそれぞれごちゃごちゃとしたケーブルが生えたヘルメットが一つづつかかっている。部屋の中央では空気清浄機と和紙を使用した間接照明が点けっぱなしになっている。


 イレイズiには二つの潜るためのデバイスがある。

 ヘルメットのようなヘッドマウント型と、棺桶のような全神経接続型と呼ばれるモデルだ。

 違いは明確だ。ヘッドマウント型のものは脳の信号そのものを仮想空間上に転送するもので、全神経接続型のものは主に医療用で使用されるモデルだ。リハビリ等でも使用されるが、冷凍睡眠のような用途でも使うことが出来るらしく、その外観から棺桶と呼ばれる事が多い。


 イレイズiでも普段はヘッドマウントが主流で、棺桶の蓋が開かれることは滅多にない。

 安藤がイレイズiに入って最初の頃に体験させてもらったくらいで、以降日の目は見ていない。


 安藤と弓谷がそれぞれヘルメットを装着してベッドに横たわる。


「接続するぞー。さーん、にー、いーち」


 やる気のなさそうな藤山の声。全身にピリっとくる感覚が来て、閉じた瞼の奥に吸われていくような感覚、一瞬呼吸に突っかかりを感じて再び普通に呼吸が出来るようになった時には安藤はインターネットの中に居た。


 現在地はセーフポイントであるイレイズiのサーバー領域内だ。

 イメージ的にはイレイズiのサーバー領域が一つの部屋のようになっている。どこかのモデルルームのデータでも買ってきたのか、嘘くさいくらいに小綺麗に家具が配置されている。実際のイレイズiの事務所内とは似ても似つかない。


 そしてそこから一歩でも足を踏み出せばたちまちに底のないインターネットの情報奔流へと潜ることになる。


『安藤くん、どうですか?』


 外から弓谷の声が聞こえてくる。外というよりは上から降ってくるような印象だ。


「うん、大丈夫。先に潜ってるよ」


『はい、すぐに向かいますね』


 その短い応答を終えると、サーバー領域内にアンカーを刺して安藤はインターネットに飛び込む。


 安藤はいつもその瞬間の感覚に慣れない。水の中で方向を失う感覚に近いだろうか。数十秒だか数分だかの体感時間を経ると、徐々に適応化が成されてきてようやく自分が今身を置いている情報に気を配れるようになる。

 ちょうど今居る情報帯はソーシャルゲームの課金制度に言及したニュースのホームページと、風呂が楽にきれいに保てる日々のコツをまとめあげたブログのところだ。


 インターネット内では距離の概念はない。情報を探しに行こうと思えば次の瞬間にはアクセスしている。潜っている状態で指向性を指定しない限り、通常では処理しきれない速度で流れてくるフィードや話題のニュースをかき分けていくことになる。

 安藤は腰につけた、アンカーに繋がっている紐を軽く引いてみる。しっかりと固定されている感触が返ってくる。大丈夫だ。これなら弓谷もすぐ来るだろう。


 安藤は目を閉じ、情報から自分を切り離す。

 アンカーをつけているとは言え、今のこの状態で踏み出せば情報漂流するかもしれない。情報漂流というのはこっちのインターネットに潜っている最中に情報の波に流されることだ。

 一度情報漂流に陥ると情報過多で頭がパンクするか、自我を見失ってしまって廃人になってしまう。情報漂流は三時間で発見が絶望的、三日で死亡と断定される。

 そしてそれを防ぐためのサポーター、アンカー、監督である。だが、想定外は何事にも起こりうることだった。



 きゅ、と控えめに手が握られる感覚があり安藤は目を開けた。


 ちょっとひらひらの、ドレスというには子供っぽく、どちらかと言うと魔法少女を志向したような衣服に身を包んだ弓谷がちょっと緊張気味の顔で安藤の手を握っている。

 安藤はどでかいバックパックを背負って細々とした装備をつけた登山家のような格好をしているから、弓谷のコスプレのようにも見える格好と並ぶとどうにもアンバランスさが浮き上がる。


