第2話
須藤綾という女の子がどんな女の子なのか。今こうして説明しようとよくよく考えてみると、僕は説明できるほど知らないことに気づいた。
容姿端麗、成績優秀?なのかどうかは知らないが、誰にでも優しく、誰にでも笑いかける学年のアイドル。
……以上だ。何も知らないな僕は。
確かに中学二年生の夏。僕と須藤さんは付き合っていた。恋人同士だった。確かにそうだけれど、その記憶が曖昧になってしまうほど、僕たちの間に思い出などない。恋人同士だった期間もそう長かったわけではないし、それこそ、名前も忘れてしまうほど、須藤さんにとっては、どうでもいいような記憶なのだろう。
忘れている時点で、記憶も何もないのだろうけど。
そんな須藤さんともう一度、なんて思う僕は、過去に付き合ったことがあるというアドバンテージは一切なく、まっさらな状態から須藤さんへアタックしていくということになる。
その辺に関しては、別になんとも思わないのだけど。
流石にずっと横断歩道にいるわけにもいかなかったので、さっさと渡ってしまおうと思った僕の学ランの袖を引いたのは、他でもない須藤さんだった。
「ちょっとお茶していこーよ」と、マクドナルドを指差す須藤さんに、僕は従うことにした。
「佐原くんは、草薙先輩と仲良いの?」
「まぁ、只ならぬ関係だね」
本日二度目のマクドナルド。しかもさっき食べたばかりなのにまたマクドナルドに入っている。ジャンクフードが大好きな奴みたいじゃないか。
先ほどとは違い、窓際の席に腰掛けて、須藤さんの対面に座る。須藤さんがマックシェイクのバニラを頼んだので、僕も同じものを頼んだ。
「へえ、なんか意外かも」
「僕みたいな陰キャラと話してるのは意外って?」
「ちがうよーもう!」
ぷくっと頬を膨らませる須藤さん。ぱっちりまぶたを細めて、僕を睨む。睨むというより、ジロリと見てくる。
というか、須藤さんの瞳ってすごく大きいんだな。僕みたいな三白眼からすると、とてもとても羨ましい瞳だ。
「須藤さん、それカラコン?」
「え? 私の目?」
僕が頷くと須藤さんは「ちがうちがう!」と右目を指で開いて僕に見せつけてくる。
「なーんにもつけてないよ。おっきいでしょ」
「うん、大きい」
カラーコンタクトをつけると瞳が大きくなって、可愛らしく見えると聞いたことがある。今時の女の子は顔だけじゃなくて、目までいじる時代になったらしい。須藤さんは違うようだけど。
須藤さんは、んふふ、と屈託無い笑顔を浮かべて、マックシェイクを飲んだ。僕もそれに習うようにマックシェイクに口をつける。
「で、話を戻すんだけど」
須藤さんがこちらに身を乗り出してくる。
「草薙先輩とは、どういう関係なの?」
「どういう関係って、友達なんだと思いますよ」
いざ、あの人とどういう関係なのか? と聞かれて、○○です、と自分との関係性を答えるのはなかなか迷うものがある。
僕がそう思っていても、相手が思っていないことなんて山ほどあるのだから。思い上がりだなんて思われたくない。
「でも、佐原くんが草薙先輩と初めて会ったの高校だよね? 佐原くんは野球部入ってなかったし、先輩とつながることなんてほぼほぼなかったと思うんだけど」
「確かに僕は野球部じゃないけど、草薙先輩とは知り合いなんだよ」
これ以上僕に先輩との繋がりを聞こうとしても意味がないんだと思ったのだと思う。須藤さんは、つまらなそうに唇を尖らせて乗り出していた体を席に落ち着けた。
「でもあれだね。佐原くんとこうして落ち着いて話すのは、高校入ってからなかったよね」
「そうだね。中学二年生の秋以来だ」
「おお、結構昔だね」
昔だね、って須藤さんはニコニコ笑っているけれど、最後に話した内容が、僕との別れ話だってことはきっと須藤さんの中には残っていないのだろう。
仮に残っていて、そうニコニコしているのだとしたら、僕の価値は覚えていても取るに足らない程度ということになるのだろう。……でも忘れられているよりかは幾分かマシかもしれなかった。
「野球部も今あんまりいい雰囲気じゃないし、あの頃に戻りたいなあ」
「中学校時代に?」
「そー」
須藤さんは、その大きな目を伏せて、小さな口からふーっと息を吐いた。
「あの頃は、なんだか自由にやってたーって感じ」
「今は自由って思わない?」
「思わないなあ。なんか、忙殺されてる感じ」
そんな忙しそうにも見えないけれど。
「野球部のマネージャーもやって、バイトもして。疲れちゃうよ」
確かに、部活もしていなくてバイトもしていない僕より、須藤さんの方が何倍も忙しそうだ。
「それはそうとさ」
須藤さんは、またもや身をこちらに乗り出して、ずいっと顔を僕に近づける。
なんだかいい香りがする。なんの香りだろうか。あぁ、バニラか。
「草薙先輩ってさ、彼女さんとかいるのかな?」
……ふむ。
「急にどうしたの」
「そんな野暮なことは聞かずにさ、教えてよ」
野暮なこと。確かに野暮なことなのかもしれないけれど、その質問の意図を僕からしたらはっきりと聞いておきたいのが本音なのだ。
僕の恋する相手が、もしかしたら先輩のことを好きかもしれない、なんて洒落にならない。笑い話であっても、笑える話ではない。
僕は、どう答えるべきか迷った。彼女さんいるみたいなこと言ってたよ、と嘘を言って須藤さんの気持ちを冷めさせるべきか、正直に答えるべきか。
