第3話
『学校生活において、一番大切なことは友達を持つことだ』
僕が小学一年生の頃の担任が、始業式後のホームルームで僕たちに言ったセリフだ。勉学ではなく友達を大事にしろと、担任は続けて言った。
僕は幼稚園や保育園には行っていなかったので、同世代の子たちと同じ時間を共にすることは、小学校に入ってからの事だった。
友達が大事、ということは小学生になる前に両親からもよく言われていた。しかし、友達というものがなんなのか当時の僕には分からなかったわけだけど、こうして、教室に入り、同世代の子たちと並んで座った時に、僕は確信していた。
『この子たちと僕は違う』
どうしてそう思ったのか、根拠はよく覚えていないけれど、確かに僕はそれを確信していた。もちろん、人間それぞれ違いがあるとか、そういった当たり前の『違い』ではなくて、もっと根本的で抽象的なものだ。
僕とこの子たちは、人として、どこか違う。
当時6歳の僕は、その時から人を避けた。
☆ ★ ☆
「りーくん、朝だよ」
ぼやけた意識の中、妹の声が聞こえた。
僕はゆっくりと瞼を開いて、仰向けの態勢のまま、返事をする。
「うん、起きてるよ」
「今起きたんでしょ?」
間違いない。妹のいうとおりだ。
僕は顔だけを部屋の扉に向ける。部屋の扉は開けられていて、半身だけ体を覗かせている妹の姿が見えた。
服は寝巻きからすでに中学校のセーラー服に着替えているようで、長い髪の毛もポニーテールとして後ろに纏められている。妹のいつもの登校スタイルだ。
そのまま視線を壁時計に向ける。時計は朝の7時を示していた。
「もう朝か……憂鬱だ」
「いつも朝起きたらそれ言ってるよね」
「いつも朝起きたら思うからな」
こうして話しながら、僕がベッドの上から起き上がらないのは、僕が極度の低血圧体質であるからだ。
起き上がるにしても、ある程度時間を置いてからでなくては、まあそのままベッドに倒れ込んでしまうことになる。
もちろん妹も僕の体質は知っているので、「それじゃ、下降りてきてよ」とだけ残して一階のリビングに降りていった。
それにしても、懐かしいことを思い出した。小学校一年生の頃を思い出すとは、なかなか僕の潜在的な記憶力も捨てたものではないかもしれない。
そういえば、須藤さんと知り合いに、もとい友達になったのは小学生の頃だったか。
あんまり思い出せない。やはり僕に記憶力はないようだった。
「起きよう」
敢えて口に出して、ゆっくりと上体を起こした。体の気だるさは朝特有のものだ。この感覚を毎朝感じるたびに鬱になる。……なったような気分になる。
壁時計横のカレンダーを見る。今日は水曜日。1週間の折り返しだ。まだ半分この妹に起こされる気だるい朝が来ると思うと、現実逃避したくなる。例えば、変な奇声をあげながら街中を走ったり。……それは人生放棄か。
いつまでもつまらないことを言っていても仕方ない。僕は、ベッドから降りて制服に着替えることにした。
制服に着替えてリビングに降りると、テレビの前で母親と妹がブリッジの体勢でプルプルとしていた。
「……なにしてるのさ」
「こ、これを毎朝、するとね、美容効果が、あるんですって…!」
母親が苦しそうな声を出しながら僕に説明してくれる。
いやしかし、どんな理由があるにしても、朝リビングに降りたら、母親と妹が並んでブリッジしているという構図は、なかなかどうして視界に入れたくないものだ。
プルプルとしている見苦しい物体2つからテレビに目線を変えると、どうやら朝のニュースを放送中のようで、右上に出ているロゴには「劇的!今日からあなたも美肌美人!」と書かれていた。
すぐに察しがついた。
「相変わらずだね、母さん」
「あんたも、やってみなさいっ、なかなか、苦しいわよ」
そんなもの見ていれば分かる。
妹まで便乗して、揃いも揃ってうちの女連中は馬鹿正直な奴しかいないらしい。
僕は食卓の上にあるテレビのリモコンを手に取った。