「びっくりした、一瞬安藤くん見失っちゃったかと思って焦りました」


 よかった、と安堵の表情で弓谷が胸に手を当てる。

 安藤はそこで周囲を見渡してみる。

 サポートの役割は経路の安定化だ。安藤は滝のように情報が流れ続ける奔流に身を投じたが、弓谷が手を入れたことによってその様相は一変していた。

 ヴィクトリア様式をイメージしたような瀟洒なアンティークめいた装飾のなされた廊下が延々と続き、一定間隔で扉がついている。ここが仮想世界でなければ広いホテルと言われても安藤は信じたと思う。


 最寄りの扉には交通事故でマンションの三階に車が突き刺さったというニュース、対面には高校野球のハイライトのニュースのそれぞれの見出しタイトルが表札のようにかかっている。

 安藤には信じられないくらい綺麗に設えられている。同じことを安藤がやろうとしたところで精々安普請のアパートか、装飾も手すりもない病院の廊下みたいなものしかできないだろう。


「大丈夫。よし、行こう」


 そう言うと安藤は高校野球のハイライトの札がかかった扉の前に立つ。


「アクセスコード:pEqUHw7vpvtc」


 札に記載された高校野球のハイライトという表示が消えて、【エラー:リジェクト】という表示が出て次の瞬間には新発売のタブレット端末に関するニュースが札に記載されていた。


「あれ?」


 安藤は弓谷と顔を見合わせる。


「あの、藤山さん? アクセスが有効じゃないんですけど……」


 弓谷が監督をしている藤山に通信すると、ゴソゴソと書類を漁るような音をマイクが拾い、


『うん? ……ああ、すまん。時限で六時半からだったみたいだ。あと十分ちょい後じゃないと開かない。少し時間潰しといてくれ』


 藤山からはそれきり沈黙が返ってくる。

 再び安藤は苦笑を浮かべた弓谷と顔を見合わせる。


「十分か……なんとも微妙な時間だな」


 もう少し時間に余裕があれば扉を自分のニュースフィードに繋いで潜ってようかとも思えただろうが、十分ではさすがに短すぎる。


「ちょっとゆっくりしてましょうか……っ、んんー……!」


 そう言いながら弓谷が腕を前に伸ばして伸びをする。弓谷は暇になると一旦体のだるい部分のストレッチをするクセがあるらしく、ほとんどバイトでしか一緒にいないにも関わらず、安藤はしょっちゅう弓谷の伸びをするところを目撃している。


 腕を上に伸ばしている時なんかは弓谷の胸の形が浮き上がってどきどきしたのであんまり不用意にそういうのをぶっこんでくるのは辞めて欲しいと安藤は思う一方、これはこれで眼福だから決して自分からは口にはすまいと固く心に誓ったこともある。


「そういえば安藤くん、野々鹿駅北口って最近いきました?」


「北? いや工事中で行ける所全然ないから全く行ってない」


 野々鹿駅はこのイレイズiがある場所の最寄り駅だ。

 イレイズiは南口側なので、北口には殆ど行かない。

 安藤も何度か早く付きすぎた際の時間潰しに行ったことはあるのだが、再開発中とかでほとんど営業している店もなくやたら寂れている印象しかなかった。

 野々鹿は中小企業中心のビジネス街なので高校生がぶらつくには本当に面白みのない所だった。


「先々週くらいに再開発終わったって話だったんで行ってみたんですけど、結構大きなデパートができててびっくりしちゃいました」


「デパート? デパートかあ……どっちにしろあんまり俺には需要なさそうかな」


「地下はゲーセンになってましたよ。安藤くんが好きなのあるかわかりませんけど、アーケード筐体やVR筐体も結構あるみたいですし」


「え? ほんとに? それは……ふむ。それなら行ってみようかな今度……」


 そういう話になってくると話は別だ。安藤は考え始める。こんな面白みのないビジネス街にはミスマッチ感しかないが、逆に小奇麗な筐体がほとんど過疎なまま使い放題だとすればそれはそれで面白い。一見の価値は十二分にある。


