僕らシークレット

僕(語り部)

第1話



 人の気持ちを理解することっていうのは、案外難しいことなのかもしれなかった。

 なぜ僕が急に、唐突にそう悟ったという経緯を話すとすると、それはとてもとても業の深いお話になることは間違いない。

 だから、今はその話は脇に置いておくとして、とりあえず今は「人の気持ちを理解することは難しい」ということを噛みしめることが重要なのだ。


「つまり何が言いたいんだよお前は」


 ざわざわとたくさんの人の声に包まれているマクドナルド。対面に座る草薙先輩は、空になってしまったジュースのストローをすすりながら、棘のある言い方をしてきた。

 マクドナルドに入ってすでに30分は過ぎている。僕から相談事を持ちかけて、結局この30分間に一度も本題に入っていないのだから、先輩の反応に棘がついてくることは当たり前と言えた。


「いえ、ですからね。人の気持ちを理解してですね、その人との適切な距離を測って、適切にお近づきになるのは難しいという話ですよ」

「はいはい。それは聞いたよ。だから、なんでその話を30分もしてんだよ。本題に入れよ。なんだよ、相談事って」


 放課後すぐにここに来たけれど、外はすっかり暗くなってきている。冬の夜は早い。

 僕は、こほんと咳払いを挟んでから、ようやく本題を話すことにした。


「実はですね、先輩の部活のマネージャーさんいるじゃないですか」

「ん? 須藤のことか?」

「そうです。須藤さんです」


 須藤。須藤綾さん。僕と同じ二年生で、ニコッとはにかむ笑顔が印象的な女の子。野球部のマネージャーで、誰にでも好意的で、真摯に人を気遣う姿勢に、野球部ではアイドル的存在になっている。

