第4話



 僕は、つい昨日、草薙先輩とマクドナルドで話した事を思い出した。

 その時の会話は、僕が須藤さんへ想いを伝えるにあたっての手段として、『ラブレター』を提示し、草薙先輩はそれを時代遅れという理由で一蹴した、そんな内容だ。

 もっとも、そのラブレターという手段が時代遅れであるという見解は、草薙先輩の独断と偏見によるものなのだから、さほど気にするようなことでもないのだけど、やはりこう当事者となってみると、存外先輩の言っていることも間違いではないと思った。


『放課後、屋上に来てください』


 この手紙を見た時、僕が一番先に思うことは「誰からの手紙か?」という疑問だ。

 登校し、正面玄関をくぐり、外履きから上靴に履き替えようと自分の下駄箱を開けた。すると、僕の上履きの上に一枚の封筒が置いてあった。

 宛先も書いてなければ、差出人の名前もない。宛先を書かないことはまだしも、差出人の名前が書いていないことは問題だろう。

 とりあえず中身を確認すると、一枚の便箋。便箋の端のほうにクローバーの模様が描かれていて、どことなく女の子らしさを感じた。

 そして便箋に、一行小さな丸い文字で、その文が書かれていたわけである。


「不幸の手紙か?」


 嫌われることに関してはなかなか定評のある僕だ。不幸の手紙を送りつけられてもおかしくはない。

 それなら差出人の名前がないことも納得がいく。わざわざあなたの不幸を願ったのは私ですと白状する奴はいないだろう。

 まぁ、冗談はさておき。


「これは、所謂、その、ラブレターというものなのかな」


 いや、正確には違うのだと思う。

 ラブレターというと、あなたのことが好きですと、アイラブユーの気持ちを手紙にしたもののことだろう。

 これは呼び出し状というか、なんといえばいいか今は思いつかないけれど、ラブレターとは違うものだ。そもそも、呼び出された先で告白されるとも限らないのだし、ラブレターと判断するのは早計だろう。

 ラブレターと一瞬でも思ってしまったあたり、僕はもしかすると、そういうシチュエーションを期待していたりするのかもしれない。


「佐原、なにしてんの?」


 僕が下駄箱の前で一枚の便箋を広げて立ち尽くしていることが気になったのだろう。同じクラスの北村くんが僕の後ろから声をかけて来た。どうやら彼も今来たようで、僕の横の下駄箱から上靴を取り出している。


「いや、ちょっと不幸の手紙をもらってさ」

「不幸の手紙だ?」


 北村くんは、怪訝そうな顔を浮かべて、僕の持つ便箋を奪い取った。

 今日の北村くんは寝坊でもしたのだろうか。いつも綺麗にまん丸なおぼっちゃまヘアなのに、後ろ髪が少し跳ねている。


「これ、ラブレターじゃねぇの!?」


 北村くんが嬉々とした表情で僕に振り向く。


「いや、不幸の手紙だよ」

「いきなり何言い出すのかと思ってびっくりしたぜ!」


 頑なに不幸の手紙と言い張る僕を無視して、北村くんは僕の肩をバシバシと叩いてくる。やけにテンションが高い。やはり高校生はこういったことを色恋沙汰にして楽しむのが普通なのだろうか。

 僕は北村くんから便箋を奪い返すと、封筒の中にしまった。


「お前みたいなやつに恋する奴がいるんだな!」

「僕を不幸にしたい奴はたくさんいそうだけどね」


 やけに嬉しそうな北村くんに、僕は突き放すようにそう言った。


 しかし、こういったイベントというか、フラグというか、手紙をもらって放課後に誰かに呼び出されるというシチュエーションは初めてだ。ドキドキはしない。ハラハラする。

 放課後に呼び出し、というワード自体はあまり心惹かれる言葉ではない。少なくとも僕にとっては。

 結局、僕は放課後までこの手紙のことが頭から離れず、授業をまともに聞くこともままならなかった。



☆  ★  ☆



 うちの高校の屋上は常時開放されている。

 もちろん落下防止のための柵は、数メートルという高さで張り巡らされているし、この屋上は教師たちの喫煙所としても利用されているため、生徒が使用するにあたって、教師の目が届く場所という認識がこの高校にはあるらしい。

