切望

常盤しのぶ

切望

 欲しいものは大抵与えられて生きてきた。小さい頃から、なんでも。

 たとえば、高校の入学祝いでフィレンツェへの旅行で着たピンクでフリルな可愛い服は、この日のためにお父様が買ってくれた。でも着たのはそれっきり。だってまた新しい服を買ってくれるから。

 たとえば、テレビで流れた美味しそうなお菓子は、どんなに行列ができていても、どんなに入手が困難であっても。私が一言「食べたい」と言えば、遅くとも翌朝にはテーブルに並んだ。でも明日にはそのお菓子のことは忘れる。だってまた新しいお菓子がテーブルに並ぶから。

 いつまでも同じ服に執着するのは格好悪い。そう思っていた。

 いつまでも同じお菓子に拘るのは格好悪い。そう思っていた。


 高校に入り、友達ができた。少し茶色がかったボブカットの子。彼女の周りはいつも賑やかで、さんさんと降り注ぐ陽の光を全身で浴びる向日葵のようだった。見ていて心地が良い。

 声をかけてくれたのは入学してすぐだった。一番後ろの席だった私の前に、彼女は座っていた。背中を勢いよくひねり、目をきらきらと輝かせて私の事をじっと見る。

 嫌な予感がした。私は世間に比べて「オカネモチ」であることは承知していた。それを見越して私に対しておべんちゃらを言ってくる薄汚く卑しい人間は嫌というほど見てきた。挙句の果てには自分の子供を利用して私に近づこうとする屑まで。そういった可哀想な人に遭遇するたび、うんざりしてきた。この娘もそうなのだろうか。


「あなた、とっても綺麗な目をしている」


 ぽかん、と口が空いてしまったのを今でも覚えている。今まで会ってきた誰よりも変なベクトルで私を褒めてきた。目? もしかしたら、この娘みたいなのを天然というのかもしれない。

 それからしばらく彼女からの質問攻めに遭った。出身は日本なのか、イエス。どの辺りに住んでいるのか、高校から車で10分程の大きな屋敷。中学校はどこだったか、第三中学。海外は行ったことがあるのか、イエス。やっぱり怖いのか、いつもお父様が隣にいてくれるから怖くない。仲が良いんだね、誰と? お父さんと、そうかな。羨ましい、何故? こんなに綺麗な人がいつも隣にいるなんて、そんなことないよ。ねぇ、何? 今度一緒に遊ぼう、だめ。なんで?そんなことしたことない。そうなんだ、そう。じゃあ私が初めてだね、え? 帰りにどこか寄ろう、そんな。


 あれよあれよという間に放課後になった。入学式でお昼前に終わったので、お昼ごはんをまだ食べていない。お腹がすいた。

 彼女がまた背中を勢い良くひねってきた。どこに行こうか? と言いたそうな顔をしている。どこに何があるのかも分からない私は、ひたすら沈黙を守った。すると彼女も空腹だったらしく、駅前のファストフード店へ行くことになった。


 正門で待っていた召使に、遅くならない内にひとりで帰る事を伝えた。彼女はもの珍しそうに召使と車を交互に眺める。そんなに珍しいのだろうか。


 ファストフード店へは歩いて10分もしない内に着いた。しかし、着く頃にはお昼真っ只中なせいか、それなりの行列が待ち受けていた。彼女と最後尾に並ぶ。

 待っている間に彼女がメニューを見せてくれた。何がどういうものなのかさっぱり分からない。彼女はチーズバーガーを注文するらしい。よくわからないので私も同じ物を注文することにした。レジの前に辿りつき、彼女が注文した。チーズバーガーふたつ。あと、お水もください。会計を済ませ、列からずれる。

 代理で払ってもらったので自分の分も払おうとしたが、何故か全力で止められた。私の周りにそんな人はいなかったので新鮮に感じる。彼女がまた私の顔をじっと見つめる。

「今日は友だち記念日だから私があなたをお祝いしたいの」

 相変わらず意味のわからないことを平気で言う。何を考えているのかわからないが、悪い気はしなかった。しかし、これが友達としての正しい関係とは思えないので、いつかお返ししよう。そうでないと私の気が済まない。