 もちろん、その人気は野球部内だけにとどまらず、二年全体の男子の憧れの的であったりする。

 その須藤さん。須藤さんのことだ。


「須藤がどうかしたか?」

「普段からニコニコしていて、誰にでも好意的な態度じゃないですか。須藤さんって」

「そうだな」


 なんだか、僕が須藤さんのことを批評しようとしてるかのような言い回しになってしまっている気がする。違う、そういうつもりじゃない。


「つまりそれは、特別な誰かがいない、ってことですよね?」


 先輩が訝しむような視線を僕に向けてくる。「つまりなんだよ」と思っているのだと思う。言わずとも先輩が思っていることが分かる。

 ある意味では、この場において僕は、先輩の気持ちを理解できていることになるのではないだろうか。


「まだ、僕にもチャンスがあると思いますか?」

「……は?」

「いえ、ですから、須藤さんのことが好きなんです。僕」

「…………は?」


 僕がそんなことを言うとは微塵も思ってなかったのだと思う。草薙先輩は、ぽかんと口を開けて僕のことを見開いた目で見つめてくる。

 文字通り唖然としてしまっているようだ。

 草薙先輩との付き合いも長い。先輩は先輩なりに僕のことを理解してくれているのだと思う。もちろん、僕だってそれに気づかないほど鈍くはない。

 だけど、今回の須藤さんの件については、先輩に予想できなくても無理はない。

 なんていったって、僕自身も最近気づいたことだったのだから。


「……お前って、結構ミーハーなんだな」

「そうですよ。僕って結構流行に乗るタイプなんです」

「どの口が言いやがる。この前まで『スマホ? いやだな先輩。そんなものなくても生活できますよ』とかほざいてた奴の言葉じゃねーだろそれは」


 うん、間違いなくそれは僕のセリフだ。


「いやほら、やっぱり流行に遅れるとみんなの話題とかついていけませんからね」

「友達いないだろお前は」

「……いやだなー、いますよ。先輩もその1人ですよ?」


 僕のヘラヘラした笑いももう見飽きている先輩は、大きく嘆息して、背もたれに体を預けて顔を上に向けた。


「またいつもの気まぐれか?」

「いえ、本気ですよ」

「……はぁ、まぁいいか。お前にこんな風に付き合ってくれる奴は、俺ぐらいしかいないんだしな。んで、須藤に彼氏がいるかいないか、って話か?」

「ええ、そうです」


 惚れたのはいいものの、その人に特定の相手が居てはやはりなかなかどうして手が出せないものだ。ハードルが高くなりすぎる。

 それを乗り越えてこその恋愛じゃないのか! という考えに至るかは、その時になってみなければ分からないけれど、とりあえず今は須藤さんの身辺調査から入る。

 草薙先輩は、右手をあごに添えて、なにかを思い出している。なにか、須藤さんとそういった話題で話をしたことがあるみたいだ。


「なんだったかな、前はいたような事を言ってた気がするが……少なくとも俺が引退する頃にはいなかったはずだ」

「あ、そうですか」


 ひとまず少しハードルは下がった。


「にしても、須藤のどこに惚れたんだよ。いや、須藤に惚れる奴は野球部にも山ほどいるけどよ。スタイルが良いとか可愛いとか、性格が良いとか、そういうのじゃねぇよな?」

「そうだとしたらダメなんですか?」

「いや、ダメってわけじゃねーけど、お前はそんな男じゃねーだろ」


 そんな僕は変わっているだろうか。結構平均的な生徒でいると思うけど。成績だって平均的だし、運動神経も、身長も顔も、至って平均だと感じるけれど。


「昔、僕須藤さんと付き合ってたんですよ」

「………………は?」


 今までで一番長い沈黙の後の「は?」だった。草薙先輩がテーブルに身を乗り出してくる。そんなに、びっくりする事だろうか。

 平均的な生徒である僕と、アイドル級の囲いを持つ須藤さんが。

 教室の隅の席で1人寂しく弁当を食べる僕と、みんなに囲まれてお弁当の具を交換していたりする須藤さんが。

 放課後に校舎裏に呼び出されてクラスメイトに暴行される僕と、放課後に校舎裏に呼び出されてたくさんの人に告白される須藤さんが。

 付き合っていたというのは、確かにおかしいことかもしれない。

 対極に位置する僕と彼女が付き合うのは、あまりにも吊り合いが取れていないのかもしれない。

 いや、ある意味では吊り合いは取れているのかもしれない。限りなくマイナスの僕と限りなくプラスの須藤さん。吊り合いは、取れている。


「結局は、呆気なく振られてしまいましたけどね」

「いやいやいやいやいやいや!」


 先輩の唾が飛んでくる。汚い。


「衝撃の事実だわ! あまりにも!」

「そうですか? よくあることだと思いますけど」

「お高くとまってんな!?」


 お高くなんてとまっていない。自分の価値というか立ち位置というか、そういったものが須藤さんとかけ離れていることくらい自覚している。自惚れているわけでもない。

 ただ、そういう時期もあった、ということ以外なんでもないのだ。

 僕は、残り少なくなったポテトを口に放り込む。時間が経ってしまったから、かなりしんなりしている。


「もう一度、縁を戻したいと考えてたりしたわけです」

「お前が恋愛だなんて、って思ってたがまさか須藤となあ……」


 ずずず。と空のジュースを吸う先輩。そういうのやめてほしい。なんだか急かされているように思ったりする。飲み終わったのに無意味に吸う行為は、側からみるとあまりいい気分はしない。


「まぁ……」


 草薙先輩は続ける。


「やってみる価値はあるんじゃないか? お前らの過去に何があって別れたかは知らんけど、やるだけやってみろよ」


 草薙先輩は、どこか嬉しそうに頬をあげ、僕に言った。どうしてそんな嬉しそうなのか僕には分からない。いや、嬉しいのではなくて、楽しいのかもしれない。楽しい見世物を見ているような、そんな感覚なのかもしれない。