 実際に、この屋上を使う生徒は多く、特に昼休みなんかは昼食を取るのにもってこいの空間のようだ。ある程度広い上に、風通りもいい。優雅なランチタイムにぴったりなのだろう。

 だが残念なことに今は11月。すっかり冷めきった風に吹かれながら昼食を摂ろうという生徒はおらず、冬になるとこの屋上の使用率は劇的に下がる。


 ちなみに僕は今まで一度も屋上で食事を摂ったことはない。


「うわ、さむい」


 放課後、僕は屋上に足を運んだ。

 運動場でランニングをする野球部の掛け声と、部室棟から聞こえてくる吹奏楽部の楽器の音が聞こえる。

 晴れているとはいえ、風は冷たい。やはり屋上は長居できるところではない。

 僕はポケットにしまってある封筒を取り出して、便箋を開く。


『放課後、屋上に来てください』


 さて、放課後のいつなのか明記されていないが、授業終わってすぐという認識で良かったのだろうか。

 屋上を見渡す。誰の姿もない。放課後、この屋上を使う生徒はいないのかもしれない。

 僕は、運動場側の柵に近づいて、柵の隙間から運動場を見下ろす。

 掛け声を出しながらグラウンドを走る野球部員たちを確認してから、僕はグラウンドの端の方を見る。


「あ、いた」


 須藤さんの姿を見つけた。部員たちの水だろうか。水筒のたくさん入った大きな袋を持って、運動場側の端を移動していた。

 というか、ジャージではなくて、黒いダボダボした服を着ている。あんな服須藤さんって着ていたっけ。ウィンドブレーカーだろうか。


 ガチャン。


 背後から重たい扉が開く音がした。いうまでもない。屋上と校舎を結ぶ扉だ。さて、どんな子が僕に不幸の手紙を送りつけてきたのか、確認しようじゃないか。

 少しだけ、中学時代のトラウマが頭に過ったけれど、知らないふりをして扉に振り返った。

 そこには、少し見覚えがある程度の女子生徒が立っていた。


「あの、えっと……」


 女子生徒の声は、今にも消え入りそうな、か細い声だった。

 僕は柵から離れて、女子生徒に近づくことにした。ビクッと女子生徒の体が震える。大きなメガネの下の瞳はふるふると震え、目の端には涙が溜まりつつあった。

 おさげにまとめられた黒髪は両胸に下ろされていて、その両胸は、制服を押し出すほどの存在感があった。

 僕は彼女と5歩ほど離れたところで立ち止まって、下駄箱に入っていた便箋を彼女に見せた。


「これは、君?」

「あ、え、っと……」


 女子生徒は、目を伏せて、というか顔まで伏せて口をマゴマゴとさせる。

 別に僕はせっかちではないので、彼女が自分のタイミングで話し始めるのを待つことにした。

 いつの間にかグラウンドから聞こえてくる野球部の声は、ランニングの掛け声ではなく、違うものになっていた。


「どうして……」

「え?」

「どうして……佐原さんが、その手紙を持っているんですか……?」


 意を決して話し出した、わけではないようだけど、なんとか意思疎通を取れる程度には気持ちが落ち着いたらしい。

 僕は彼女と便箋を交互に見て、彼女の言葉を頭の中で反芻した。

 「どうして、僕がその手紙を持っているのか?」単純な話である。僕の下駄箱に入っていたからだ。それ以上もそれ以下もない。

 というか、その口ぶりだとそもそも僕に宛てた手紙ではないということか。よかった。僕宛の不幸の手紙ではないようだ。


「僕の下駄箱に入ってたからだけど」


 唯一無二のその答えを彼女に返すと、彼女は目をまん丸に見開いて、「え、うそ……」と呟いた。


「嘘じゃないよ。ちゃんと、僕の下駄箱に入ってた」

「ま、間違えちゃったんだ、私」

「間違えちゃったんだな、君」


 なんとも失礼な話である。

 僕は別にこの手紙を終始不幸の手紙と思っていたから特別嫌な気持ちになったりはしないけれど、もらった人によっては、スキップしながらこの屋上に上がってきてたりするかもしれないのだ。