 そうこうしている内にチーズバーガーふたつがトレイに乗ってやってきた。水もある。テーブル席が空いていたのでそこに座る。ふぅ、と一息。

 ではでは、と彼女が水の入った紙コップを手に取る。どうやら乾杯がしたいらしい。水で。


「えっと、なんて言おうおかな」


 考えていなかったらしい。彼女が少し頬を赤らめ、少しうつむいた。私もよく分かっていないから困る。じゃあ、と


「友だち記念日に、かんぱい」


 紙コップだから当てても音は鳴らない。水を一気に飲み干す。えへへ、と彼女が微笑んでいる。そんなに楽しいのだろうか。私もなんとなく気分が浮ついてきた。


 ハンバーガーという食べ物を食べたことがない、と言うと金持ちの戯言のように聞こえるが、正確には「食べさせてもらえなかった」。理由は簡単で健康に悪いから。そうして私は温室のような空間で生活してきた。

 しかし、今目の前にそのハンバーガーが鎮座している。しかもチーズが挟まっている。何もかもが初体験。そもそもどうやって食べればいいのだろうか。

 彼女の様子を伺う。チーズバーガーを手に取り、紙を半分外し、そのままかぶりついていた。一見簡単そうに見えるが、私にもできるだろうか。不安になってきた。

 手に取る。ほんのり温かい。紙を外す。この時半分だけにしておくと手が汚れないらしい。チーズバーガーが見えた。思っていたより薄い。小さい頃、初めてミニチュアダックスフンドと対峙した時を思い出した。可愛いけれど、怖かった。

 端の方を少しかじってみた。パンと肉とチーズの味がする。口の中で程よく混ざる。ふと視線を感じた。彼女が穏やかな微笑みをこちらに向けていた。今度は大きめに頬張る。今度はケチャップとピクルスも混じってきた。お肉の味がジューシーで、チーズがまろやかで、そしてケチャップやピクルスの酸味がアクセントを残して、私の満腹中枢を程よく刺激してきた。今まで様々な料理やお菓子を食べてきたが、こんなに美味しい食べ物は他にないかもしれない。すこし勿体ない気もするが、一気に食べてしまった。それを見ていた彼女がけらけらと笑う。そんなに美味しかったの? と面白そうに聞いてきた。今まで食べてきた中で一番美味しかった。そう断言できた。彼女はやはり嬉しそうに微笑む。


 友達と一緒とはいえ、あまり長く家を外すと心配されるため、もう帰る事にした。離れようとすると、ひとりだと危ないからと彼女が同行してくれた。家までの道すがら、彼女との話はとても楽しかった。お父様や召使の話も好きだが、同い年の女の子との他愛のない話は、また違う楽しさがあった。


 家に着いた。と同時に、彼女は我が家の大きさにまた唖然とする。すごいね、と一言。

 また明日、と別れを告げた。


 自室で、今日あった出来事を反芻する。今までぽっかり穴の空いていた部分が優しく満たされたような、初めての感覚。チーズバーガーが美味しかった。また食べたい。というより、お昼にチーズバーガーひとつでは足りないことに今更気づく。調べてみると、デリバリーもやっているらしい。チーズバーガーと、他にもメニューがあるので適当に見繕った。

 30分弱で注文したバーガー類が届いた。召使から心配されながら自室へ持ち込む。先程食べたチーズバーガーやその他諸々がテーブルの上に所狭しと並べられる。まずはチーズバーガーから手に取る。楽しみは先に味わうタイプだ。紙を半分剥がし、最初から思いっきり頬張る。

 口の中に残ったのはパサパサした肉と、味気ないパン。それに反して主張の激しいチーズ・ピクルス・その他。明らかについ先程食べたそれとは違う味だった。間違えて別のバーガーを注文してしまったかと思ったが、どう見ても同じチーズバーガーだった。思わず頭を掻く。もう一口食べてみた。しかし、結果は変わらず。あの、今までで食べたことのない最高に美味しいチーズバーガーはどこへいってしまったのだろうか。もしかして、店頭とデリバリーとで味付けを変えているのだろうか。そんなことをする理由がない。ここになくて、先程あったものはなんだろうか。しばらく考えてふと思い立つ。


「友だち記念日に、かんぱい」


 彼女の顔が浮かんだ。教室では向日葵のように明るい彼女の笑顔。私の前では慈愛に満ちたコスモスのような穏やかな微笑み。彼女と、そう、彼女と一緒に食べるから美味しいのだ。彼女の笑顔があるから幸せな気分になれたのだ。そう、彼女が。


 いつの間にか心が熱くなっていた。また一緒にチーズバーガーを食べたい。いや、チーズバーガーじゃなくてもいい。もっと別の、何か、たとえば、一緒に買物とか、旅行とか、もっと、彼女と、彼女と一緒にいたい。顔が火照り、身体まで熱くなる。チーズバーガーを置き、ソファに寝転がる。顔の火照りは全身にいきわたり、しばらくこの熱気が取れることはなかった。

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