そのリモコンをブリッジしている妹の腹の上に乗せた。
「ちょ、ちょっと……!」
「落とすと壊れる」
母親と同じように苦しそうな妹の声に一言返し、僕は食卓についた。食卓には、僕の分のトーストが置かれている。
いつまでそのふざけた詐欺エクササイズをこの2人がするのか知らないけれど、僕は僕で学校に向かう準備をすることにする。
口に含んだトーストは、焼かれてから時間が経っているんだろう。乾燥してパサパサになっていた。
☆ ★ ☆
僕は妹よりも早く家を出る。
学校までの距離は、中学校の妹の方が遠いのだけど、僕はいつだって余裕を持って行動するのだ。
「行ってきます」と、誰に言うわけでもなく呟いて、玄関を開ける。冬の冷気が家の中に入ってきて、暖房の効いている室内で慣れてしまっている体はびくっと、震えてしまう。
昨日の曇り空はどこへ。晴天の空からは差し込む日光は、やや暖かい。
「あ、おはようございます。お兄さん」
玄関の前に、1人の女の子が立っていた。
僕の顎くらいの身長で、目に入る真っ黒な黒髪は、ぱっつんに切り揃えられ、横髪と後ろ髪は首元で綺麗に切り揃えられている。
サラサラの黒髪には、太陽の光で天使の輪っかが浮かんでいる。
見覚えがある。確かこの子は妹の友達だったはずだ。確か名前は、妹と読み方が同じの……。
「琴乃、ちゃんだっけ」
「はい。おはようございます」
「うん、おはよう」
抑揚のない声。眠そうで、今にも閉じてしまいそうなジト目。しかし、漂ってくる雰囲気は、そこらへんにいる大人よりも、よっぽどしっかりしている貫禄のようなものを感じた。
感じただけで、僕が感じた感覚なんてそれこそテキトーなものなのだと思うけど。
僕は家を親指で指差して、琴乃ちゃんに言う。
「妹、呼んでこようか?」
「いえ、約束の時間より早く着いてしまっただけなので、大丈夫です」
社交辞令のような作り笑顔。どうやらこの子は、笑顔が非常に苦手なようだ。頬がヒクヒクしている。普段から笑っていない証拠だ。
まぁ、僕がこの子の日常生活に対して云々言うことなんてないのだけど。
「そう。それじゃ、僕は行くから」
「はい。行ってらっしゃい」
静かな子だ。少しはうちの妹も琴乃ちゃんを見習ってほしいものだ。
僕は琴乃ちゃんの横を通り、高校へ向かう。なんとなく、公園さんの真似をしたくなって空を見上げた。光り輝く太陽の前には、目を背けずにはいられなかった。
なんて無駄なことをしているんだろう。足を動かしながら、そう思う。というか、暇があればそんなことを思っている気がする。
大して都会ではなく、かといって田舎というわけではないこの街では、小、中、高の学校数は限られている。
小学校は2校。中学校、高校は1校だ。
基本的な小学校から高校までエレベーター式で上がっていくものなのか、と考えると実はそうでもない。
この街にある高校のレベルは、意外と高いのだ。
こんな辺鄙なところにある高校が、偏差値上位校に食い込んでいるなんて世も末な気がしてならなくなる。
しかし、そのレベルの高さゆえ、僕はあの中学時代の生活を脱却できたと言えるのかもしれない。
『誰だって秘密はあるんだよ? 佐原くん』
そう、秘密はある。誰だって隠したい、隠してる事実はたくさんあるのだ。
隠したいのは、事象だけじゃなくて、自分自身だったり、想いだったり、たくさんあるのだ。
駅から高校を繋ぐ道に差し掛かる。
ちらほらと高校の生徒の姿が見える。ここからは一本道で、しばらく山なりに坂を上っていった先に高校がある。
必然的に高校に向かう生徒は、この道に集まることになる。
もしかしたら、須藤さんがいるかもしれない、とか思ったけれど、わざわざ周りを見渡すのも面倒だったので、思うだけに留まった。
今日は水曜日。まだ1週間は半分も残っている。
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