 このオチはなかなかに酷いものだ。


「そもそも、誰に渡すつもりだったの?」

「えっと、き、北村、くんに……」


 それは隣の下駄箱だ。


「びっくりしたよ、てっきり僕宛なのかと思ったから」

「そ、そんなわけないじゃないですか……!」


 ほう。辛辣だね。

 まぁ、僕みたいな平凡な男に惹かれる女の子なんているわけないか。

 ん? でもそうなると須藤さんも僕には惹かれない、ということなのだろうか。それは困る。すごく困る。

 僕は、とりあえず彼女の便箋を返すことにした。


「これ、返すよ」

「あ、す、すいません」

「気をつけなよ。北村の下駄箱は今日君の入れた下駄箱の左隣にある」

「あ、はい」


 彼女は、ペコペコと頭を下げて、申し訳なさそうに屋上から構内に戻っていった。

 僕は、なんとなく込み上げてきた虚しさをため息として外に吐き出して、もう一度運動場側の柵に近づいた。

 グラウンドでは、野球部がノック練習をしているようで、須藤さんはグラウンドの端でボールを拭いているようだった。

 どうしようか、このやるせない気持ちは。

 スマートフォンをポケットから取り出して、時間を確認する。16時を回ったくらいで、まだ外も明るい。今から帰っても、公園さんには会えそうもない。


「今日はなんだか、損した気分だ」


 でも今日という時間を返して欲しいとは微塵も思わなかった。

 僕は帰る準備をしに教室へ戻ろうと、屋上の扉に向かって歩く。すると、またしても屋上の扉が重たい音を立てて開いた。


「あ、あの……!」

「……」


 扉から出てきたのは、さっきの女子生徒だった。なんだろう、まだ僕に用があるのだろうか。

 うんざりとした顔にならないように、出来るだけ懸命に無表情を作って返事をすることにした。


「何?」

「佐原くんは、えっと、北村くんと、仲良かったですよね……!」


 彼女は、僕の返した便箋を豊満な胸に抱いて、ゆっくりと僕に近づいてくる。

 彼女の目線はずっと僕の足元を見ているが、声からは必死さだけはとりあえず伝わってきた。


「仲がいいかどうかはあれだけど、よく話す仲ではあるよ」


 昨日も須藤さんと話したけれど、自分と誰かとの関係を、こうだ!と決めつけることは僕にはできないのだ。仲がいいのか悪いのか。その辺りの関係については、僕からは出来るだけノーコメントで抑えたい。


「て、提案があります……!」


 きっ、と目尻の下がった眼鏡越しの目が僕を見上げた。決心したかのような、覚悟を決めたかのようなその眼差しに、なんだか僕は感心してしまった。

 この子は、こんな表情もできるんだな、と。

 そんなことよりも、提案、提案とこの子は言った。


「提案って?」

「佐原くんは、須藤さんのことが、その、好きですよね?」

「ちょっと待ってくれる?」


 なんで知ってるなんで知ってるなんで知ってる。

 どこからそんな情報が漏れる。友達の少ない僕からそういったことが漏れるルートは限りなく絞られてくる。しかし、僕の須藤さんに対する想いについては、ついこの間僕自身も気がついた事だったわけで、それを知っている人間なんてたかが知れている。

 というか、1人しかいない。


「草薙先輩か……」


 どういった経緯でこの子にその情報が入ったのかについては、後で詳しくこの子に聞くとして、とりあえず今は、その提案とやらを聞いてみることにする。


「ごめん、続けて」

「え、と。なので、その。私と北村をくっつけるお手伝いをお願いしたいんです」

「……うん、それで?」

「わ、私からは、佐原くんと須藤さんをくっつけるお手伝いをします……!」

「……うん」

「……協力関係を、結びませんか?」


 唐突である。唐突でしかない。あまりにもアクセルを効かせすぎた話の流れだ。

 どういうことだ、ラブレターを間違えて違う人に渡してしまって? その違う人と本命の彼が友達なので、その違う人に自分と本命の彼がくっつくように協力してもらう。

 まだ、わかる。いやかなり強引な流れではあるけれど、まだ、理解はできる。理解はできるが。

 それがまたなんで、彼女が僕の好きな人を都合よく知っているんだ。


「お互いで、お互いの恋愛を助け合いましょう……!」


 念を押すように僕にいう彼女の言葉に対して、僕は疑念を抱かずにはいれないのだった。



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僕らシークレット 僕(語り部) @amanogod

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