 とりあえず、そんな先輩に僕は、自分の今後のプランを話しておくことにした。


「ありがとうございます。では早速、今日家に帰ったらラブレターを書こうと思います」

「ガキかよ! 今時の高校生がする告白じゃねーだろ!  流行んねーよ!」

「いやだなあ、先輩。想いを伝えるならやっぱり直筆ですよ」

「そう言うなら直接だろ!」

「えー、恥ずかしいですよ」

「乙女かよお前は」


 僕は食べ終わったポテトやら飲み終わったジュースやらを乗せているトレイを持って立ち上がった。

 その僕の動きを見て、先輩も椅子においていた学ランを着て、トレイを持ち上げた。


「流行に乗るんじゃなかったのかよ。ラブレター書くくらいなら今時LINEで十分だろ」


 店内のゴミ箱にトレイの上のものを押し込む。先輩もそのあとに続き、2人で店外に向かう。「ありがとうございましたー」という店員の声が聞こえた。


「いやだなあ、先輩。僕は古風なやり方が好きなんですよ」


 店外はすっかり真っ暗で、時間にしてもう18時を回ろうとしていた。

 かなり長い間先輩を付き合わせてしまったらしい。でも、ちっとも申し訳ないとは思わない。


「数分前に流行云々言ってた奴とは思えないな」


 僕は臨機応変に動ける人間ですからね。


「お前みたいな奴が、須藤と付き合ってたなんて、ほんと信じられねーわ」


 先輩は笑いながらそう言うと、自転車の鍵を外す。先輩は自転車通学組なのだ。ちなみに僕は徒歩だ。歩いて10分の場所に家がある。やっぱり学校は近いに限る。


「そうですかね」

「誰だって驚くと思うぜ?」


 先輩は自転車に跨ると、僕に背中を向け、自宅の方に自転車を向けた。

 すっ、と片手を上げて振り返る。


「じゃあな。またなんかあったら声かけてこい」

「ありがとうございます」


 からからから、とママチャリを漕いで先輩は走っていった。

 僕もさっさと帰ることにしよう。そう思って、マクドナルドの前の横断歩道に視線を向ける。

 横断歩道を挟んだ先。向かいの歩道で横断歩道が青になるのを待っている女子生徒が1人そこにいた。

 僕の通う高校の制服を着た。ショートボブの女の子だ。顔立ちはぼんやりとしか見えないけれど、膝上10cmくらいのスカートから覗くおみ足は、ほっそりとしていて、全体的に華奢に見える。

 こんな寒い11月の冬に、ミニスカートにストッキングも履かずに、寒くないのだろうか。いや、肌色のストッキングの可能性もあるか。いや、そんなことどうでもいいか。

 問題なのは寒そうとか、ストッキングの着用についてとかではなく、そのショートボブの女子生徒がとても見覚えのある子であるということだった。


 横断歩道の信号が青になる。僕と女子生徒は、お互いに距離を詰める形で近づく。

 ただお互いに横断歩道を渡るだけなのだから、距離を詰めるというより、結論的に距離が詰まるというだけで、意図的に近づき合おうというものではなくてーー


「久しぶり。『田原くん』」


 ーー、そんな思考をする僕に、いや〝恐らく〟僕に対して、その女子生徒は声をかけてきた。女子生徒の須藤綾さんは、ショートボブの髪の毛を揺らして首を傾げた。


「あれ? 田原くんじゃない?」


 今僕はどんな表情をしているんだろうか。いつもみたいに無気力な表情をしているのだろうか。それとも、「信じられないわこいつ」という顔をしてしまっているのだろうか。須藤さんの顔がやや困惑気味だ。

 まぁ、困惑してる理由は、僕が返事をしないことなんだろうけど、僕が返事をするべきか悩んだのはしっかりとした理由がある。


「えっと、須藤さん」

「うん」

「僕の名前は『佐原くん』だよ」

「え、うそ!?」


 両手で自分の口を隠して驚いている須藤さんにとって、僕という存在がどの程度の存在なのか今のやりとりだけで理解できてしまった。

 横断歩道のど真ん中で、好きな相手である須藤さんと久しぶりに話をするというこの展開は、結構ロマンチックなことなのかもしれない。

 しかし、リアリティを含めてこの状態を表すとしたら、どこまでもただ危ないだけだった。

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