「弓ちゃん的にも興味引くのあったの?」


 弓谷はちょっと照れくさそうに笑い、


「まあ……化粧品の試供品もらってきたり、地元ではあんまりないランジェリーショップの出店があったので覗いてきたり」


 ランジェリーショップを覗いてきました、と自分で言ったのが恥ずかしくなったのか弓谷は早口気味に言葉を続ける。


「そういえば、私、今日も実はデパートで頬周辺だけですけどメイクしてもらったんですよ! なんかいつもと違いませんでした?」


 言われて安藤は弓谷の顔をまじまじと見つめてしまう。

 今更見ても遅いし、そもそも仮想世界にまで反映されはしない。


「言われてみればちょっと大人っぽい感じだった気がする」


 安藤は正解を引いたらしい。弓谷がニヤけと照れが入り交じったようなもにょもにょした笑みを浮かべて、


「そうです! 今日の私はちょっとだけ大人なんですよ! 安藤くんには弓谷ポイントを贈呈しましょう!」


 弓谷が時々くれる弓谷ポイントは、回数だけで言えば二桁数くらいは溜まっているがそのポイントを使用できる機会があるのかどうかを安藤は知らない。口癖なだけでその場のノリで言っているだけかもしれない。

 ありがたく頂戴するような仕草をして返礼すると、安藤は時間を確認する。

 ちょうどいい時間だった。


「じゃあポイントを稼げた所で、お金も稼ぎに行こうか」


「はい!」


 安藤は再びアクセスコードを唱える。


「アクセスコード:pEqUHw7vpvtc」


 今度こそ扉の札の名称が変わる。


【非開示サーバー区域】


 発覚してからと言うもの、表向きには閉鎖されてるアクセス区域だ。元々社内イントラの範囲で公開している区域でもないし、現在は所属の社員に対しても閉ざされている。管理者用のメンテナンスアクセスコードで侵入することができる。


 安藤はバックパックから釣りに使うようなリールとウキ、並々と緑色の液体で満たされた、5リットルほどの取っ手付ペットボトルを取り出す。このバックパック自体は容量が4TBのHDDなので駆除用のオブジェクトを入れるには十分なくらいの容量があった。


 この液体はイレイズiの社員である若林が作ったワクチンコードで、これまでにも様々な自動生成物の駆除に役立っている。

 緑は一番良く使われるタイプのもので、若林曰く「自壊コード」とのことだった。

 扉をあけると、中は上下に長い縦穴のようになっていた。エレベーターシャフトを途中から覗き込んだような形だ。ずっと下の方に黒々とした塊が蠢いているのが見える。


 見ただけで判る。どうやらここは生成されたホームページの中でもいわゆるハズレの部類だ。

 安藤は未だ見たことなかったが、こういう所にたまに物凄く金になる情報が転がっている事があるらしい。ハズレがここまでゴミゴミとしたハズレ感に溢れているのなら、それは宝の山に見えるのだろうか。

 もっともその手の情報のほとんどは表で流すと法律に反しているとかで警察が来たり、その情報を隠しておきたかった勢力から付け狙われるらしいので安藤は自分では扱いきれないだろうな、と早々に諦めていた。


 安藤はウキのような解析ツールをつけた糸を下に垂らす。

 ウキが下の塊に届くと、腕時計型の端末に通知が届き、自動でウィンドウが立体表示される。

 判定E。これは単なる情報屑、触れたものを無意味な言葉の羅列に変換してしまう単なる汚泥だ。下水の泥のようなものだ。


「ハズレですね……」


 安藤の肩越しに通知を見た弓谷が残念そうに言う。


「さっさと処理して帰ろう」


 安藤はそう言うとペットボトルの蓋を開け、中身を内部に注ぎ込む。安藤はいつもこの作業時は巨大な洗濯機の中にどぼどぼ洗剤を入れている気分になる。

 ある意味間違ってはいないのだろう。

 自壊コードで連結を解き、ホームページとしての体裁を壊してしまうと後には何も残らない。本来存在するはずのなかった、誰も作っていなかったものが何もない状態に戻るだけだ。


 安藤が無心でワクチンを投入していると、ぼごんと下の方で何かが小さく爆発するような音がした。

 砕けたコード同士がぶつかりでもしたのか――と安藤が考え、一旦ワクチンを注ぐ手を止めて縦穴を覗き込む。

 下の方で黒い塊が沸騰するかのように泡立っているように見えた。


「?」


「どうしたんですか?」


 弓谷が手を止めて縦穴を覗き込む安藤に声をかける。

 安藤はそれに答えるどころではない。もし、見間違いでなければ、気のせいでなければ――、


 弓谷も安藤の後ろから覗き込む。


「……増えてません?」


 気のせいじゃなかった。

 安藤はこれ以上は無駄だと判断してワクチンがまだ四分の一程は残っているペットボトルの蓋を締める。


 覗き込んだときの黒い塊がせり上がってきていた。

 ワクチンがうまく動作していないのかもしれない。コードにミスがあれば性質が全く異なるものになることがあるが、これは今まで使っていたもののコピーで手を加えていはいなかったはずだ。