結局、逡巡した結果正直に答えることにした。
「いないと思うけど」
「ほんと!? よっし!」
須藤さんは大きくガッツポーズ。本当に表現豊かな女の子だ。
しかし、その反応を見る限り、須藤さんは草薙先輩のことを好きなのだろう。
なんとなく、むしゃくしゃした。僕は、マックシェイクを一気に吸い上げた。いつの間にか空になっていた容器から、ずずず、と僕の嫌いな音がした。
☆ ★ ☆
その後、すぐに須藤さんと解散した。
「またよろしくねー!」という言葉を言い残して須藤さんは帰っていったのだけれど、「また」とはなんだろうか。この後も僕は何かさせられるのだろうか。
草薙先輩と須藤さんの恋のキューピッド役だなんてごめんである。どうして僕がそんな役をしなくちゃならない。
ちょっとキューピッドが須藤さんを連れていく図を頭に思い浮かべてみたが、すぐに霧散した。僕はそんなキャラじゃない。
帰路を歩きながら、僕はスマートフォンを取り出した。僕のお供となって3ヶ月経つスマートフォンだけれど、未だに使い慣れない。
スマートフォンに着信の通知はない。もちろん、SNSの通知もない。まあ、SNSに関しては、アカウントを作りはしているけれど、何かやっているわけではないので、SNSを通した友達がいるわけじゃない。
僕のスマートフォンは基本的に着信がないのだ。
「もう、19時前か」
スマートフォンに表示される時間を見て、予想より遅くなってしまったと嘆息する。
僕は民家の灯りと街灯だけに照らされた道を歩きながら、なんというか、少しナイーブな気持ちになった。
家のそばにある公園の横を通る。公園はさほど広くなく、砂場も遊具もあるわけではない。子供たちがドッチボール出来るくらいの大きさの広場とベンチがあるくらいだ。その子供たちの姿などは今はなく、公園の街灯の光に寄る一匹の蝙蝠の姿があるだけだった。
と、思ったのだが。
「ありゃ、またいる」
そのベンチの端に、1人の女性が腰掛けていた。腰まで伸びたロングの髪の毛は、街灯に照らされて茶色に反射している。
いつも通りそれほどおしゃれなわけでもなく、茶色のコートにジーパンという姿で、その女性は、ぼー、と空を見上げていた。
僕は足先を家から公園に向けて、その女性に迷いなく近づいた。ある意味、これは日課に近いものでもある。
「こんばんわ、今日は曇り空なので、星は見えませんよ」
「……またあんた……?」
その女性は、夜空を見上げていた顔を鬱陶しそうに僕に向けた。
女性の目は長い睫毛が特徴的で、狐目なため、まるで睨まれてるように思える。ましてや、目の下にクマもあるせいで、そのまま射殺されてしまうような気さえする。
整った顔立ちをしているのに、なんだかもったいない人だ。僕が言えたことじゃないけど。
「なんでいつも来るのよ」
「そうなると僕は、なんでいつもいるんですかって質問を返すことになりますけど」
「わたしがどうしてようと勝手でしょ」
「とことん教えてくれませんね」
「あんたに教えたくないだけ」
この女性と顔を合わせるのは、ちょうど1週間ほど前からで、だいたい18時ごろぐらいにこの公園に毎日いる。
きっかけといえば、僕がこの公園のベンチで1人ぼー、としていたら隣に座ってきた。ということだけなのだけど。
なんとなく、それ以降顔を見たらこうして声をかけるようにしているのだ。
ちなみに、僕はこの人の名前を知らない。聞いてみたことはあったが、教えてくれないのだ。
「公園さんの顔を見ると、やっぱり声をかけなくちゃな、とか思って体が勝手に動いちゃうんですよ」
公園さん、というのが僕がこの人を呼ぶ時の呼称だ。
「別にかけなくていいわよ」
ちなみに、公園さんは僕のことを「あんた」とか「きみ」と呼ぶ。
名前を一応教えたのだけど、どうしても呼んでくれないのだ。
「聞いてくださいよ、公園さん」
僕は公園さんの隣に腰掛ける。
公園さんは露骨に嫌そうに眉を潜めて、僕を睨んでくるが、それは目つきが悪いだけに違いないと信じ、そのまま続けることにする。
「今日ですね……」
こうして、僕は今日起こった出来事を公園さんに話す。公園さんは興味なさそうに、というか実際興味がないのだろう態度で、僕の隣に居続けてくれる。
僕が一方的に喋り終わり、「どう思います?公園さん」と聞くと、テキトーな感じで答えてくれる。それがまた、的を射た適当な答えなのだから、案外僕の話をしっかり聞いてくれているのだと思う。
「でもほんと、君はよく喋るね」
公園さんから珍しく話しかけてくれた。
僕は嬉々として答える。
「公園さんと話してると楽しくてつい!」
「どうせわたしが喋らないから喋り続けてるだけでしょ」
ばれてーら。
「まぁいいわ。とりあえず、しっかりガンバンなさいよ。あんたまだ高校生なんだから」
そう言い残して、公園さんは公園から立ち去っていった。
僕も帰ろうとベンチから立ち上がり、スマートフォンをポケットから取り出す。手が悴んでうまく指を動かせない。この寒い中、随分話し込んでしまったらしい。
スマートフォンの時間には20時前が表示されていた。
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