 であれば、コードの方の性質が変わっているか、だ。

 安藤は再び覗き込んで目を眇める。その仕草によって覗き込んだ縦穴の底が拡大される。

 塊としてではなく、個として見たコードは崩壊する側から散ったコードが極小単位で再結合して小さなゴミをますます増殖させていた。


 変異種だ。

 ワクチンを喰って別物のウイルスに変化している。

 結合増殖型のウイルスだ。さすがにそんなものに成り変わるというのは予想外だったし、対策用のワクチンなんぞ持ち合わせはない。


 だが離れることはできない。

 離れてしまえば溢れ出た汚泥から情報汚染が一気に広がってパンデミックが起きるかもしれない。

 感染力があるかまではわからないが、現状の増殖性を考えるとその可能性が高いように安藤は思う。


 安藤はバックパックから手のひら大の錠剤を取り出す。

 これは普通に市販もしているもので、コードをある程度整えてくれる洗浄剤だ。


「ど、どうしましょう」


 弓谷がおろおろとして安藤に聞く。


「とりあえず藤山さんに報告。間に合うかは判らないけど、別のワクチンコードが必要だと思う。増殖してるのがコード単位だから確証は持てないけど、ブラウズバスターズが今やってる案件とおんなじ奴かもしれない」


 こんなことなら藤山か所長あたりにでもブラウズバスターズがやってる案件についてもう少し深く聞いておくべきだったと安藤は後悔する。

 ひとまず弓谷を戻さねばならない。この場で藤山に連絡を取ってもらっても正直間に合うとは思えないし、ウイルスに巻き込まれるのが一人から二人になるだけだ。


 安藤は筒状の小指ほどのトラッキングデバイスのカラビナを腰に引っ掛け、受信機を弓谷のバッグにねじ込む。

 そして手に持っていた錠剤を縦穴に放り込んで覗き込む。塊に沈み込んで表面が白くなるが一瞬で元の黒に戻ってしまう。

 体積に関しても全く減る様子はなく、何も変わらずせり上がってくるのが見える。


「ダメだ、間に合わない……弓ちゃん、後を頼んだ!」


「駄目ですよ! 安藤く……」


 下に手を伸ばせば届きそうな箇所にまで塊がせり上がってきたのを見て、安藤は弓谷をキックする。

 弓谷のアクセスが強制切断されて安藤に向かって手を伸ばそうとしていた弓谷の姿が掻き消える。

 これであとはウイルスに巻き込まれてもトラッキングデバイスが効果を失わなければ良いのだが。


 安藤は扉を占めて背中をドアに押し付ける。

 扉の向こうからは小さく炭酸の湧くような音が聞こえてくる。その音が下から這い上がってくる様をリアルタイムに伝えてくる。

 扉が軋みをあげる。扉に搭載されている遮断用プロテクトが情報の多さに音をあげかけている。

 弓谷が事情を藤山に話しているはずだ。おそらくすぐにでも藤山が何かしらの対策を、


 安藤の体重では支えきれなくなった。


 洪水のように扉の内側から溢れてきた情報断片の波に、安藤は壊れた扉と一緒に叩きつけられる。

 安藤は小型アンカーの役割を果たすピッケルを廊下に突き立てようとしたが間に合わず、そのまま正面にあった別の扉に叩きつけられるようにして中に転がり落ちる。


 前後不覚。


 一瞬だけちらと目を開けると恐ろしい速さで情報が流れていくのが見える。



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 このままではどこかに自身を固定できたとしても戻ることはできない。

 イレイズiのワードで表までは戻れるだろうが、そこから中に入る事はできない。無理に鍵をこじ開けてセーフルーム内に入ったとしても、タイムスタンプが異なっていれば永久に弓谷たちと会うことはできない。


 何か手を――、

 考えるも、自分が何処かへと流されていく感覚に引っ張られてまともに思考を形成できない。

 そうしている内に安藤は気を失っていた。

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